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うつ病患者は世界をどうみているか

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うつ病になってからの気づき。ものの見方。あくまで個人の見解。
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うつ病で休職するということ|休むのが苦手な人が休めと言われて困った話

休職という制度がうちの会社にあるとは知ってはいたが、まさか自分が利用することになるとは思わなかった。おかげで療養に専念することができている。 けれど最初に精神科に行ったとき「うつ病ですね〜、仕事は休みましょうね」と言われ「ややややや休む!? ななななにをしたらいいんです??」と戸惑ったことを覚えている。 ちゃんと休むって意外と難しい「なにをって……。とにかく休んでください。メールチェックとかもダメですからね」と言われたものの、それまで(思考力や効率は落ちていたが)社会人とし

希死念慮という事実、その奥にある真実──うつ病の私がなぜ「死にたい」を口にするのか

「もう、死にたい」と両親の前で言ってしまった。うつ病がつらすぎて。 父はその場を離れた。 母は「そんなこと言わないで。いつかきっと治るから」と言った。 主治医にも希死念慮(死にたいという願望)について相談したことがあるが何だかはぐらかされてしまった。 死にたい気持ちを明かしてみて、やっぱり言わなければよかった、先生にも黙っていればよかったと感じた。 解決策が見つかるかなと思って勇気を出して言ったのに何も見つからず共感もされなかったからだ。 私は死なない。でも死にたい。

うつ病的食欲論

私は調子が悪くなると食べ物受付停止、臨時休業日になるのだけれど。 その感覚には2種類あって ①食べ物を見ること自体で吐き気をもよおす。情報量過多による脳の混乱と食べねばというプレッシャーのストレスに由来するもの。 ②お腹が空かない。そんな自分なんかが食べ物様を消費するのはもったいないという思考に由来するもの。 ①はおそらくうつ病ではよくある症状のようで、カウンセラーもそれはあるあるですね、というようなことを言っていた。 一方、②について相談すると「は?どんな感覚?」

コロナ禍。私がいかにしてうつ病という名のトンネルへ入ったか。

2020年の夏の東京。私はうつ病と診断された。 それは本来ならオリンピックで浮かれているはずの大都会が、1回目の緊急事態宣言で静まり返ったあとのことであった。 時期からすればいわゆる「コロナうつ」に当てはまるのかもしれない。 もしコロナ禍がなかったら、うつ病になることもなく元気に働いているのかもしれないが、起きてしまったことは仕方がないことだ。 しかし以前の記事でも書いたとおり、私はもともと出不精であり緊急事態宣言で遊びに行けなくなったことがストレスになったとは全く思えな

うつ病の人への関わり方についてうつの私が思うこと

うつ病をかかえる人にどんな声かけや関わりができるか。患者の家族や知人は大いに戸惑いを覚えるだろう。うつ病患者である私自身、どういう関わりが適切なのか、こういうふうに接してほしいと言葉にすることはできなかった。しかし体調が落ち着いてきた今、一番つらかった頃を振り返って考えたことをここに紹介したい。 「励ましは禁物」これは基本。なぜなら……うつ病の治療には正解はない。副作用の少ない新しい抗うつ薬はあるものの、万人に効くわけではない。頑張って治療を受けても治るとは限らないのだ。

コロナうつ(?)になった私からの#ねえねえ尾身さん

私は約1年前、うつ病と診断された。時期的にいわゆるコロナうつなのかもしれない。第1回目の緊急事態宣言が明けてテレワークから出社勤務に戻り溜まっていた仕事を片付けていたさなか、急激な体調の悪化で初めて精神科に行き、うつ病と診断され、すぐに休職となった。 コロナうつなんて無縁だと思っていたちょうどその頃、コロナうつという言葉を耳にするようになった。同時期、HSP(Highly Sensitive Person)という言葉も初めて耳にした。テレビで報じられていたHSPのチェックに

私は生物オタクのうつ病患者。自分という奇妙な生き物の観察記録とリハビリとお守りのためのnoteをはじめました。

私がここをはじめた理由を書いてみるとする。何となくと言ってしまえばそれまでだが、たぶん3つの理由が大きい。 得体の知れないものはとにかく観察して記録して発表したいうつ病という病気があること。それは以前から知識としては当然持っていた。何なら精神疾患について関心を持っていたのでいろいろ調べてわかった気になっていた。 当事者となってそれは全くの早とちりであったと気づかされた。机上の知識ではわからないなんとも言えない苦しさが沢山あった。 まずは症状そのものの苦しみ。書籍で読んだ

うつ病というトンネルをさまよってみて

私は約1年前にうつ病の診断を受けた。 その前から何年も不調が続いていたが、診断を受ける数か月前から体調が急激に悪化した。しかし不調はいつものことだから慣れっこだったし、コロナ禍でみんな大変なのだからと、自分の状態の異常さに気づけなかった。病気だなんて微塵も思わなかった。 死にたい思いをかかえて毎日を生きていた。寝れば必ず悪夢。なんでもないことで涙があふれる。何を食べても美味しくない。というか食べない。 でも病気だと気づかず自分のせいだと、自分が弱いからだと思っていた。 と

“幸せ”だからってうつ病と無縁と思うなよ

憂鬱な気分は可逆だ。寝たりストレス発散したりしたら元気になれる。 けれどうつ病は不可逆だ。寛解する人もいるけれど。 ああ、戻れる位置に、戻れる時に。気づいて頼って休んでいたらなぁ……。 我慢してたつもりはなかったけれど……知識が足りなかった。 仕事は楽しかった。パートナーもいて、それなりのお金もあった。 絵に描いたような幸せ。そんなふうに、周りも自分も思っていた。 いや、自分は幸せなのだと思わねばと考えていた。 具合が悪くなっていっても休む発想がなかった。 仕事にストレ

疲れすぎて目覚めてしまった夜に

久しぶりの中途?早朝?覚醒。バッチバチに目覚めてしまった。 こんなにスッキリ起きたのはいつぶりだろうってくらい。 いつも朝はどんよりした気分なのに昨日はたくさん歩いたからきっとよく眠れたんだな、5時ごろかなぁと時計を見たらあらびっくり。まだこんな時間。 夜明けかと思うほどの月明かりに照らされる雲と輝く星。 寝るのはもう諦めてこの夜空を眺めることにしよう。 たまにはこういう日もあっていい、きっと。 疲れすぎて眠れない夜のために。そんな本があったなぁ。 いや眠れはしたんだけ

病気のカミングアウトについての考察

有名人が精神疾患であることを公表してニュースになることはしばしばだ。 一般人である私にとっても病気の公表というのは社会生活にそれなりの影響を及ぼす悩ましい問題である。 自分がうつ病であることのカミングアウトについて私なりの考えを述べようと思う。 私は「うつ病」という診断書を提出して休職している。したがって会社のお偉いさん方にはオープンになっている。ただしこれは個人情報であるから、他の社員には「◯◯さんはうつ病だ」とは明かされない。 理由は不明だが◯◯さんは休職しているとの事

Black Friday

金曜日の夕方は調子が悪い この1週間もダメな自分だったと振り返ってしまう 仕事を休んで曜日など関係ない暮らしをしてもう1年も経つのに 金曜日の夕方はいつも調子が悪い 頓服薬が効くまでここに気持ちを書き留めておこう 冷静になったときに振り返られるように ここは私の闘病記録だから きっと許してもらえるだろう 金曜日の夕方は思えばいつも調子が悪かった 終わらなかった仕事の山を見てげんなりして やる気を出せばすぐ終わるはずの仕事も先延ばしにして 結局終わらなかった ああ自分はなん

生き恥をさらして生きるということ

生きることはつらいことの連続である。 病気になること、不幸になること、それは努力とは関係のない運もあると思う。 私も生まれた環境を恨んだことが何度もある。もっと気楽な人生を歩める性格に育ちたかった。でもそうできない、人の顔色を伺って失敗を許されないような人生を歩んできた。 そして、うつ病になった。 でも、与えられた命だから、悪あがきをしてやろうと今は思うようにしている。 何ができるかわからないけれど、私という変な人がいた、ということを誰かの脳みそに刻みつけてやろう。そう

◯◯だからって私は私

性別という概念は生物の長い歴史からすると非常に短いあいだに進化したものである。生物学的にみると性別のない生物、性転換をする生物、両性の生物などのほうが多いくらいだ。 したがって、私にとっては性別(セクシャリティ)ましてや社会的性(ジェンダー)についてはどうでも良いこと。人間のセクシャリティやジェンダーという概念は生物全体からするとほんの些細なことだから。どういう形であれ、生きていることが大切なのである。 ただし現実の人間社会は性別が重視されていて、生きづらさを抱えている方もた