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<徒然日記#8>神山町の記録

今、私は徳島にいる。先週の金曜から今日までの3日間、徳島県神山町にある「大埜地の集合住宅」を舞台に、そのランドスケープの設計者である田瀬理夫さんと、裏舞台の立役者である西村佳哲さんらと共に対話をしたりお話を聞かせてもらうプログラムに参加した。

<プログラム>
● 3/25(金)
12:00 集合/神山町農村改善センター
12:30 お弁当ランチ
12:30〜13:30 お散歩
13:30〜14:30 自己紹介大会@改善センター
14:30〜16:00「創造的過疎レクチャー/神山のまちづくりや創造的過疎について」(グリーンバレー 竹内さん)
16:30〜17:40 大埜地の集合住宅 フィールド見学
17:40〜18:00 徒歩移動(大埜地〜かま屋)
18:00〜19:00 かま屋ごはん
19:15〜20:00 導入:経緯、対話 @WEEK母屋(西村さん)

● 3/26(土)
9:00〜11:00 集合住宅についての感想や田瀬さんとの対話
11:30〜13:30 WEEKランチ 長めのお昼
13:30〜16:30 田瀬さんの基本的な設計方針 @WEEK母屋
16:30〜18:10 温泉
18:00〜19:00 WEEK晩ごはん
19:00〜21:00 田瀬さん講義

● 3/27(日)
8:30〜 かま屋/朝がゆ
10:30〜12:00 フードハブと食農教育NPOの話(樋口さん)

この3日間での学びが凄すぎて、何度も何度も振り返っては考えることをくりかえしている。記憶が新鮮なうちに、何を感じたのかを書いておこうと思う。

一日目

まず、神山への道中で感じたのは石積みの素晴らしさ。この地で石積み学校が開催されているのは知っていたけど、こんなに立派な石積みがあちこちで見られるとは思っていなかった。この石積みだけでも貴重な文化財レベルだ。そして、季節も良く、菜の花と咲き始めの桜が里山を彩っていた。一方で、山にはスギが多い。山頂までスギに覆い尽くされている。

農業改善センター前の石積みと水路

自己紹介大会では、多様な参加者達に魅了される。計15名の参加者は、世代も幅が広く、分野もランドスケープには限らない。良い時間になりそうだと感じる。

神山町のこれまで(NPO法人グリーンバレー/竹内さんより)

続いて、NPO法人グリーンバレーの竹内さんのお話を伺う。神山町について何も知らなかった私だが、人口5000人のいわゆる中山間地域にもかかわらず、アーティストが多く在籍していたり、IT企業のサテライトオフィスがあったりと、意外な側面がたくさんある。その背景にはグリーンバレー前代表の大南さんという方の存在が大きいという。1991年頃からこの地でコツコツと積み上げてきたものがある。始まりは些細なことだった。戦前にアメリカからプレゼントされていた人形が町に眠っていたことを知り、それをアメリカに里帰りさせるというプロジェクトだった。町の大人と子供でチームを組み、みんなでアメリカにいく。その経験から国際交流文化村としてアーティスト・イン・レジデンスをはじめてゆく。そのような経験が、町の人たちの人柄をオープンにしたのではないかとお話されていた。それが、今の多様な移住者を受け入れる土壌基盤になったのではないかと。
一体の人形をアメリカに返すのは、正直些細なことで、プロジェクトというほどのことではなかったかもしれない。でも町の人を巻き込んでプロジェクト化してやってみたことに意味があったんだと思う。自分がやってみたいと思ったことを、地域のみんなを巻き込んでやってみること。楽しんでやってみること。もしかしたら、楽しんでやってたら周りからお声がかかってきたのかもしれないね。そんなことを考えて、想像してみる。
そんなことが、30年前に起こっていて、それが今の土壌をつくっているということ。そういう意味では、今小さなきっかけを起こすことが、30年後を変える可能性もあることを教えてくれた。
もう一つ、竹内さんの話で面白いと思ったのは、もともとの住民の方向けの町内バスツアー企画だ。移住者が次々ときては、新しいものをつくってゆくしメディアで取り上げられるけど、そこに昔から住んでいるおじいちゃんおばあちゃんにはサッパリわからない。それを解消するのが役場の主催する町内バスツアー。これはいい企画だよね。移住者の多い町って何かと分断が生まれがちだけど、その接点を役場がつくってゆく。顔の知れた関係になると、人の印象って全然変わるからね。

続いて、「大埜地の集合住宅」のフィールド見学。この内容は後の田瀬さんの話と一緒に。

「大埜地の集合住宅」を遠目から

「かま屋」で神山の食材を使った夕食をいただく

夕食は神山の「フードハブ」が運営する「かま屋」で。この町で、この食堂の存在意味は大きい。神山にサテライトオフィスを構えるモノサスというIT企業が多くを出資している(と記憶している)Food Hub Project株式会社は、モノサスの社員で食に興味があった方と、役場で働きご実家が神山で専業農家をやっているという方が出会って生まれたという(それが生まれる舞台をつくっていたのが西村さん)。「小さいものと小さいものをつなぐ」というキーワードを元に、多品目少量栽培の町内の農家と小さな町の住民をつなぐ町の食堂をつくる。
食べてみてわかるのだが、まず味が絶品。野菜がとても美味しい。この時期は菜の花が旬だったのだが、春を感じるほろ苦さが最高だった。さらにすごいと思うのは、テーブルにはスコアカードのようなものが置かれていて、神山町産の食材の使用割合をしっかりと食べる側に示している。
配膳をしてくれたのは、高校生だった。神山には高校があり、そこと連携して食農教育の一環として高校生が働いているのだ。その話は最終日の樋口さんからしてもらうが、ここが本当に町にとって大切な場所なんだろうなということが実感として伝わってきた夕食だった。

「大埜地の集合住宅」プロジェクトの導入(西村さんより)

夕食後は宿にて西村さんから「大埜地の集合住宅」のプロジェクトが立ち上がるまでの背景を伺う。神山町が小さな中山間地域にもかかわらず面白い地域である理由として、その組織形態があると思うのだが、それは割愛する(詳しくは、書籍「神山進化論」にあると思う)。まず、地域に必要なのは、「制度資本」、「設備資本」、「自然資本」の3つだという。これが地盤。これは宇沢弘文著「社会的共通資本」から引用しているそうなので、詳しく読んでみようと思う。この3つが揃っている上で、「多様なひと」✖️「よい関係」✖️「やってみる文化」があれば、「そのときどきに必要な仕事や活動がほどよく生まれている」状態になるだろうと。きっとそうなのだろう。自分の住む地域では、これらの要素が揃っているだろうか。考えてみる指標になりそうだ。
そして、もう一つ印象に残ったお話は、「集合住宅」と「住宅集合」について。これは田瀬さんからのお話でもあるのだが、今の高層マンションなどは住宅がただ集合しているだけであって、何も生み出していない。一方、今回の「大埜地の集合住宅」では、関係が生じやすい設計を目指しているとのことだった。
この話を聞いて、自分の幼少時代に住んでいた平屋の集合住宅を思い出した。10戸弱の平屋が集まったそこは、住民だけが使う私道に面していて、その道は砂利敷きで車もほとんど通らなかった。奥には小さな公園があった。隣同士は生け垣で分けられていたと思うが、お隣の家にそのまま抜ける抜け道のようなものがあった記憶がある。子供だけが通れるような抜け道。一緒に遊んでくれるひと周り上のお姉さんがいたり、一緒には遊ばないけど当時はすごく大人に見えたお兄さんがいたりしたな。夏祭りが近くになると町内会のおじさん的な人が主導して、お向かいの神社の境内で踊りの練習をした。最後にはアイスが配られた。すごくいい思い出。いまのマンションではこういう関係性は生まれないよな。実際今住んでるアパートでは、隣のドアが開く音がすると、ちょっとタイミングをずらして出ようとする自分がいる。

この日は、1日中マスクをしていたのも災いしたのか、頭痛が酷く早めに就寝。なのに、夜の暴風で一度目が覚めてしまった後はなかなか寝付けず。そして翌日は停電。そして暴風雨。

今回お世話になった宿「WEEK」
シンプルで使いやすい部屋

二日目

田瀬さんが「大埜地の集合住宅」に込めた想い

雨風が強く屋外に出られないので、日中はほとんど宿の母屋にて田瀬さんの話を伺う。「大埜地の集合住宅」は中学校の寮として使われていた鉄筋コンクリートの建物の跡地に建てられている。驚くべきは、解体した鉄筋コンクリート構造物のコンガラを全て敷地内で利用しているということだ。田瀬さんは、東京のことを、スクラップ&ビルトを繰り返すコンクリート砂漠と言っていたな。本当にそう思う。開発というのは、その場が以前よりよくなるのもじゃないと、とも言っていた。今の開発はどうだろう。サステイナブルを謳っている都会の高層複合施設などは、それが壊される時のことを考えているのかな。その廃材はその場でサステイナブルに利用できるものなのかな。田瀬さんは、元の建物のコンクリートを見えるように使っていた。センスが良すぎて、コンクリートが見えていてもとても美しく見えるのだが、敢えて見せるのは何か訴えたいことがあるんじゃないかな。想像でしかないけど。

敢えて残しているコンクリート
所作が美しく見えるのはなぜ?
粒度調整したコンガラを蛇籠に詰めて土留めとして
コンクリと石の対比
基礎梁のコンクリもステップとして再利用

あとは、鮎喰川の大切さについてもお話してくれた。
今、川沿いを歩くには国道沿いを歩くしかない。昔は対岸も歩けるようになっていたが、今は中学校やビニールハウスの敷地が川辺ギリギリまで迫っていて近づけない。「大埜地の集合住宅」では、もう一度鮎喰川の方向をみようと設計したそうだ。それは図面の向きにも現れている。通常は図面というのは北を上にするのだが、今回の田瀬さんの図面では東が上になっている。これは鮎喰川が敷地の東にあるからだ。川の方向をみようと。町民の鮎喰川への想いを育てるという気持ちだ。

文化橋から鮎喰川を望む

町民の方々の鮎喰川への想いは、滞在中にも少し感じることができた。というのも、宿に置かれていたシャンプーも、かま屋のトイレに置かれていたハンドソープも、生物分解性の高い石鹸ベースのものだった。

かま屋のトイレで使われていた石鹸ベースのハンドソープ

もちろん浄化槽を経て川に排水しているのだが、川への負担を少しでも小さくという想いをなんとなく感じた。

田瀬さんはもっと色んなことをお話してくれたが書ききれないので、心に残って書き留めておいた言葉をここでも。

「小さい現場ほど、微細な部分が大事」
「素手で土を触ると、土の湿気とか全然違うのがわかる」
「境界線を突破するのは大変。でもいつでもそれを目指していかないと」
「車止めがないと、そのつもりで運転する。意識の問題だけ」
「セミのように車を止める」
「シンプルになっていく=思惑を捨てていく」

田瀬さんが語るランドスケープ・デザイン 

夕食後は田瀬さんの講義。ランドスケープに対する田瀬さんの思いをお話してもらった。題目は「Passive Architecture & Active Landscape with Nature」。
大きいものから小さいものまで、色んな事例を紹介してもらったが、田瀬さんがそれらをデザインする上で大切にしていることは、日常性・社会性・地域性、この3つを合わせ持つデザインをすること。今日、西村さんの著書を読んでいたら、それを説明する良い言葉を見つけたので引用しておく。

ランドスケープ・デザインはいつが完成時なのかよくわからないし、どこまでが建築家によるもので、どこまでが植物や自然のはたらきによるものなのかもわかりにくい。形というより、人と人、人と自然、人の社会の関係をつくってゆく仕事なのだと思う。

「ひとの居場所をつくる」から引用

三日目

最終日の朝はかま屋での朝食から。朝粥は鶏のお出汁がよく効いていてすごく美味しい。天気もよかったので、外のテラスで頂く。今日でみんなとお別れかと思うと寂しい気持ちになる。まだあまり話せなかった方と積極的にお話してみる。色んな経験を積んできている人のお話は本当に面白い。

かま屋のテラスで食べた朝粥

今を実感するための学び(NPOまちの食農教育/樋口さんより)

最終講義は、NPO法人まちの食農教育の樋口さんから。神山町には小中学校の他、農業高校もある。その先生たちや生徒さんと一緒に神山町と食と農について考えて実践していく活動を行なっている。高校のカリキュラムには、食と農についての考え方が表れている。

徳島県立城西高等学校神山校HPより

地域の農業と景観は密接に繋がっているし、農業は食そのものである。2019年から高校生が3年間取り組んだ「まめのくぼプロジェクト」は、その過程が冊子として記録されている。このプロジェクトでは町内の休耕地を使って、高校生が在来の神山小麦を育てて消費者へ届けるまでを一気通貫して体験する。小麦を育てるといっても、まずはその畑の石積みからはじめるのだ。獣害対策用の柵も高校生がつくる。

高校生がつくった、まめのくぼプロジェクトを紹介する冊子


食農教育とは、実生活につながる学びだと樋口さんが伝えてくれた。それに併せて西村さんが伝えてくれたのは、「いつかのための勉強じゃなくて、今のための勉強。今、生きているという実感を求めるということ。」という言葉だ。これは、高校生だけじゃなくて自分にも当てはまることだ。すてきな言葉をありがとうございます。

この学びをどう活かすか

というわけで、あっという間の3日間だった。この学びを通じて、自分はどうしていくのか。すごく具体的になってしまうけど、今考えているのはこんなこと。

■ 益子の雑木林や竹林の整備を主体的にやってみる
お役目を終えてどんどんと荒れ果ててゆく雑木林や竹林のことがとても気になっている。こういう場所に手を入れてゆきたい。日常性・社会性・地域性にそれぞれの視点で考えてみると、日常性的に訪れたくなる場所にしたい。小学生が学校の帰り道の近道として林を抜けたりできる環境に。社会性としては、ゴミの不法投棄の場所となってしまっている問題を解決したい。そして、エネルギー問題やゴミの問題が顕著化している今、燃料として、素材として小さく使えることならできると思う。それを可能にしたい。地域性として、地域のランドスケープをつくること。地域の有機農家さんと繋がって堆肥づくりなんかを一緒にできたら楽しいと思う。

■ 益子の雑木林のゴミ拾い
日頃から林の中に捨てられている生活ゴミがとても気になっている。ゴミ拾いはしているが、全てを拾いきることはできないし、廃棄するのにお金のかかる古タイヤなんかは、なかなか処分できない。生活ゴミが捨てられる社会的背景もあると思っている。今、徳島上勝町に滞在しているのはそういう目的もある。ここでも色んな学びがあったので、これは別途記録したい。神山での大南さんの小さなプロジェクトのように、些細な活動から地域のゴミへの関心が数年後、数十年後に大きくなるようなきっかけがつくれるといいかも。なーんて。

最後に、コロナ期間で人に会うことが憚られていた期間、気づくと人と会話をすることが少なくなって、自分の考えを話す機会を失っていた。そんな時に、この西村さんのプログラムを見つけて、その企画に書いてあったのは、オンラインでの開催はしません、という文言だった。そういう企画を心がすごく求めていたように思う。リアルで話すこと、一緒の場にいることで学びが深まったし、何よりも参加者の方々との会話もとても楽しかった。
それもあってか、こうやってやりたいことが明確になって人に伝えられそうなレベルにまで達した気がする。
このプログラムを企画してくださった西村さんと田瀬さんをはじめ、お話をしてくださった皆様や神山町の今回お会いしていないけど関わってくださった皆さまに心から感謝しています。本当にありがとうございました。


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