見出し画像

徳島不思議百物語 第3回「しゃべる妖怪石・おっぱしょ石(後編)」

第3回 しゃべる妖怪石・おっぱしょ石(後編)

 前回、おっぱしょ石伝承の歪みと変容に関して指摘させてもらった。力士が(おっぱしょ石とされる)墓石を背負ったと言われているが、それは勘違いであり、力士ではなく“力自慢の男”であり、しかも、本当のおっぱしょ石は、朝日岩という“力士の墓”であったというのだ。さらに、驚くべきことに平成初期に亡くなった筆者の祖母は、「本物のおっぱしょ石は、(南無妙法蓮華経と書かれた)現在の墓石ではない」と断言したのだ。

 では“本物のおっぱしょ石”とはいったいなんであったのか、現地調査も含め少々考えてみた。まず今から十年前、筆者の友人で郷土史家の多喜田昌裕氏が調査をした際、おっぱしょ石の前に「おっぱしょ石の供養碑?」があり、その供養碑を建立した夫婦の墓があると聞き取りを行ってきたのだ。その祠には、妻は「おくら」夫は「ゆういち」と書かれているという。

ここから先は

1,744字

¥ 100

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?