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WEBライターとしての書評の仕事の難しさ

 今回はライターの仕事の話。
 ふだん、仕事では文芸の話題を中心にWEBコラムを書いています。ちょっと批評寄りの書評がほとんどで、ぼくの守備範囲は日本の現代文学や海外文学などを得意としている感じです。
 最近ではUNLEASHという媒体で書評コンテンツ全体をわりと自由に(!?)任せてもらっています。自分の書評はもちろん、他のライターさんの書評の編集や選書などもやっています。

コスパが悪い「書評」の仕事

 さて、noteにはWEBライターの方が多くいらっしゃると思うのですが、書評の仕事というのは基本的にコスパが悪く、せいぜい2000字程度の記事であっても準備にむちゃくちゃ時間がかかります。
 どれだけ読み込むかは人によるのですが、対象となる本だけでなく、その作家の過去作や関連した作品、文芸批評、歴史の整理など、やりだせばキリがないです。ただ、記事のクレジットが自分の名前ででる以上、手を抜くわけにはいきません。

注:小説の翻訳について、多和田葉子を題材に検討した記事。たぶん今までで一番手間暇かかった書評。

 また、仕事や個人でやっているブログなどで書評を扱っているとなんとなく「本は売るのが難しいんだな……」という現状を薄ぼんやりと感じることもあります。
「本は」という主語はぶっちゃけぼくの肌感で使うのには大きすぎるのですが、書評記事というのはメディア的にみてそこまでPVを稼げるコンテンツではありません。これはぼく自身の腕の問題ももちろんあります。
 しかしよくよく考えてみれば、芥川賞や直木賞の受賞作や村上春樹の新作などであれば景気良く何十万部も刷られるわけですが、そもそも現代文学(純文学)や海外文学は本自体の発行部数が1万を超えるものはなかなかないといいます。そして(あまり信用しないで欲しいのですが)実売は発行部数の4割〜5割程度という話もちらほら聞きますので、「その本に関心を持つ可能性がある人の数」はだいたい発行部数くらいかなと思います。感覚的な話ですが。

つまり、ちょっと下品な言い方をすると、「書評で稼げそうなPV」は(メディアパワーやライターの拡散力を無視すると)刷数4000部の本であればだいたいMAX4000くらいかな、とぼくは見積もっています。数字だけでいえばこれはメディアとしてめちゃくちゃにコスパも悪いと思います。
 ぼく自身、UNLEASH以外でも書評企画の持ち込みはよくしているのですが、ほぼ全てボツになります。数字だけでなくメディアのカラーもありますが、手間暇やコストに対して得られる定量的価値が極端に低いことがその理由かもしれません。

書評・批評の役割とは

 ただ、ぼく自身はやはり現代文学や海外文学を読み漁り、その魅力に取り憑かれてこうして文筆業をはじめたわけです。数字だけを求めるなら書評は「タイトル あらすじ」でゴリッゴリのSEO記事を量産することが最も生産的ですが、それはあんまりだな、と。
 ぼくにとっての読書の魅力は、それ自体の創造性です。
 小説の実作などやっていると特に実感するのですが、自分が書くものというのは、これまでに読んできたものの影響が避けがたく発露されます。つまり、何を書こうとも何かの「二次創作」という性質は捨てがたいわけですが、しかしそれは悪いことではないです。
 そう考えると「読書」は「実作」とほとんど変わらない行為です。
 たくさん読んでいると、目の前にある文章がまるで自分が書いたように感じられるみたいなことがあるのですが、それはじぶんのなかに蓄積された「読書」という創造性が結晶化された瞬間だとおもっています。
 それがなんの役に立つかと聞かれたら、まぁなんの役にも立たないわけですが、「読書」と「実作」の間にはなにか得体の知れないものは存在していると思います。そのよくわからない存在を知るためにも、書評や批評が必要だとぼくは考えています。書評や批評は、「読書」と「実作」、つまり「読む」と「書く」という表裏一体の行為の中間にあるものと解釈できる……はず!

 このあたりのはなしは野暮ったいので、過去にぼくが書いた書評を読んでくだされば雰囲気は伝わるかな……とおもいます。

今日のまとめ

 書評の仕事をください!!!!!!


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