「書評10本原稿料5000円」がなぜ起こるのか?についての私感
現在、仕事がまったくないわけじゃないんだけれど、進めている仕事がどれも中長期的な企画であり、それもまだ正式に通るかどうかわからない。決まったらわりとおもしろい告知ができそうなんだけれど、しかし目先の収入がとにかくヤバいので短期的に稼げる仕事を探さなくてはならなくなった。「このままでは貧困のために仕事ができない」といった、倒錯的な問題が起きている。
ぼくはそもそも作家(と他人に呼んでもらえるようになるまで)をやる前はWEBライターやアフィリエイトで生計を立ててして(今も無記名記事の制作などはしている)、経済的な危機を迎えるたびにネットで記事制作の仕事(ネットドカタとぼくは呼んでいる)を探す。条件が良い仕事なんてなかなか見つからないものだが、先日書評の仕事を探していると見つかったのがこれだ。
どうやらこの案件は1本2000字〜4000字の書評らしく、ぼく自身が同様のオファーを受けると相場はだいたい1本2万円(税別)が相場だ。それが「10本5000円」なんて死人が出るぞ……というくらいヤバい価格設定なんだけれど、これについてもう少し詳しく述べたいと思い、今回この記事を書いてみることにした。
ちなみに過去にもライターとお金の話を書いているので参考までにどうぞ↓
書評の仕事量
まず書評を一本書くのにかかる手間について。先に言っておくと、2000字〜4000字の文章を書くのに時間はそんなにかからない。むしろ時間がかかるのは、文章を書き始める前の段階だ。
まず、書評を書くには当然だけれど本を読まないといけない。
読書系WEBメディアにありがちなのは「読書=楽しい」の前提ゆえに、書評対象の本を読むということを労力として加味されていないというケースだ(とはいえ断定できるようなものでもないんだけれど)。
読む時間は本の長さ、ジャンル、難解さなどによってかなりかかるけれど、どんなに急いで読んだとしても、ぼくの場合は書評をかけるイメージが固まるまでに1冊あたり半日〜1日かかる。他のひとがどうかはぼくも聞いてみたいところだけれど、大事なのは「(もともと読んでいた場合を除いて)書評の依頼を出して翌日に上がるようなことはまずない」ということだ。
もっと言えば、書評を1本書くにあたって「対象の本だけ読めばいい」というのがまずありえなかったりする。紹介するにあたり著者の他の本、同時代同ジャンルとの比較など、対象書籍の位置付けまで行うならさらに時間はかかる。参考までに、ぼくが書いた書評の例を挙げる。
以上を踏まえると、月に稼働できるのが20日だと仮定したら「月に書評10本」はそのライターの業務時間を全部奪う程度のコストがかかると考えてちょうどいい。そこから逆算してもらえれば馴染みがないひとでも「書評10本5000円」のヤバさが想像しやすいだろう。
書評の価値をどう決める?
もちろん、原稿料は書き手側の都合だけで決めていいわけもない。仕事である以上、原稿によって依頼側に利益が生まれないといけないわけだし、想定される利益から原稿料を査定するというのはビジネスであるからにはしかるべきだ。
WEBメディアの利益構造で主要なのが「広告」と「自社サービスのユーザー獲得」。そしてこれらに直結する数字がPV(閲覧数)やコンバージョン(成約率)などいろいろあって、WEBメディアの利点とはこれらの数字が結果としてきっちり出ることだ。
これによって、「書評記事を出すことでどれだけの利益が得られるか」をある程度具体的に想定できるようになる。特に WEBメディアだとTwitterのフォロワー数が原稿料の査定要素のひとつになる場合もあるが、これはどの程度の記事拡散が見込めるかの定量指標になるからだ。
予算について話をもどすと、広告とはいえ単価やら報酬制度がいろいろあるのでここでは割愛するけれど、一般に書籍紹介による利益はネットビジネスのなかでもかなり低い。それなりに影響力の大きなメディアであれば大手企業とのタイアップ企画などで潤沢な予算を確保できたりもするけれど、新興メディアであればそうともいかず、個人的には1本5000円くらいが出せていいところ……という肌感がある。(ちなみにぼくはこの価格で仕事を受けると「働くことでより貧乏になる」ので、よっぽど縁のあるクライアント以外は受けないことにしている)
そうした事情からか「あんまり手間をかけなくてもいいですよ」的なこともよく言われるのだけれど、それはそれでこちらの不利益につながるのでむずかしい。
なぜ手を抜けないのか?
物書きとして収益を伸ばす方法は主にふたつある。
1:記事の単価を上げる
2:寄稿先を増やす
これはあくまでも基本的な戦略であり、現在ではたとえばnoteなんかで有料記事を売ったり電子書籍を作ったりなど、書き手自身が執筆から流通まで全部やるような方法もあるけれど、ここでは上記のふたつについてだけ考える。
またややこしい話になるのだけれど、物書きの仕事にもいろいろあって、ぼくが無記名でやっているようなクライアントのメディアを作っていくWEBライターの仕事と、大滝瓶太としてやっている文芸的な書き仕事では求められるスキルがまるで違う(個人的に前者はめちゃめちゃ苦手……)。ただどちらもクライアントが求めるものを文章によって実現しなければならないと言う点では同じで、その結果が「記事単価が上がる」や「依頼が増える」のにつながる。
無記名のWEBライターは実績として書いた記事を公表できないケースがあり、収入を増やすためには現在のクライアントとの結びつきを強くしていくのが特に重要になる。仕事の成果に応じて昇給してもらったり、クライアントが新たに起こすメディアで起用してもらったりするうちにだんだん稼げるようになっていく感じで、わりと会社所属に近い感じのキャリアになるとぼくはおもう。
対して記名記事を出していく場合は、「じぶんがどんな書き手なのか?」というブランディングがめちゃくちゃ重要になる。この方向で物書きを目指す場合に「そんなにみっちり書かなくて大丈夫ですよ」と言われて困る問題が発生する。どんな条件であっても、それがじぶんの名前の記事として出る以上、じぶんのキャラクターと違うことをしてしまうと「○○はこの程度の書き手なんだ」と見なされてしまうリスクがある。こう思われてしまうとかなりダメージが大きく、同様の案件で仕事が取れなくなる可能性さえ生じてしまう。
これは物書きに限らず、どんなフリーランスでも同じだろう。フリーランスと会社員の大きな違いは「失敗しても守ってもらえない」ことで、会社だったらOJTとかで新人は現場のなかで失敗を経験しながら一人前になれる成長モデルがあるのに対し、フリーランスでは新人ほど失敗が許されない。一度失敗するとその会社からもう二度と仕事をもらえないなんてことも珍しくなく、軌道に乗る前に廃業してしまうケースが後を絶たないのもうなづける。
「書評10本5000円」に限らず、低単価の案件では「未経験者歓迎!書きながらスキルを身につけられますよ」とはいうものの、そうした案件があまりにも多いがゆえに原稿料デフレが凄まじいことになっている。
これは物書きの仕事に誰でも参入しやすくなった反面(ぼくもそのおかげで文筆業をはじめられたようなものだ)、ある程度「書ける」物書きが仕事に不自由さを感じたり、低単価で仕事を受けざるをえず経済的に苦しくなる……ということを引き起こしているのかもしれないと思った。
原稿料の最低賃金みたいなものを決めて欲しいものである。現状、WEBライティング業界の報酬はなんでもアリになりすぎているので、統一制度が設けられると、長い目で見れば健全化するような気がする。
まとめ
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