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花譜とその不思議な魅力について

にほんのどこかにいる19さい。

https://www.youtube.com/@virtual_kaf/about

音楽を中心とした活動を行い、先日5周年を迎えたVTuber/Vsinger、花譜。
これは、花譜公式YouTubeチャンネルの概要欄に書かれている一文(2023/10/23現在)である。私はこの一文に花譜のVTuberとしての在り方がよく表れているように思う。

ここでは、花譜の存在をVTuberの中に緩く位置づけ、またその表現を考えることを通じて、その魅力の再発見を試みたい。




※VTuberに関連する多少メタい話をしています。ご注意ください。






VTuberについて・その分類

花譜について書く前に、VTuberという言葉について少し考えたい。VTuberというコンテンツは現在非常に大きく発展し、その在り方も多様化している。よってそれをただ一つの括りとして考える事には少なからず無理が伴うだろう。
数多いVTuberをどのように区別し分類するか、ということには多くの考え方があるが、ここでは大きく以下のように分類したい。即ち、

  1. 強い世界観をもつもの

  2. 弱い世界観をもつもの

  3. 世界観をもたないもの

の三分類である。
以下に、それぞれについて例を挙げつつ説明する。

1.強い世界観をもつもの

これはほとんど決して崩れてはならない強固な世界観をもつVTuberであり、代表例にキズナアイたち多くの初期VTuberを挙げることができるだろう。

あるいはアニメキャラクターが3Dアバターを纏って活動しているもの、たとえばウマ娘のゴールドシップやモンスターストライクのアルビレオ、Project:;COLDの都まんじゅうの面々などもここに分類できる。(それらをVTuberと呼ぶかどうかは、中の人たる声優の存在が明示されているという点で意見が分かれるだろうが)

キズナアイは好きな食べ物を聞かれた際に「AIだから食べれない」と解答するなど、自身の世界観(設定と言い換えてもいい)を強く保とうとしている。(これを書いていてYOASOBIの「アイドル」の冒頭歌詞が思い浮かんだが、この世界観の話は非バーチャルのアーティストにも敷衍できるのかもしれない)

2.弱い世界観をもつもの

一定の世界観の内側に存在するが、その世界観が多少崩れても構わない、あるいは崩れることによって新たな魅力を生みうるVTuberをこう分類したい。

月ノ美兎さくらみこに代表されるにじさんじ、ホロライブのライバーにはじめ、現在活動している多くのVTuberがここに含まれる。
有名な例を挙げると、例えば月ノ美兎は女子高生であるが、ラジオ配信にて「未成年に間違えられる」旨の発言をした……といったものがあったり、にじさんじの公式番組「にじさんじのB級バラエティ」では自身の羽で空を飛べるでびでび・でびるのぬいぐるみがあえて低いクオリティで隠された糸に吊るされている、といった演出があったりする。

特に「バーチャルライバー」などと呼ばれる配信者は主にここに分類され、現在のVTuberのメインストリームはここにあると私は考えている。

3.世界観をもたないもの

バーチャルの身体で活動しているがほとんど一切の世界観設定をもたないものがここに分類され、普段実写あるいは声のみで活動している人が新たにバーチャル体を纏った時(例:まふまふ)や、シチュエーションボイスといった形で他にキャラクターを纏うことの多いASMR配信者(例:こりす)などがここに分類できるほか、VTuberという存在が一般的になった最近に生まれた個人勢配信者の多くはここに含まれるだろうと思われる。(企業所属のVTuberは先にキャラクターを生んでから魂募集などをすることがあることもあり、あまり多くないイメージがある)


例として挙げた活動者からも察せられるとおり、1.<2.<3.の順でより「非バーチャル」であり、より実写配信などを織り交ぜた活動をしている傾向にあることが分かる。(というのも、特に1.のような強固な世界観をもつものは、一切「中の人」を感じさせることが許されないのだから、当然のことである)


花譜と彼女の物語

さて、花譜の話に戻ろう。
私は、花譜(を含めたV.W.P)の面々は「3.世界観をもたないもの」に分類されると考えている。

2.ではないのか? とお思いになった方もいるだろうし、私も少し迷った。ライブなどで披露された小劇「御伽噺」やクロスメディアコンテンツ「神椿市建設中。」には確かな世界観が構築されているし、さらにいえば神椿スタジオ公式サイトの「WORDS」の欄には、

物語
KAMITSUBAKI STUDIOが音楽と同時に産み出そうとしている作品群の総称。

https://kamitsubaki.jp/words/page/4/

とまで書いてあり、「物語」が神椿にとっていかに重要な因子であるかわかるだろう。

しかし、上述のものはあくまで「花譜が演じた物語」であって、「花譜」自身の世界観とは異なるものであると私は考えている。それらのストーリーによって花譜自身が大きく変容することはないからだ。


VTuber"が"演じる

ここで、「VTuberが演じる」ということについて考える必要がある。
上の分類で1.あるいは2.に分類されるVTuberは元々ある種演じられた存在であるが、自身をその世界に確かに存在するものとして扱い、我々視聴者もその前提を共有し受け入れている。舞台上で「ともに演じている」と言ってもいい。私はその「演じ」を受け入れることがVTuberのリスナーたるに必要な礼儀だと考えているがそれはともかく、その存在を確立することによってVTuberを実在人物と同様に扱うことが可能になる。このプロセスを経ることによって、「CV:VTuber」が存在し得る。

それが最も顕著に表れているのはにじさんじのメディアミックスプロジェクト「Lie:verse Liars」だろう。
他にも例えば電音部プロジェクト(「瀬戸海月 (CV: シスター・クレア)」など)や、数々のTRPG(のなかでも特にロールプレイを重視したある種の劇のようなもの)、そして「森先化歩(CV:花譜)」を挙げることができるだろう。


花譜の存在の在処

では、花譜自身はどのように扱われているのだろうか。
これは神椿のバーチャルアーティスト(V.W.Pの五人、CIEL、存流、明透(、VALIS)を指したい。)におよそ共通して言えることだが、神椿の目指している境地は決してVTuberの内側にあるものではない、と私は考えている。それらは常にバーチャルとリアルの関わり合いの中に成り立つものであって、バーチャルの身体の「中の人」を示すことを厭わない(これは一般的なVTuberの在り方に逆行しているようにも思われる)。


花譜というバーチャルが自身の世界観を持たない、とする最大の根拠が、冒頭の引用と同じ概要欄にある。

Singer KAF traverses virtual frontiers using the time-tested power of the human voice. The 19-year-old Japanese artist presents as a digital anime-style avatar, but her music centers the creativity and expression only capable from a real person. She started sharing covers and original songs on YouTube in 2018. Her avatar and reality-meets-digital music videos caught attention, but it was KAF’s creations themselves that made a deeper connection.

https://www.youtube.com/@virtual_kaf/about

重要なのは二文目である。「a digital anime-style avatar」で表現される彼女が「but, …a real person」であると書かれているのである。
「but」である。この一単語がなければキャラクターとして在る花譜を実在人物として扱っているという風にも取れうるが、逆接で繋がれることによって確かに「花譜」という表象の内側に存在する「中の人」を明示している。
これが示すのは、花譜という存在がその「中の人」たる彼女(以後、バーチャルアーティスト「花譜」と区別する意味で「彼女」という語を使う)に絶対的に依拠した存在であるということだ。


だから、花譜自身の物語は彼女によって直接的にもたらされる。設定年齢が実年齢と同じだったり、実際の身長に合わせて3Dアバターの身体がだんだん大きくなっていったり、高校受験のために活動を休止したり、冠ラジオ番組「ぱんぱかカフぃR」のサブタイトルが(上京編)などと彼女自身の状況を反映したものになっていたり(概要欄に「リアルストーリー」と書いてある)……。これは自然なことではあるが、バーチャルに限定して活動するVTuberとしては少し珍しい。(極論その全てが緻密に作られた設定である、という可能性も0ではないが。その不確定さが仮想に身を包むVTuberの魅力の一つであるとも思う)


『わたしの声』

このことは、花譜という存在のアイデンティティを強固なものにすることに繋がっていると私は思う。
VTuberの魅力の一つは現実にはできない身体変化表現を可能にすることであると私は思っている(例:鈴木勝ASMR形態)が、花譜も非常に挑戦的な形でそれをしている。『わたしの声』のMVに登場する非常にリアリスティックなアバター、「バーチャルヒューマン花譜」だ。おそらく、この表現を許容できるVTuberは少ない。

このMVの舞台は“ここではないどこか”。このMVの舞台は(たぶん)高クオリティの3DCGである。
他方、花譜はそのオリジナル曲MVの殆どやインスタグラムの投稿において、渋谷を中心とした現実世界の映像や画像と3Dアバターを合成することによって花譜自身が現実世界に存在するような表現をしている。
よりバーチャルな体とリアルの景色、よりリアルな体とバーチャルの景色。ここにも、リアルとバーチャルを越境しうる花譜の存在が表れている。


音楽的同位体・可不

もう一つ神椿が行っている挑戦的なプロジェクトとして、音楽的同位体プロジェクトが挙げられる。音楽的同位体とは花譜たちV.W.Pの声を基にした合成音声ソフトの総称(よくわからない方は「ボカロみたいなやつ」と認識いただければ間違いない)で、花譜の音楽的同位体「可不」はその第一弾として誕生した。
私の知る限り、音楽活動をメインとする活動者によりここまで大々的に合成音声ソフトが制作されるのは可不が初めてだ(後進として夢ノ結唱があったりする)。

可不の開発中、一つのアンケートが行われた。アンケートの内容は「この2つの声のうち、どちらが良いと思うか?」といったもので、2つのボイスは、私の体感で大雑把に言うならば「花譜に近い方」と「機械っぽい方」だ。
リスナーアンケートの結果としては、前者の「花譜に近い方」がより多くの票を獲得したが、花譜を含めた神椿側による最終的な判断により後者が採用され、現在知られる可不が生まれた。

上で引用したTwitterの花譜のメッセージでも触れられている通り、ボーカリストにとって合成音声ソフトは諸刃の剣になりかねない、という考えもある。しかし花譜自身はそのメッセージ内でそれを否定し、その根拠として「私には心がある」と表現している。
あまり長く書くのも無粋な気がするから簡潔に書くが、この「心」こそが彼女と「花譜」を貫くアイデンティティといえるのではないか。


仮想と現実の世界

『わたしの声』の項で、花譜はリアルとバーチャルを越境する存在だと書いた。ここに、それに関連する2つの引用をする。

わたしだけのうた。みんなとわたしだけのうた。この世界の誰かの為のうた。
仮想世界からあなたへココロを込めて。

   『忘れてしまえ』 https://www.youtube.com/watch?v=2Nj1l-S2FJU 

わたしだけのうた。
みんなとわたしだけのうた。
仮想世界からあなたへ。

『過去を喰らう』 https://www.youtube.com/watch?v=tMKrECxEpq8

2つの楽曲の概要欄だ。ともに花譜が「仮想世界」にいて、そこから現実世界の私たちに歌を届けているといったように読み取れる。

しかし、『忘れてしまえ』においてはそれと同時に「この世界の誰かの為のうた」ともある。

私は「この世界」とは現実世界を指しており、「誰か」=「みんな」=「あなた」が私たち観測者(を含めた現実世界の不特定人物)であると考えた。
花譜が「仮想世界」と現実世界の両方に同時に存在しているような印象があり、まさにリアルとバーチャルを越える在り方を表しているといえるだろう。

(「この世界」が仮想世界を指し、「誰か」が花譜/彼女を指していて、私たち観測者に向けた歌であるのと同時に彼女自身に向けた歌でもある、といったようにも取れる気がするがうまく言葉にできない)


楽曲概要欄に関連して、『過去を喰らう』以降多くのオリジナル楽曲の概要欄には同一の文言が使用されているが、『quiz』以降では次のように一文が追加されている。

わたしだけのうた。
みんなとわたしだけのうた。
仮想世界からあなたへ。
物語をつむぐよ。

『quiz』 https://youtube.com/watch?v=n0ov2G-_UvU

この文中の「物語」が、神椿の「物語」という語のなかでほとんど唯一「花譜自身」、「彼女自身」の物語を表していると私は思う。
御伽噺や神椿市とは異なり(あるいは、大きな程度の差があって)、オリジナル楽曲は彼女のアイデンティティと密接に関連しており、彼女自身の変容に従ってその形を変えていくものだ、と思うからだ。


まとめ

ここで冒頭の引用を思い出したい。
花譜がいるのは「にほんのどこか」。それは紛れもなく現実世界にあり、同時に何処か分からない仮想性を持っている。

花譜は仮想世界にいて、彼女は現実世界にいる。
時に仮想世界を表現し、時に現実世界を拡張する。
二つの世界に遍在して、その架け橋となる可能性を湛えたアーティストである。

バーチャルとリアルの垣根を越えるべく奮闘中。

https://kamitsubaki.jp/artist/kaf/


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