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彩りを添える

雑踏と低い天井のせいで、なんだか息苦しい新宿の地下道。
行き交う人々の波から出たくて、偶然目に入った伊勢丹の看板に吸い寄せられる。

最近気づいたけれど、私はけっこうデパ地下を彷徨うのが好きなんだと思う。
香ばしいバターの香りが漂う洋菓子ブースのほうを見遣ると、小さな手で母親の手をしっかりと握りながらショーケースに顔を近づける3歳くらいの女の子がいた。
私も小さい頃、父親と2人で街へ出かけるときは決まっていつも大丸の地下に行って。艶やかなコーティングが施されたチョコレートケーキに目を奪われながらも、迷子にならないように父の大きい手を握りしめていたことを思い出す。
そういう思い出があるからなのか、大人になった今でもデパ地下を歩くとなんとなく心が躍るのだ。

色とりどりのマカロン、ずらりと並ぶワインの瓶、ブーケみたいなサラダに豪快なお肉のかたまり。
次から次へと鼻腔をくすぐる香りの誘惑と闘いながら奥へ奥へと歩みを進めると、生鮮食品売り場に辿り着いた。

雰囲気は一見ただのスーパー。でも、さすがはデパート。並べられた一つ一つの商品をよく見れば、見たことないくらい小さいトマトやらカラフルなカリフラワーやら、珍しい食材の宝庫だ。特に、ほぼ毎日何かしらのタイ料理を作っている私にとって、バナナの葉っぱやアカワケギ、レモングラスがいつも手に入るのはとても嬉しい。

今日の夕飯を何にしようか迷いつつフレッシュハーブのコーナーを2往復くらいしていると、いつもならスルーするエディブルフラワーに目が止まった。1パック約400円。小さな丸パックに優しく詰められた、鮮やかな花たち。
エディブルフラワーなんて大して味もしないし、別に無くたって困らない。“飾り”に400円はちょっと高いような気もする。けど、日常にさりげなく花を添えるような生活っていいな──なんて考えが、急に頭に浮かんできたのだ。

さっそく家に帰って、ジャスミンライスと鶏胸肉をコトコト火にかけた。
その間に、ナンプラーと醤油、ごま油、砂糖、ライム果汁、隠し味のスイートチリソースなんかを混ぜながら適当にタレを作る。それから、買ってきたエディブルフラワーをさっと水で洗った。
キッチンが食欲をそそる生姜の香りで満たされたら完成だ。

いつもと同じように作ったはずなのに、お皿の端っこにたった2つエディブルフラワーがあるだけで、料理がハッと目を引く仕上がりになった。
まるでオシャレなカフェに来た気分。

エディブルフラワーは冷蔵庫で1週間ほど保存できるらしい。
せっかく買った綺麗な花たち。ひとり暮らしならどうしてもやらかしがちな、使い切る前に冷蔵庫の中で熟成させてしまうという失態はなんとしても避けたい。
それから私は、いつもの食事に花を添える生活を始めた。

カイジャオじゃないほうのエスニックオムレツ
花のおかげで辛うじて映えそうな、映えないカオソーイ
散らしてみたフレンチトースト
魯肉飯と、王府井の焼き小龍包と、荒ぶる箸と。
目玉焼きまでお花っぽいナシゴレン
前日から仕込んだガイヤーン

シャインマスカットを1人でひと房つまんだり、ドゥーブルフロマージュをホールで一気に食べたり、分厚いサーロインを焼いたり。そういう贅沢とは違った、さりげない贅沢。
人生なんてほとんどがなんでもない日常の積み重ねなのだから、花に限らず「無くても生きていけるけどあると幸せになれる」もので、なんでもない日常に小さな彩りを添えていけば、きっと人生は豊かになると思う。
どんなに忙しくても、美しいものを見て癒されるくらいの心の余裕は持っていたい。

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