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まっさらな孤独という希望/『斜陽』

こんばんは、瓶宮です。

年始から風邪を引いていたのが、やっと症状が良くなってきました。ごはんを食べるとき、体があったまって咳が出やすくなり、ごはんを食べるどころじゃない咳が出るのがつらかったです。ごはんを食べるところと咳を出すところが同じ器官なの、人体の設計ミスではないか?


太宰治の『斜陽』を読みました!

前から気になっていた作品で、卒論などが落ち着いたので読むぞ読むぞ!でこれ。
まず、タイトルがかっこいいですよね。斜陽。斜めの陽。傾いている太陽なんて、朝日でも夕日でもあるのに、「斜陽」と書くだけでなんとなく夕暮れを想起させますね。なんでだろう。「陽」じゃなくて「日」だったら、朝っぽくなるかな?と思ったけど、「斜日」はなんかダサい。不思議だ。

日の落ちていく夕暮れをタイトルに掲げていることからもその雰囲気が漂っています。そこそこ育ちの良いお嬢さんや坊ちゃん、あるいは庶民と呼ばれるようなおっちゃんたちの没落を描いた作品でした。

生活力のない代わりに美しく散ることのできる人生か、泥水すすって汚く強く生き延びる人生か、おまえはどっちを選ぶ!?
ないものねだり、と言ってしまえばそれまでですが、理想の生き方を追い求めている姿を素直に描写しているのが良いな〜と思いました。

主人公一家は、どちらかといえばお金持ちの貴族の生まれです。お金がなくなったら、着物とかを売っていけば大丈夫!なタイプ。しかし、それも次第に低迷していき、かず子は「まだ家に財はあるけど、働いておかないとこの生活を維持できないかな……」といった感じで、畑仕事に従事するのでした。弟の直治も軍役に出ているようで、生涯を貴族として終えることのできる家族は母が最後だと自負しています。人と争わず、また汚いものを見ることもなく、静かに枯れていく人生。

対して、子どもたちであるかず子と直治は、庶民の生き方を目にするようになります。描写の端々から、彼女たちの中にも庶民の雰囲気が感じ取れます。しかし、直治の場合は庶民になりたかったけどなれなかった。一方で、かず子の場合はもともとその感覚を携えていた人物であるように思います。姉弟といえども、このような差があったことで、生存エンドか否かが分かれてしまうというのがおもしろいですね。直治は、庶民になりたかったけれどどうしてもなれず、その苦しみだけが募っていく中で死を選んだということ、これはある種の救済といえるのか、悲劇と捉えられるのか。どうなんでしょう。

そして、かず子は逆に、もともと庶民的な感覚を持っていたこともあり、下町のカリスマおっちゃんである上原さんに恋をすることで、どうしても生き延びてやるという闘志がメラメラと湧き上がっています。特に、彼の奥さんと対峙する場面で、「こいつらは私のことをこれから敵と認識していくんだろうな……」と高みの見物をしているかず子が、エグい。高みの見物自体は余裕のある貴族ムーブのように見えますが、おまえ、なんなんだ?おまえのほうがよっぽど這いずって生きてんじゃん、という気持ちが拭えません。直治も人妻を好きになっていたようですが、これができなかったわけですから、貴族なのはやっぱり直治なんじゃ……と思います。

母と直治が亡くなり、上原さんがかず子の心から離れていき、かず子が孤独に落ちていくというところで物語は幕を閉じます。個人的には、かず子が上原さんの子を身ごもっていると言っているの、本当か〜?という疑いがあります。とはいえ、いるにしろ、いないにしろ、既成事実を作りそれだけを頼りに生きていくことの持つパワーがどれほどでかいものか。かず子に対して貴族をほのめかす人間が、彼女のもとからいなくなることは、出で立ちによる呪縛から解放されるとも読めるのではないかと思いました。まっさらな状態からの再スタート。

これは、かず子というよりも太宰にとって希望のエンドなのではないかと思います。私は新潮文庫版で読んだのですが、巻末に太宰の年譜や解説などがたっぷり載っていて、『斜陽』という作品に太宰の思惑が投影されていることは間違いないのかな〜と。太宰自身も、太い実家の生まれでありながらそのことに関して悩んでいたみたいですし。着の身着のまま孤独の中にひとり放り出されることを、彼は望んでいるのではないのでしょうか。貴族や庶民といった出身に囚われず、自分だけが頼りにできるものを持って生きる!と思えることが、彼にとって大切だったように思われます。

ただ、かず子の場合、貴族の生まれでありながらそれをネックに感じていないし、マインドとしては貴族がメインだし。その中で、上原さんの子をもつという、自分の中にある庶民の心を育てていくことが、かず子にとってどのようにはたらいていくのかが気になります。なんだか、うまくいかないんじゃないか……。
前述の通り、畑仕事に従事していた経験があることをかず子は自負していますが、ここに泥水すすって苦労をするといったような危機感を覚えることはありませんでした。「田舎の貧乏人だわ〜」と言いながらも、本当にそうなのか?という。貴族というポジションから外れた今、かず子はこれから貧乏人として大苦労をするんじゃないのかという気がしてなりません。考え方として、体を動かして働くということを知ってはいるけれど、実践が全くないわけですから、そうした恐ろしさが潜んでいるなと思いました。もっと言えば、4人の中で最も「庶民に近い感覚を持つ」貴族でありながら、庶民をナメてそう。
陽が傾くことでより明るくなると捉えれば、まっさらな状態での再スタートという希望エンド。しかし、光が強くなるということは、同時に影も濃くなると捉えられます。かず子のこれからの大苦労フラグとも読めるのかなと思いました。  

貴族とか庶民とか言いまくってすみません。語彙が足りない……。


読書おもれ〜!最近は物事が落ち着いてきたので、本も読めるようになってきました。今は大江健三郎の『見るまえに跳べ』を読んでます。気に入ったらnote書こうと思います!

それでは!

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