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就活をすると解像度が上がる

こんばんは、瓶宮です。

おかげさまで、なんとか就活を終えることができました。
言いたいことがあるとすれば、「就活は縁ですから、楽しんでやることが大事だと思います」と言っていた人たち、マリオカートで青こうらを当てられ続けて最終的に8位くらいでフィニッシュすることしかできない人生を送りなさい。

本当につらすぎる!何が楽しいだ?エアプか?

私の場合、自己分析が不足していたというか、自分がどうなりたい/何をして生きていきたいかがうまく見えていなかったなあと思います。どうしても、「えっ、私なんかがそんなふうに生きて良いんですか!?」という気持ちがあったので、そのせいでなかなか軸を定められないという弊害が生じていました。そのせいで、自信を持てと面接官に言われた。

まあ、これくらいにしておいて、この体験した地に足つかないふわっとした不安が比例しているのか、急に作品に対する読解力が上がったように感じられるという話がしたい!!なんで!?!?

私は近現代文学を専攻しているので、近現代文学を読む機会が多かったり、通学中の電車の中で本を読んだり、何かと文章に触れることが少なくはないです(日中仕事していて勉強もしている忙しそうな知り合いより所持している本の冊数は少ない)。
たとえば、「死んだ娘の墓の前で、父親は歌をうたった」みたいな作品があったとして、今までは「あっそう……、寂しいねえ」というくらいのスタンスだったのですが、最近は「あ~~~~~~っ、娘ちゃんは生前歌をうたうのが好きだったもんねえ!他にも墓に訪れる人たちはいるだろうけど、他人から見られることとか関係なく口からこぼれてしまうほど娘を愛していたんだろうなあ、ヒイ……」というくらい解像度が増したような気がしています。

おおかた、就活の不安で脳みそがおかしくなって解像度が上がったのだろうなと思う節はあるのですが、そことそこが繋がるんだという新鮮さがあって驚いています。自分の行く末が決まっていないという漠然としたゆるやかな絶望感に対して、自己決定力がものを言うような感覚でしょうか。たしかに自己決定力は作品において、いつも主題にありますね。アーロンパークで必死にお金を貯めていたナミさんがその希望をあっさり打ち砕かれて、「ルフィ、助けて……」とはじめてルフィを頼る場面とかそんな気がする。

就活など二度としたくないが、そういう自己決定力という点においては有意義なものにできました。と思いたい。本当に、就活は大変だし、就活どころか自分でものを決めてそこに向かっていく力を身につけるのは困難としか言いようがない。よく、追い詰められた作家のつくる作品が傑作になるということを聞きますが、何も決まっていない開けた世界にいる中で自分はこれをやるんだぞという確固たる意思がその作品に現れているのだと考えると、幾分か説得力が生まれますね。



「俺は気持ちよく、うねうね曲がりくねった道を走っていた。前方に影は見えない。芋虫の形を模した車体の後方にバナナを設置しているのだから、もう俺に死角はないのである。わるいが残り一周、優勝はもらった―――」

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