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求められることを求める。そんな恋愛って。

私はいわゆる「メンヘラ」と呼ばれるようなタイプの女性と交際する機会が多かった。

彼女たちは、常に私に向けて100%、いやそれ以上の愛を注いでくれて、私という存在を求めてくれた。

そんな彼女から「もっと連絡が欲しい」「もっと会話したい」「もっと手を繋ぎたい」などなどの要求に応えていくうちに、私はいつしか「求められる」ということに慣れてしまった。

「求められる」のが当たり前の感覚になり、そこに自分の存在意義を見出すようになってしまったのだ。

彼女たちに「求められる」ことで、一種の役割が与えられたような気分になり、承認欲求のようなものが満たされていた。

そして、いつしか私は「求められる」ということを「求める」ようになってしまい、少しでも彼女たちの反応が薄いとショックを受けたり、依存してしまったりしていた。

彼女たちと別れた後で気がついたのは、恋愛は求め合うのも確かにある程度は重要だが、「自律して生きていける2人」という前提の方がより重要なのだということだ。

今、そんな彼女たちとはお別れをして、とても芯のある自律した方と交際し、結婚するに至った。

その人との関係性は、「自律しているが、側にいてくれるとほっこり安心する」ような感覚だ。

無理に何かを求めたり、強いたりしないし、私も、もう「求められる」ことを「求める」ことはなくなった。

今の配偶者との関係がきっかけで、そのように変化できたのだと思う。

恋は刹那的であり、愛は永続的なものである。
そして、共依存は危険である。
これが、私が10代から20代前半で気づいたことだ。

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