あの子に子どもができたんだって知ったとき、私はなぜかこう思った。
中学生の頃に好きだった女性がいる。
その人とは「ちょっと話す異性」以上の関係になることもなかったし、中学を卒業して勇気を出して誘ったデートをやんわりと断れたほろ苦い経験がある程度の距離感だった。
彼女は名門私大の付属校へ進学し、おそらくその大学で知り合ったであろう男性と交際している様子を、たびたびInstagramに投稿しており、たいへん幸せそうだった。
そんな彼女は去年、妊娠していたようで、先日、無事に女の子を産んだことを報告する投稿がなされた。
その投稿を見たとき、僕はこう思った。
素直におめでたい反面、初恋の相手が手の届かない場所までいってしまって、もう交わることのない運命なのだと。
そして「家族」になるのは、自分ではないのだということ。
もし、学生時代からもっとアプローチしていて、デートに誘うのにも成功していたら、付き合えていたら、隣にいるのは自分だったのかもしれないのに、ということ。
そのようなことを、つい考えてしまい、なんて自分は恋愛に翻弄されているんだと情けなくなってしまった。
同級生がじわじわと「父親」や「母親」になっていく。
そんな投稿を横目で眺めながら、自分も同じだけ大人になっていっているのだと気付かされるのだ。
10年以上、片思いしていた気分になると同時に、自分の幼さにも目を向ける機会になった。
やっぱり典型的な「家庭」という幸せの形は、ついつい憧れてしまうな。
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