家族三人の島暮らしをのぞき見る『少女ソフィアの夏』
前回は『聴く女』について、ムーミンを踏まえたヤンソンの新たな挑戦の本であるというお話をしました。今回は、『聴く女』の翌年、1972年に出版された大人向けの本、『少女ソフィアの夏』を紹介します。
『少女ソフィアの夏』は、パパとその娘のソフィア、おばあさん(父方の祖母)が島で暮らす様子を描く22の短編を収めた本です。この三人は、トーベ・ヤンソンの弟ラルス、ラルスの娘ソフィア、母シグネをモデルにしていると言われています。しかし評伝『トーベ・ヤンソン:人生、芸術、言葉』によれば、ヤンソンは「三人がモデルであると言う時もあれば、それをひっくり返すこともあった」そうです。登場人物のモデルについて作家本人のコメントがぶれるのは不思議ですが、現実との関係を否定することで、読者の関心を現実以外の部分に向けようとしたのではないでしょうか。評伝に指摘されるように、おばあさんの生い立ちなどは現実にもとづきますが、物語はフィクションです。評伝の著者ボエル・ウェスティンは、本作を「ヤンソン家の現実世界の枠組みを超えた、家族三人が織りなす物語」であると言い、ヤンソンがこの物語で描きたかったのは「夏」である、と見解を述べています。
さて、読者は『少女ソフィアの夏』に描かれる「夏」とどのように向き合ったらよいでしょうか。前回までに述べてきたように、ヤンソンの大人向けの小説は、ムーミンと比較することで特徴が見えてきます。今回もムーミンとの類似と相違を切り口に考えてみましょう。 評伝では、本作とムーミンとの類似は「島や海や岩場といったムーミンたちの探検の場」や「海辺に寝床をこしらえたり嵐や悪天候に惹きつけられたり」するところであり、「ストーリーそのものにもムーミンたちの影が見え隠れしている」と紹介されています。たしかに島は『たのしいムーミン一家』や『ムーミンパパ海へいく』でも物語の舞台になり、ソフィアたちが思うがままに自由に行動するところはムーミンたちを想起させます。
では、ムーミンの物語と『少女ソフィアの夏』の相違は何でしょうか。おおまかにいえば、「物語の描かれ方」と「読者の立ち位置」に違いがあると考えることができます。ムーミンの物語は災難への対処や登場人物たちの関わりから生じる心情など、何らかの変化を描いています。読者は登場人物の言動や心情を追いながら、登場人物たちとともに過ごすように読むでしょう。しかし『少女ソフィアの夏』は、ソフィアたちの完成された暮らしのなかに起こる出来事の断片を描いています。描写される言動の背景にある出来事や心情は詳しく書かれていないことがあり、読者は彼らの生活を部分的に覗くように読むでしょう。
『少女ソフィアの夏』の短編「ベレニケ」では、ソフィアの友だちが登場し、家族以外の視点が加わることで、ソフィアたちの「完成された暮らし」が浮き彫りになります。ある夏、ソフィアの友だちのピプサンが島にやってきました。ソフィアとおばあさんは、ピプサンを守る秘密結社をつくり、二人の間では彼女を「ベレニケ」と呼ぶことにします。おばあさんはピプサンの美しい髪を見て、「かみのけ座」(※1)の由来となった王妃ベレニケに着想を得てこの呼び名をつけました。
ベレニケは、ソフィアたち家族の生活が「それはそれはみごとな調和」を保っており、彼らの世界に自分の入る隙がないことに恐怖を抱きました。彼女は、おばあさんの勧めで「できるだけこわいもの」の絵を一人で描いて恐怖を克服します。彼女には自分だけの過ごし方を見つけることが必要でした。ベレニケが抱いた気持ちは、読者も感じうるものです。たとえば読者は、ソフィアとおばあさんの議論の意味や、詳細に描写されないパパの心情がわからないときに、ソフィアたち家族に置いてけぼりにされたように感じるかもしれません。このとき読者は、ベレニケのように、自分だけの読書の楽しみ方を見つけることが必要です。
短編「ベレニケ」は本のはじめの方にあり、「あなたならこの本をどう読みますか?」という問いを読者に投げかけているようです。ヤンソンは子どもの本が教育的・啓示的であることに異を唱え、実際にムーミンは教訓を示す物語ではありません。大人向けに書かれた本も同様に、何か特定の意味だけを示しておらず、読み方は読者にゆだねられていると思います。
本作は連作の形式ですので、気になったタイトルの短編から読み始めることができます。読みながら、ベレニケのように絵を描いたり、フィンランド湾の写真や地図を眺めたり、ソフィアとおばあさんが話す宗教観や死生観について調べたり考えたり、自分なりの楽しさを探す読み方ができれば、きっとこれに応えてくれる本です。
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<紹介した本>トーベ・ヤンソン 著、渡辺翠 訳『少女ソフィアの夏』、講談社、1993。
<参考文献>ボエル・ウェスティン 著、畑中麻紀・森下圭子 訳『トーべ・ヤンソン:人生、芸術、言葉』、フィルムアート社、2021。トーベ・ヤンソン 著、山室静 訳『たのしいムーミン一家』講談社、2019。トーベ・ヤンソン 著、小野寺百合子 訳『ムーミンパパ海へいく』講談社、2020。
著者紹介 / 小林亜佑美(こばやし あゆみ)
秋田県出身。高校生の時に初めてムーミンを読み、大学で文学・文化・表象論を学びヤンソン研究を始める。
2013年山形大学人文学部卒業、2016年法政大学大学院国際文化研究科修士課程修了。
修士論文タイトルは「理解・不理解の主題から読み解くヤンソン作品の変化:『ムーミン谷の仲間たち』を中心に」。
著作物;バルト=スカンディナビア研究会誌『北欧史研究』第37号に「日本におけるトーベ・ヤンソンおよびムーミン研究の動向」を掲載(2020年)。
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