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短編小説【相談室 4】

1~4話はこちらからどうぞ

 訪問者4号「夜」


 ここは都内某所の相談所。
 色んな方がモヤモヤを抱えてくるところです。
 営業時間は昼過ぎの14時くらいから、22時までの8時間。
 世間様からずれたアバウトな商いです。それというのも『先生』のせいです。あの人は、朝を心から憎まれていらっしゃいます。
 ああ、噂をすればいらっしゃいました。
「はあはあ、はあはあ」
 大変です。先生が汗だくで変質者みたいな息をしています。
「警察呼びますか」
「なに言っているの? 暑いんだよ。水もってきてくれない?」
 先生はそういうと、倒れこむように椅子へ腰を下ろしました。
「ああ、雪山から汲んできた天然水がほしい今日この頃」
「なに莫迦なことを言っているんですか」
 私は水道の水を机に置きました。先生は一口飲むと、嫌そうな顔で全部飲みました。
「温いよ」
「でしょうね」
「冷たい天然水とかないの?」
「莫迦ですか? あったとしても来客用です。それよりも──」
「あーあ」
 先生はエアコンのリモコンを手にしていました。
「人の話聞いています? それから温度は下げないでください。風量もそのままで」
「なんで?」
「先生のっ! 稼ぎがっ! 少ないからっ! 電気代が払えませんっ!」
「酷いこと言うなあ」
「事実です。それよりも仕事の準備をしてください。今日は予約が入っています。もうすぐいらっしゃいますよ」
「そうだったっけかな」
 首を傾げる先生。
「役所から電話があったでしょ! また面談をすっ飛ばしたら、大継さんが怒りますよ」
 大継さんという人は先生のお知り合いで、うちによく人を紹介してくださります。
「ああ、それは困るなあ。あの人怖いんだあ」
「あの……」
 振り向けば、ご予約の方がちょうどいらしてました。白いワンピースに帽子をかぶっていらっしゃいます。可憐で可愛らしい方です。
「ああ、ご予約の方ですね。どうぞこちらへ」
 先生とテーブルを挟んで、ご予約の方は椅子に腰かけられました。
「こんにちは。まずはお名前を聞いてもいいです?」
「小夜です」
「小夜さんね、それで今日はどうされました?」
「実は、夜が来ないんです」
「夜、それは昼夜の夜で合っています?」
「はい、そうです」
「それは困りましたね」
「信じてくれるんですか……?」
「もちろん信じますよ。あなたは夜が来ないと思っている。それは信じます。ただ、もう少し詳しく話を聞かせてください」
「三年ほど前から、私は昼のことしか覚えられなくなってしまったんです」
「なるほど! つまり夜の記憶が一切ないわけだ。だから夜が来ないと」
「はい、自分が晩御飯に何を食べて、いつ寝たかすらわかりません。陽が落ちると意識が無くなって、翌朝になって起きる。そんな毎日がずっと続いているんです」
「それは辛いですね。ところで、私のところに来る前にお医者様へは行きました? 心療内科とか?」
「はい、でも原因はわかりません……」
「ふーん、わからない。親御さんはあなたについてなんて言っています?」
「特に何も……夜になると私は部屋から出てこないみたいで、ただ……」
「なんです?」
「不気味だって言われました」
「それは酷い」
「ええ、でも仕方ないと思います。自分でも不気味だと思っていますから」
「まあ、普通じゃないけど不気味は言い過ぎかな。ああ失礼ですが、友達います?」
「え、本当に失礼」
「すみません。でも大事なことなんです」
「はい、多くはありませんけどいます」
「その方たちは夜のあなたに会ったことはない?」
「ええ。夜の私に連絡しても返信がこないそうです。だから朝になってから私は返信しています。先生、私はどうやったら夜を取り戻せるのでしょうか」
「……取り戻すねえ、うーん、どうしようかな。まあ、試してみるか。私の指を見てください」
 先生は人差し指をピンと立てると、ゆっくり左右に振り始めました。いつものあれですね。
「はい、集中して、あなたは指先しか見えなくなる。だんだん気持ちが軽くなる……そして、あなたは私の声しか聞こえない。気持ちだけではなく身体も軽くなる」
 小夜さんはトロンとした眼になりました。
「まあ、こんなものかな。さてと、あなたはこれから時を遡ります。ざっと三年前、あなたから夜が消えたときです。さあ、何が見えます」
「……まぶしい。ひかりがみえます」
「光?」
「とてもまぶしいけど、もっとちかくによりたい」
「ふーん、まわりには何が見えます?」
「……よくわからない。どうでもいいものばかり」
「どうでもいい? どんなかたちとかわかりません?」
「わからない。だってどうでもいいもの」
「あららマジか。何もわからないな。うーん、じゃあそこはどこです」
「そと、はじめてみたところ」
「外出先でなにかあったってことか。もう一度、光について教えてください」
「ひかり。きれいなひかり。まばゆりひかり。あまりにもかがやいてちかづけない。だから、わたしはよるをなくしたい。そうすればひかりになれるのに、ひかり、ひかり、ひかり……」
「今日はここまでかな」
 先生はパンと手を叩きました。小夜さんはびくりと身体を震わせます。
「え……私、今まで何を……」
「すみません。ちょっと催眠をかけました」
「え、催眠?」
「大丈夫です。変なことはしていません。そこの助手が保証します」
 私を指さしやがりました。
「ただ、原因を突き止めるまでお時間が必要そうです。今日はここまでにしましょう。またお越しください。ああ、お金はけっこうです。問題が解決したとき、まとめてお支払いを」
「わかりました。ありがとうございます」
 小夜さんは小さく頭を下げると、事務所から出ていかれました。お見送りした後、私はとても不機嫌になりました。
「いや、そんな顔でみないでよ。君、ブルドックみたいに眉間に皺つくっているよ」
「噛みつきましょうか」
「めんご、めんご。お代は後でちゃんと受け取るからさあ」
「そうじゃないです」
「じゃ、なに?」
「先生、わかってらしたんじゃないんですか。あの人、きっと人格障害ですよ。二重人格ってやつです」
「かもしれないね」
「それならなんで? 先生なら治してあげられますよね」
「いやいや待ってくれ。仮に彼女が二重人格だったとしても、それなりに時間がかかるんだよ。それにあれ治すとかじゃないし。まあ、それともかくとしてねえ。まだ二重人格って決まったわけじゃないよ」
「そうなんです? 昼の小夜さんと夜の小夜さんで人格が分かれたから、記憶が欠落しているんじゃ? 多重人格障害の典型的な症状じゃないですか」
「あのねえ、人格障害ってのは多角的に検査して初めて断定できるんだよ。演技とかで症状を装えるしね。だから、まだ早計だよ。ところで、今日はもう事務所を締めていいと思うんだ。こんな暑い日に働くのは人道的に間違っているよ」
 私は大変良いスマイルで首を横に振りました。
「残念でした。実はもう一人予約がはいっています」
「はあ? そんなの聞いていないよ」
「私は予約が一人だけなんて言ってませんが」
「君、僕のこと嫌っている?」
「ソンナコトアリマセンヨ」
「心のこもらなさがすごい」
「ほら、いっしゃいましたよ」
「ごめんください」
 今度は男の方がいらっしゃいました。仕事帰りでしょうか。薄手のスーツを着ていらっしゃいます。まだお若くて、ぱっと見でさわやかな印象の方です。
「はいはい、どうも」
「まあ、そこに適当に腰かけてください。お名前を伺っても?」
「幸一です」
「幸一さん、それでご用件は?」
「実はストーカーに悩まされていて。見ての通り、僕はイケメンじゃないですか」
「はは、帰れ」
「え!?」
「あはは、冗談です。でも、ちょっとお門違いかなって思いますよ。そういうのは警察の仕事かと思いますが?」
「だけど警察では解決できなかったんです。それで役所に相談したら、ここを紹介してくれて」
「そういうことでしたか。ところで警察はなぜ解決できなかったんですか?」
「消えてしまうんです」
「はい?」
「ちょうど僕が警察署を尋ねたときも彼女がつきまとっていたんです。署に入って、入口の所に彼女が立っていました。とっさに僕は警官を呼んで、捕まえてもらおうとしました。だけど少し目を離した瞬間に消えてしまって! そんなことが何度もあって、もうどうしたらいいのか……」
「ずいぶんとお困りのようだ。その女性はどんな姿ですか?」
「はい、長い黒髪で全身が黒ずくめの女です」
「どういう雰囲気のお顔ですか?」
「詳しくはわからりませんけど……」
「顔色が悪いですね。おーい、君、ちょっとお水もってきて。ついでに僕のも頼む」
 私は言われるがまま、お水をついできました。片方に冷蔵庫に入ったキンキンに冷えたお水、もう片方には水道水。
「ありがとうございます」
 幸一さんは一気に飲み干しました。
「それでは続きをどうぞ」
「一度近づいてみたことがあるんです。そしたら髪を振り乱して不気味に笑っているのが見えました。とても人間離れしていて、情けない話ですが僕は逃げてしまいました」
「それは大変怖かったですね。ところで、あなたは友達はいますか?」
「え、いますけど?」
「よかった。お友達はストーカーについてなんて言っています?」
「警察と反応は変わりません。はじめは必死に助けを求めたんですけど、かえって僕が変な人に見えるので止めました」
「なるほどね。つかぬことをお聞きしますが、ご職業は?」
「証券マンです」
「ほう、かなり稼いでらっしゃる? その腕時計、けっこうお値打ちものですよね」
「ええ、まあ、それなりには……」
「それではお仕事ではどうですか。職場にまでストーカーは現れます?」
「さすがに職場には来ません。だけど外回りの営業に出たときとかは気配を感じます」
「それはたまったものではないなあ。仕事中に集中できないでしょ?」
「ええ、それは、はい、そうですね……」
「ご家族はストーカーについて知っています?」
「いえ、知りません。その心配すると思うので話していません……」
「あ、そうだ。ちなみに、今そのストーカーはついてきていますか?」
「いえ、それが不思議なことに今は大丈夫なんです。だって見てください」
 幸一さんは窓の外を指さしました。
「もう日が暮れます。夜になると、あの女は出てこないんです」
「へえ、夜は出てこないんだ。それは……面白い」
 その後、少しして幸一さんはお帰りになられました。
「先生、今の話って……」
「うん、面白い偶然じゃないか。小夜さんに、幸一さん、どちらも夜が渦中にある。さてと、こいつはスピード勝負だぞ」
 先生は勢いよく立ち上がりました。
「幸い陽が落ちて暑さもやわらいだ。君、ちょっとついてきて」
 ずかずかと先生は扉へ向かわれます。私は大急ぎで外出の準備をします。えっと鍵は……。
「どこへ行くんです?」
「まあ、着けばわかるよ」
「もう!」
 大急ぎで鍵を閉め、先生を追いかけます。

 電車を乗り降りして30分ほどでしょうか。とあるマンション、その一室の前に来ていました。
「先生、これって……」
 表札には小夜さんの苗字が書かれています。
「そうだよ」
 インターホンを押すと、小夜さんのお母様らしき方が出てらっしゃいました。先生はペテンまがいの口八丁手八丁で説き伏せ、中へ入ってしまいます。
「というわけで、ここが小夜さんの部屋だ」
「なんでしょう。歌が聞こえます」
 ドア越しに男の方の歌がかすかに聞こえます。どこかで聞いたことのある声です。
「お母様の話だと、小夜さんは外出先から帰ってから籠りきりらしい。もしもし小夜さん」
 軽いノック音が響きます。響きます。響きます。ずっと先生がノックしています。さすがにそれはどうかと思いますよ。
「小夜さん、このドア開けてくれません? 開くまでノックし続けますよ」
 嫌すぎる脅しです。
「それでも開かなかったら、ドアをぶち破ります」
 なに言ってくれてるんですか。
「というわけで、いち、にい、さん……どーん!」
 前触れもなく先生はドアを蹴破ると、まっくらな部屋が現われ、それまで零れるほどだった男性の歌がはっきりと聞こえました。
「せ、先生?」
「ダイジョブ、ダイジョブだから。それよりも……」
 部屋の中へ入り、先生は電気をつけます。すると小夜さんが倒れているではありませんか!
 先生はポケットから小瓶を取り出すと、小夜さんに嗅がせました。すぐに小夜さんが目を覚まします。
「気が付かれました?」
「え、え、え、なに、あんた、だれだよ?」
「あなたは初めましてですね」
 先生は小夜さんを落ち着かせると、ことの次第をお話ししました。
「あっそ、それで、昼の私ってやつがあんたんところに相談に行ったわけ」
 小夜さんは昼と違い、ぶっきらぼうな雰囲気で髪もぼさぼさでした。着ている服もぼろぼろのジャージで……名札が書かれた高校のジャージです。
「ええ、そんなところです。ところで、先ほどあなたは『昼の私』と言われましたね。つまり、もう片方の人格を認識している」
「だから、なに……」
「なるほど、それは重畳。ところで、あなたは昼の記憶はありますか」
「ない言っているの、そんなの……あるわけねえじゃん。だって、私は昼を失くしたんだよ」
「ま、ですよね。昼の小夜さんは夜が来ないと言っていましたよ」
「は、わらえる。それはこっちの台詞だっての、まあ、いいけど……」
「ほう、元々あなた方は同じ人格ですよね。なんで分かれたんです? 三年前あなたたちの人格が分かれたとき、何がありました?」
「………」
「おや、いま一瞬だけ、あの白いワンピースを見ましたね。昼間にあなたが着てきたものだ」
「……………」
「うーん、少し失礼」
 黙秘する小夜さんから目を離し、先生は室内を歩き始めました。改めて見ると、少し変わっています。なんというか女っけというものがありません。
 アクセサリーやコスメもほとんど見当たらないし、服はよれよれでジャージとかが乱雑に置かれています。だからこそ昼間に小夜さんが着ていた白いワンピースと帽子が浮いて見えています。
 ふと机の前で先生の足が止まりました。そこにはワンピース以上に異質なものが置かれています。
「この人形、昼の小夜さんそっくりですね」
 綺麗な球体関節人形です。先生がおっしゃる通り、その外見は昼の小夜さんと同じく可憐で可愛らしいです。
「この人形、あなたが組んだんでしょう。この机にある見慣れない道具や染料、そしてパーツ、人形作りに欠かせないものだ。それに──」
 そこで先生は何かを手に取りました。今では珍しいCDアルバムのようです。
「触るなよ!」
 突然、小夜さんが立ち上がり、物凄い剣幕で先生の手からCDアルバムをもぎ取りました。どうやら今かかっている男性歌手のアルバムのようです。ジャケットはアニメ調の絵柄で歌手と思しき方のキャラクターが書かれています。
「数多光天、今かかっている曲のボーカルで合っていますか」
「…………」
「ひょっとしてファンとか?」
「……け」
 小夜さんが肩を震わせています……。
「ん?」
「出てけよ! もう二度と来るな!! 来ないで!!」
「わかりました。出ていきます。私の名刺を置いていきますね。では」
 先生は一礼すると、部屋から出ていきます。
「君に宿題」
 マンションを出るや、先生は面倒なことをおっしゃいました。
「小夜さんと幸一さんについて調べてほしい。大学や会社での評判とかね。高校までは遡らなくてもいいよ」
「え、小夜さんはともかく幸一さんもですか?」
「大継さんのコネを使っていいよ。また借りを作ることになるけど、ま、しゃあなしだ。というわけで、今日は解散ね」
 先生は繁華街の方へ消えていかれました。
 あの野郎、人に仕事を押し付けて自分は飲んで帰るつもりです。

 一夜明け、その日、先生は夕暮れ時に出勤されました。
「うう、気持ち悪い~」
 そう言いながら先生は椅子に身体を沈めました。
「水、ちょうだい」
 死にそうな声です。さすがに死んでもらっては困るので、お水を持ってきてあげました。
「ありがと」
「先生の宿題、やってきましたよ」
 先生は一瞬きょとんとされました。これ、自分が言ったこと忘れていますね。
「あー、ね、もちろん覚えているとも。それで、どうだった。なにかわかった」
「まず小夜さんから。現在、大学3年生で文学部を専攻されています。学内の評判はよかったです。明るく親しみがある感じで、男女問わず人気はあるみたいです。ゼミやサークルの活動も無難にこなされています」
「話を聞く限り、昼の小夜さんのほうだね」
「はい。ただ一つ気になる事が──」
「なに?」
「どうも入学当初は今みたいな感じじゃなかったそうです。化粧っけもなくて、無愛想、服もおなじものを着まわして講義をさぼりがち。学内での評判もあまりよくなかったそうです」
「そっちは夜の小夜さんだな。大学で変わったのはいつぐらい?」
「夏休みの間に一気に垢抜けたそうです。遅れてやって来た大学デビューってやつですかね」
「ふーん、そのタイミングで人格が分かれたのかなあ」
 他にも小夜さんについて、いくつか報告しましたが、先生は特にお気になさりませんでした。
「続いて幸一さんのほうですけど、この人はパーフェクト超人です。以上です」
「それだけ?」
「だって、それ以外に言いようがないですよ。勤めている証券会社では、入社から3年連続で営業成績トップを維持、それでいて残業もせずに定時で帰る。しかも勤め先は歩合制だそうで、ガッポリと給料をもらっています。誰かさんと違ってガッポリとお金いっぱい」
「なんで言い直した」
「説明が必要ですか」
「いいや。でもひっかかるなあ、そんな完璧超人って成立する? そりゃ世の中には優秀な人はいっぱいいるけどさ。しかもここ数年は流行り病で営業職って不遇だったはずなのに……同僚の人はなんて言っているのかな?」
「嫉妬すら覚えないらしいですよ。あまりにも非現実的に成績が突き抜けているみたいで、二位の人とダブルスコアで差がついているとか」
「二倍働いているってことかあ。それで定時に帰るのって凄いなあ。他には?」
「えーっと、イケメンでモテモテだそうです」
「ああそ。他は?」
「あ、でも成績が落ちたときも一時期あるみたいですね」
「ようやく人間らしい話がでてきたね」
「何でも3年前の夏にガクッと成績が下がったそうで……先生、3年前って?」
「たしか小夜さんがイメチェンしたのも3年前の夏だっけ。うーん、良くできた偶然だなあ。幸一さんの大学時代についてはどう?」
「これと言って特筆すべきことはありませんね。普通の大学生だったみたいです」
「普通の大学生が社会人デビューしたら超人ねえ」
「なんだかよくわからなくなってきました……」
「え、そうなの」
「え、先生にはわかったんですか」
「うーん、まあ、仮説は浮かんだかな。よーし、決・め・た! 二人ともここに呼ぼう。悪いけど幸一さんと昼の小夜さんへお越し願うように電話かけてくれる」
「いいですけど、時間はどうしますか?」
「そうだな。じゃあ──」
 先生の指定した時間をメモします。小夜さんと幸一さんを別々の時間に呼ぶつもりらしいです。
「そんじゃおつかれ~」
 先生はよろよろと出ていきました。今日の先生の労働は1時間ほどです。あの野郎、ホワイト勤務とかのレベルじゃねえ。
 ま、怒っても仕方ありません。まずはお電話です。
『はい』
「あ、幸一さんでしょうか。昨日はどうも。先生の助手です」
『え……』
「突然のお電話ですみません。実は昨日ご相談いただいたストーカーの件で先生からお願いがありまして」
『ストーカー……あの、それは、僕へつきまとっている? どういう、お願いですか』
 幸一さんは以前いらしたときと違い、かすれた声をされていました。風邪でも引かれたのでしょうか。
「はい、その件で先生がお話ししたいとおっしゃっています。つきましては──」
 私は面会時間を告げました。
『すみません。ちょっと、その時間が空いているかわからなくて、折り返しお電話をかけてもいいですか』
「はい、それでは先生の携帯電話の番号をお教えしますね。そちらなら営業時間外でも通じます。ああ、お気になさらず。先生は勤労意欲にあふれる方です。いつでもお電話に出てくれます」
 私は先生の電話番号をお教えしました。
『ありがとうございます、それでは、よろしくお願いします』
「こちらこそ。それでは失礼します」
 私は静かに受話器を置きました。続いて昼の小夜さんです。こちらはお母様が出られて、ご本人へ翌朝お伝えいただけるそうです。
「これでよしと」
 今日は看板です。

 翌日、事務所に行くととんでもないことが起きていました。
「先生、どうかしたんですか?」
「え、なんで?」
「だって、先生がいます」
「ここ僕の事務所だよ」
「いま昼の12時ですよ。こんな時間に先生が出勤するはずがないです。先生、死ぬんですか」
「なんでそうなる」
「死期を悟って改心して、勤労意欲に目覚めたとか」
「発想が豊か過ぎない? 違うよ。ちょっと準備があって今日は早めに来たの」
「準備ってなんです?」
「まあ、ちょっとね。ああ、来たみたいだ。いらっしゃい」
 先生は扉に向かって手をあげました。来客のようです。
 お客さまは初めて見る方でした。目深に帽子をかぶり、眼鏡をかけた男の方、大変地味で暗い印象を覚えます。その方はシャツにジーパン、そして大きなリュックを背負ってらっしゃいます。
「はあ、はあ、す、すみません。準備に遅れて……」
 お客様は息を切らして声を荒げています。
「ああ、どうぞお気になさらず。あ、君、冷たい水を。僕にもね」
 私はコップを二つ持ってきました。今日は早く来たご褒美に先生のコップにも冷蔵庫の水を注いであげます。
「あ、ありがとうございます」
 お客様は小さな声でお礼を言われました。恥ずかしがりやさんなのでしょうか。やっと聞こえるくらいのかぼそい声です。
「さて、涼まれたら準備をお願いします」
「あ、はい……」
 お客様は肯くと、リュックから色々な機器を取り出されました。パソコンにwebカメラ、それにとても大きなデジタル時計。それらをてきぱきと先生の机に設置されていきます。業者さんでしょうか。
「ど、どうぞ、これで、大丈夫です」
「どうもありがとうございます。すみませんねえ。突然こんなお願いをしてしまって」
「い、いえ、これは僕がやらないといけないですから」
 業者さんは丁寧に頭を下げると、事務所から出ていかれました。
「どなたですか?」
「生き証人ってやつかな」
「はい?」
「そのうちわかるよ。あーあ、僕、慣れない早起きしたから疲れちゃった。少し寝るね。時間が来たら起こして。それにしても今日は暑いね。カーテン閉めておこ。じゃ、お休み」
 先生は机の冷たい水を一気に飲み干すと仮眠をはじめました。畜生、水道水でよかったです。
 それから数時間後、18時30分に昼の小夜さんがいらっしゃいました。
「こんにちわ」
「やあ、無理を言ってすみませんね。さあ、どうぞおかけください。」
 昼の小夜さんはあからさまに戸惑ってらっしゃいます。
「あのなぜ夕方に私を呼んだんですか。日が暮れたら私はいなくなるんですよ。それに、この格好……」
 昼の小夜さんは白いワンピースではなく、黒いジャージを着ていました。夜の小夜さんが着ていらしたお洋服です。
「ええ、実はあなたが昼から夜に変わる瞬間を見たくてね」
「私が変わる瞬間を?」
「はい、治療する上でとても重要なことなんです。気象庁によれば今日の日没は18時59分らしいですよ。それまで少し待ちましょう」
「……わかりました」
 しばらく沈黙が続いた後、小夜さんがぽつりとお話しされました。
「先生、私、怖いんです」
「怖いとは?」
「夜の私です。いつか私を消してしまうんじゃないかって」
「なぜ?」
「朝起きると、私に書置きが残されているんです。早く消えろって。きっと、いつか私は夜に殺されてしまいます」
「それはできないと思います。元々夜も昼も小夜さんは一つだったわけで、片方だけ失くすなんて不可能です。だいたい自分に対して殺意を抱くなんて本来は無いです。ただ──」
「ただ?」
「嫌うことはあるでしょうね。自分で自分のことを」
「先生、なんとかして夜の私を消すことはできませんか」
「まあ、できなくはないですよ」
「それなら消してください! あの私は危険です!」
「でも、それも小夜さんの一部です」
「違います。夜の私はとても醜くて、陰湿で、狂暴で、身勝手で何をするかわかりません。きっといつか誰かを傷つけてしまいます。そうなったら、もう私どうしたらいいか」
「あなたはまるで夜の小夜さんが他人のように言いますね」
「どういうことですか?」
「だって夜の小夜さんことを危険と評価されました。それは第三者の言葉ですよ。先ほど話したでしょ。もし自分のことと感じていたのなら嫌悪感を覚えるんです。あんな私は嫌だってね。と、話したらもうそろそろ時間ですね」
 先生はデジタル時計を見せました。18時58分と表示されています。あと1分で日没です。
「とにかく、夜の私はいなくなったほうがいいんです。だから──」
 ぷつりと糸が切れたように、小夜さんはぐったりとされました。先生はおもむろに腕時計を見て、時間を確かめられました。
「さて、次の方がそろそろだね」
 言い終わると同時にいらっしゃいます。
「こんにちわ」
 恐る恐るという具合に幸一さんが入ってらっしゃいました。
「やあ幸一さん、時間ぴったりとはさすがは営業一位の証券マンですね。よくいらっしゃいました。さあ、どうぞ、こちらへ」
「でも先生、誰か先約がいらして……ひっ、こ、この人は──」
「おや、どうされました。顔色が悪いです」
「せ、先生、この女です! 僕にストーカーしていたのは、きっとこの女です!」
「そりゃあ大変だ。確かですか?」
「ええ、着ている服や背格好、髪型、顔まで同じです。信じてください!」
「もちろん、信じていますよ。おや、小夜さんもお目覚めのようだ」
「うっ、うう──」
「小夜さん、この方のことをご存知ですか」
「あ、あ、知っている! ようやく会えた……! 私に会いに来てくれた!!」
「え、え、わ、わ、ちょっと、こっちに来ないでください!!」
「何を言っているんだ。お前は私のものだろ。お前は私の光だ。暗闇から解き放ってくれた。さあ、早く一緒になろう」
「く、来るな! 来るなよ! く、なんて力だ!」
「先生、大変です! 小夜さんが幸一さんをつかんで離しません!」
「私のものになれ! お前は私の光だ! 逃さない! のがさない!」
「なかなか元気そうだ。さきほどのしおらしさはどこに行ったんです? ねえ、昼の小夜さん」
 小夜さんの動きが止まり、その間に幸一さんが脱出しました。
「え、先生、それって……」
 先生は黙ってカーテンを開けました。まだ日は沈んでいません。
「そんな、だってもう19時ですよ。とっくに日が沈むはずじゃ?」
 先生はデジタル時計を指さしました。
「この時計、少し時間が早く進むように細工がしてあるんだ。今は18時55分、完全に陽が沈むまで4分ある」
「お前よくも! 私を嵌めたな!」
 般若の顔で小夜さんが先生へ食って掛かってきました。首に小夜さんの手がかかる寸前、先生は事務所の外へ向かって言いました。
「そろそろ入ってきてください」
 ドアが開き、もう一人お客様がいらっしゃいました。思わず小夜さんが振り向いて、絶句されました。
 そこには幸一さんとうり二つの方が立っていらしたのです。よく見ると、昼間の業者さんじゃないですか。昼と違い、帽子と眼鏡をとってらっしゃいました。
「光が二つになった?」
 絞り出すように小夜さんは仰いました。
「幸二、どうしてここへ?」
 幸一さんも目を丸くされています。対して業者さんが誤魔化すように苦笑を浮かべました。
「こ、幸一、驚かしてごめん」
「光が二つ、輝きも二倍、やったあああああ!!!」
 小夜さんは絶叫すると、すぐに気絶しました。外を見れば太陽がお隠れです。
「先生、どういうことなんですか?」
「見ての通り、彼らは一卵性双生児、双子ってやつさ」
「いや、それはわかりますけど、それが小夜さんとどう関係が? もう色んな事が起きすぎです」
「僕からも説明をお願いします。なんで幸二が、弟がここにいるんですか」
 スーツ姿の幸一さんが困惑した顔で仰ると、幸二さんが前に出ました。
「実は、昨日、ここから電話が来て僕が受けて、それでおかしいと思って、先生に電話をかけ治した。そこで幸一がストーカーされているって知って、協力できないか、先生に相談したんだよ」
「幸二さんはパソコンや機械に強いとわかってね。まあ、それで僕の計画を手伝ってもらった。そのデジタル時計も幸二さんに細工してもらったんだ。彼には小夜さんとの面会の間、webカメラ越しに見てもらった。さて幸二さん、この女性をご存知ですか」
「え、ええ、知っています。僕にこの人形をくれた人です」
 するとリュックから球体関節人形を取り出しました。それは男の子の人形で、どことなく雰囲気が幸二さんに似ています。
 幸一さんが首を傾げます。
「幸二、僕は知らないぞ。どこで会ったんだ?」
「ほら、あの、三年前にオフ会があって、僕にプレゼントしてくれたんだ」
「お前が歌い手だったときか」
「先生、オフ会と歌い手がわかりません」
「ああ、そこからなのね。まず歌い手だけど、セミプロのシンガーさ。配信とかで歌を披露して有名になってプロデビューする人もいる。幸二さんがその典型だ。君、覚えているかい? 小夜さんの部屋でCDを見つけただろう」
「あ、たしか数多光天とかいう人の。ひょっとして、それが幸二さんですか」
「そう、彼は三年前の夏にファン向けにオフ会を開いた。オフ会ってのはオンラインでしか交流のないグループがリアルで会うイベントね。二人の接点はそこで生まれた。恐らく彼女は幸二さんに憧れたんでしょうが。まあ、ここから先は本人に聞こうか」
「う、うう、え、ここどこ?」
「やあ、夜の小夜さん。おはようございます」
「え、え、あんた、この前うちのドアを壊したヤバい奴。え、ええ!! なんでアマタンがいるの? しかも、二人も!?」
 先生は混乱する夜の小夜さんに経緯を説明されました。
「あ、その、なんか、ご迷惑かけちゃったみたいで、ほんと、ごめんなさい」
 小夜さんは小さな声で幸一さんと幸二さんに謝りました。
「小夜さん、三年前のことを話してください。あなたがオフ会で数多さんに会ったときのことを」
「……わかったよ。あのときアマタンに会えて、私はうれしかった。アマタンの歌を聞いていると、すごく創作意欲がわいて人形作りがはかどったんだ。だから、そのお礼に人形を渡した。とても喜んでくれて、もっとうれしくなったんだけど──」
「眩しくなりました?」
「うん。急になんか自分が恥ずかしくなってさ。私って人形にしか興味なくて、服もそんなにもっていない。化粧もほとんどしないし。なんかボロボロじゃん。そんな私がアマタンに……そう思うとなんか自分が嫌になって、外にも出たくなくなって。それで気が付いたら、昼がなくなっていたんだ。まさか、そのせいでアマタンのお兄さんに、もう一人の私がストーカーしていたなんて、本当にごめんなさい!」
「いや、その、もういいから、どうか気にしないで。なあ幸一、僕からも、その、頼む。彼女は、僕のファンなんだ。それに免じて許してやってくれないか」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。許すにしろ、またさっきの変な女が出てきたらどうするんだ? 先生、なんとかしてくださいよ!」
「いいですよ。ただしお代は弾んでください。お金、もっているでしょ?」
 先生はそう言うと幸二さんの人形を手に取りました。
「幸二さん、御髪を数本いただけますか」
「え? いいですけど、はい、どうぞ」
 幸二さんは髪を数本ひきぬくと先生に渡しました。先生は幸二さんが持ってきた人形に髪の毛を巻きつけました。
「これでよし。さて小夜さん、行きましょうか」
「行くってどこに?」
「もちろん、あなたのお家です」

 一時間後、私たちは小夜さんのお部屋にいました。
「じゃあ、さくっと治しましょう」
「先生、多重人格ってそんな簡単に治せないんじゃ?」
「いや、彼女はそもそも多重人格者じゃないよ」
「え?」
「多重人格ってのは、そんな簡単に発症するもんじゃない。容姿のコンプレックスだけで人格が分かれるのなら、この世は多重人格者だらけだ」
「じゃあ、私はいったんなんだってんだよ」
「小夜さん、あなたの場合は全く別物でね。まあ、ある意味では条件が揃いすぎていたんです」
 先生は手袋をはめると、懐から人型の錠剤を出しました。
「これを噛まずに飲み込んでください」
「けっこうな大きさだけど? このまま?」
「はい、昼を取り戻したければ」
「わ、わかったよ」
 小夜さんは意を決して飲み込みました。
「う、ぐふ、なに、これ……げえええええ」
 小夜さんはえずくと真っ白な人型の煙を吐き出します。先生はそれを手袋をした手で引っ掴みました。
「はいはい、ジタバタしない。君はここに入ってなさい」
 先生は人型の煙を机の上の球体人形にむりやり引っ付けてしまわれました。みるみるうちに煙は人形に吸い込まれ、消えてしまいます。
「これでよし」
「かはっくはっ、お前、私に何をしたんだ?」
「あなたの中からタルパを追い出したんですよ」
「タルパ?」
「あなたの妄想が作り出した、あなたの分身みたいなものです。いや、肉体をもたないから分霊かな。小夜さん、あなたご自身の中で生霊を作っていたんですよ。それが昼の小夜さんです」
 するとカタカタと人形が震え、口を動かしはじめました。
「な、なんなんだよ、これ?」
「昼の小夜さんを人形に封印しました。これでストーカー行為も止まるでしょう」
「先生、その人形どうするんです?」
「もちろん、うちで引き取る。小夜さん、それでいいですかね?」
「いいけど大丈夫なの? そいつ暴れまわらない?」
「その点はご安心を」
 先生は満面の笑みで肯きました。
 いやな予感がします。

 それから幸一さんへのストーカー行為も病みました。
 ついでにうちの口座に。幸二さん名義でびっくりするくらいのお金が振り込まれました。
「こんな額を本当に払ってくれるとは思いませんでした。歌い手さんって、そんなに儲かるんですか」
「いや、彼はもう歌い手しての活動はやっていないよ」
「そうなんですか!?」
「三年前の夏に流行り病にかかってね。そのときの後遺症で喉をやられたんだ。あの頃はワクチンもなかったしね。重症化した人は大変だったんだよ。今でも激しい運動はできないらしい」
「ああ、どうりで幸一さんに比べて声がかすれていました。でも、あのお金はどうやって──」
「それは幸一さんの会社で稼いだんだ」
「ええっ? どういうことです?」
「恐らく、あの二人は幸一さん名義で証券会社に勤めているんだよ。片方は営業に回り、もう片方はデスクワークをリモートでこなす。結果的に二人分の仕事を一人がやったように見せかけ、営業成績は常にトップ。よく考えたものだよ。まあ兄弟にしかできないワークシェアリングってとこかな。幸一さんがストーカーされたのも、外回りで営業をこなしていたからさ。昼の小夜さんに目をつけられたんだろうね」
「とんだ偶然があったもんですね。でも、ちょっとおかしくないですか。だって幸一さん、最初は夜の小夜さんのことをストーカー呼ばわりしていましたよ」
「あれは昼の小夜さんが夜の小夜さんに変装していたんだよ。そうすれば夜の小夜さんに濡れ衣を着せれるでしょ。だから昼の小夜さんが僕のところに来たとき、夜の方を消すように頼んできたのさ。最初から身体を乗っ取るつもりだった。おい、そうなんだろ」
 先生は立ち上がると、窓際に飾られた一組のカップルに話しかけました。
「ようやく光と一緒になれて、君も本望だろう」
 そこには真っ白なワンピースに身を包んだ人形と、その人形に抱き着かれた幸二さんそっくりの人形がいます。
「先生、よりにもよって事務所に飾らなくてもいいでしょ。せめて倉庫に置きましょうよ」
「えー、なんで? 防犯代わりになるよ。もし泥棒が入っても、この子たちがいればすっとんで逃げるでしょ」
「そりゃそうでしょうね。夜な夜な動き回る人形なんて、そうそうないでしょうから。夜中どころか、昼でも微妙に動いていますよ」
「わーお、すごーい」
「曇りのない笑顔で他人事みたいに言わないでください。って、先生どこ行くんです?」
「今日は暑いから働くのを止めよう。君も上がっていいよ。じゃ、そういうことで」
「ちょっと先生! あーもう、いっちゃった」
 扉が閉まると、窓際でがたりと音がしました。見れば人形の首の向きが変わっています。
「こっち見んな」
 ここは都内某所の相談所。
 色んな方がモヤモヤを抱えてくるところです。
 もし、あなたがモヤモヤしているのでしたら、ぜひお越しください。
 たまに動く人形がいますけど、ま、それは気にせず。
 きっと先生があなたの問題を解決してくれます。


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