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始めるに考えるネガティブ3兄弟

この記事の内容

 今回は役に立つちょっとネガティブな話を書きます。起業を決意された方はみな、起業のリスクについて十分に検討した上で結論に至っていると思います。ここでは自分の失敗経験を元に、起業家の皆様に”敢えて”伝えておきたいことを書きます。
 ”会社を作ると決めた以上は、多少の障害があるのは覚悟の上だから、何があっても猪突猛進、前進あるのみ。ネガティブな話など聞きたくない。”
という方はスルーしてください。そうじゃなくて、常に最悪を考えながら最善の手を打ってゆくんだという方には役立つ記事になっていると思います。
内容は下記のとおりです。
1.起業にあたって失敗したときの生活や対処の仕方をイメージし、家族や 
  パートナーと共有しておこう。
2.日本は災害の多い国ということを、成長の節々で思い起こそう。
3.日本は強固な様子見社会だということを常に考えて行動しよう。

1.起業にあたって失敗したときの生活や対処の仕方をイメージし、家族やパートナーと共有しておこう。

 起業を決める、会社を作ると決めるに至る動機や背景、その時の準備状況は人それぞれによって違います。それと同じように起業を諦めて会社を清算するに至る過程も、その時の状況もひと様々です。会社がなくなり、収入の道が閉ざされ借金が残り、所有するマンションも競売に掛けられて住む家も追い出された自分の例を基に書きます。だから、これくらい痛手を負ってもしぶとく生き残れるということで安心してください。

 住んでいるマンションが競売に掛けられて、落札された不動産業者の方が挨拶に来られた時の話です。日頃から競売物件を扱っている不動産屋さんはそれだけたくさんの悲しい家族を見てきました。そんな彼が言うには、競売で家を出て行くことになった家のオーナーで、家族やパートナーと別れて暮らすことになった人達は特に辛そうにしているそうです。それに比較して、この先もアパートなどを見つけて、小さい家ながらも家族で暮らして行ける人は、これからの人生を前向きに語れる人が多いそうです。
 万が一、起業に失敗し住んでいる家も追い出されるとなったとき、あるいは思い描いていた収入が得られなくなったとき、家族と別れて暮らすことになるのは辛いですね。家族を守る為に敢えて別れる道を選ぶこともあるかと思いますが、事前に話をしてイメージを共有しておくのが良いと思います。
そのことがいざという時に、家族の絆を強めるのに役に立つと思います。
その際にあまり負のイメージばかりを共有すると
”だったら止めてよ!!”
となってしまいますので、成功したときのプラスのイメージとともに、意外に日本はやり直しの効くところもあることを知っておくのが良いでしょう。

 日本は起業する人が少ないとか、新しい企業が育ちにくいなどと言われます。これは昔から言われていることで、私がサラリーマンを辞めてコンサルタントとして独立した2000年のころも、法人成りの形で会社を作った2009年のころも同じように言われていました。この理由としていつも対で言われてきたのが、日本は起業に失敗すると立ち直るのが難しいという話です。国もいろいろと施策を出してきているようですが、もの足りなく感じている起業家が多いと思います。
 2. 起業後の生活・収入の安定化 (meti.go.jp)

 そんな中で、私が日本って意外とやり直すのに良い国だなと感じたことがいくつかあります。以下に自分の反省点も含めて紹介します。
1.国民健康保険がすぐにもらえて、使える。
 これは、真に素晴らしいことだと思います。役所で即日発行してもらえて、その日から保険を使って医療機関に行けるのは、日本人なら当たり前すぎて有難味がわかないかも知れません。しかし、自分の会社がつぶれて加入していた団体の健康保険証が使えなくなった際にはこのありがたさがよくわかりました。
 ただし、国民健康保険の保険料は前年度の収入をベースに決められます。その金額は人それぞれですが、私の場合は月額9万数千円でした。その当時はそんな金額は払える状況でなかったので、しばらくは未納でいました。すると何回かの督促状が送られてきた後に、これ以上未納を続けると健康保険証が使えなくなるという通知が来ました。そこで慌てて区役所に相談に行った結果、健康保険料を払えない事情を説明する所定の書類を提出し、一カ月ほどの審査ののちに、保険料を劇的に安くしてもらえました。さらに、未納分の追徴も免除してもらえました。
 会社を倒産させて、多くの問題を抱え込んでいる時だったので、健康保険のことは後回しにしてしまっていたのですが、早めに相談に行けば心配事が一つ早くなくなっていたし、区役所の方にも余計な手間をかけなかったと反省しています。

2.厚生年金が国民年金に自動的に切り替わり、継続される。
 会社を作って厚生年金に加入していた場合、会社がなくなると年金は自動的(会社として厚生年金の脱退手続きはありますが....)に国民年金に切り替わり、国民年金の請求書が送られてきます。その国民年金を支払わないでいると、封筒の色を派手な色に変えながら何通かの督促状が送られてきました。その間隔は健康保険の督促状よりも、ずっとのんびりしていました。そして、さらに放置し続けると2年くらい経った後で、黄色い封筒に赤字で「資産差し押さえ通知」と書かれた書留郵便をいただくことになりました。その時には差し押さえらる資産などはとっくに無いのですが、給料も差し押さえの対象になると書いてあったので、慌てて年金事務所に相談に行きました。
 国民年金は諸般の事情により年金を納められなくなった人のために様々な救済策があります。詳細は忘れましたが、国民健康保険のときと同じように所定の書類を提出することによって、全額免除や半額免除、あとから納付などの特例処置を受けることができます。特に全額免除期間でも国が半額を建て替えてくれる制度もあるようなので、年金をどうしても支払えない事情がある際には早めに相談に行くのが良いと思います。特例処置を受けるのには申請できる期間があるので、私のように資産差し押さえ通知が来てから慌てて年金事務所に赴いたものでは、申請期間が過ぎていて、未納期間として処理されてしまった期間もあります。

 このように、健康保険や年金など困ったときに相談に行けば何らかの支援策に出会えるものがあります。これは生活相談もそうだし、ハローワークもそうです。起業家だけのために失敗したときのセーフティーナットが充実しているかと言えば、そうは思えないし、失敗してもハンディなく立ち上がれる社会か言うとそうでもないと思えます。でも、広く国民一人一人を支えるセーフティーネットはしっかりしているのではないでしょうか。
 ただし、役所は自ら積極的に動くところではないので、ピンチに陥った起業家の皆さんが、積極的に動いて早めに相談に行くところだと考えていれば良いと思います。起業家ならば、それができると思います。
 あとは、早めに良い弁護士を探すことです。これについては後日に書くつもりです。

2.日本は災害の多い国ということを、成長の節々で思い起こそう。

 現在は新型コロナウイルスのパンデミックの影響を受けて、大変な思いをされている起業家の方も多いと思います。特に飲食店を始めたり、観光やイベント業などで起業した方はどんな苦労をされているのか、心配です。
 私が約9年続いたコンサルタントという個人事業を卒業し、自分で半導体用フォトマスクの検査装置を開発販売する作る会社を興したのは2009年でした。このころはちょうど、リーマンショックによる不景気が底を打って、これから徐々に景気が上向いてくると思われる時期でした。2005年から2年連続して急性心筋梗塞に倒れたり、安定して続いていあた顧客とのコンサル契約が終了になったり、知人の会社で営業をかけて新しく獲得したアメリカのメーカーの装置の日本における保守事業が、リーマンショックの影響でなくなってしまったりと、いろいろと苦労を味わった末での会社設立でした。
 だから、会社設立にあたってはいろんなリスクや困難を予想して迷いに迷った末に決断をしました。それでも、その2年後に起こる東日本大震災は想定に入れていなかったし、リスクヘッジも会社の存続に耐えられるだけのものはありませんでした。もし、これが会社など作らずに個人事業のままでいたならば、苦労はするだろけれども耐えきれたと思います。会社は成長するに従って、守るものも多くなってきます。従業員の生活を守るのはその最たるものだと思います。
 リーマンショックや新型コロナウイルスのパンデミックは世界的な困難ですが、それに加えて日本では東日本大震災や、阪神淡路大震災など大きな災害も起こります。ものつくりを目指す日本のベンチャー企業にとって影響があったと思われる出来事を年代別順に並べると次のようになります。
悪い影響だけではなく、良い影響があったと思われることも書いています。

1995年 1月 阪神淡路大震災(日本)
1990年代後半 ITバブル始まる(世界)
2000年    ITバブル崩壊(世界)
2008年 9月 リーマンショック(世界)
2011年 3月 東日本大震災(日本)
2013年 6月 アベノミクス始まる
2019年12月 新型コロナウイルスの流行が始まる

 起業家が、いつ起こるかわからない、想像できないような大惨事をいつも心配していたら、起業なんてできません。もとより、そのような心配性の人は起業を考えないでしょう。
 楽天的な私達は、苦しい時期の後に来る、これから世の中が上向いてゆくであろう時期に起業し、新たに人を雇い入れたり、資金の調達に成功したり、顧客と契約を結ぶことができたりと、会社の成長の節々では、いつ降りかかるかわからない災いのことをちょこっと思い起こして、リスクヘッジをしてゆくのが良いと思います。

3.日本は強固な様子見社会だということを常に考えて行動 しよう。

 1990年代初めころのバブル崩壊以降の日本経済は元気がなくて、10年後くらいの頃は”失われた10年”と言われ、20年後くらい頃は”失われた20年”とも言われました。そして現在は失われた30年ともいわれていますね。
 バブル崩壊の前後で何が変わったかと言えば、いろいろ意見があるでしょうが、私は様子見社会が一気に進んでしまったと思います。ではバブル崩壊前の日本の社会が様子見社会ではなかったかというと、必ずしもそうではないと思います。私が社会人になったのは1986年なので、ちょうどバブル後半の美味しい時期を経験しています。現在でもエクセレントカンパニーと言われる大手光学メーカーの八王子工場でエンジニアとしてキャリアをスタートしました。入社して未だ、2,3年くらいの頃、直属の上司ではないけれど、ライフスタイルも含めて尊敬していた課長が、会議の時にこんな発言をしました。
「うちの会社の強みは、世間を睨んでケツに付くことだ。」
 うーん、言っちゃった感はありましたが、様子見がちな会社上層部を暗に皮肉った発言だったと思います。案の定、彼は後で工場長から立場をわきまえない発言だとして、強いお叱りを受けたそうです。そんな工場長も私には、
「君はお金で解決できるようなことに時間を使わず、技術に専念しろ。」
とアドバイスをくれたくらいだから、現在の日本の会社とはずいぶん雰囲気が違うのではないでしょうか?
 その後、1995年に私はアメリカにある半導体検査装置で世界最大手のメーカーの日本法人に転職し、日本の大手半導体メーカーと半導体フォトマスクメーカーを相手に仕事をすることになりました。その頃はバブルがはじけて時間がたっていたにも関わらず、日本の半導体はまだ世界最強の状態でした。しかし、設備投資のタイミングは遅れ気味、規模は小さめと、様子見社会の進行を感じていました。そして、2000年を過ぎると日本の半導体産業は一部の装置メーカーや材料メーカーを除いて、見る影もないくらいに衰退してゆきました。まさに、”ようすみ黄昏”の世界です。
 これは、バブル崩壊がきっかけや原因になったというよりは、このころと時を同じくして会社や社会が変遷してきたためと考えています。それを掘り下げてゆくと戦後教育を受けた人達の話にまで考えが及ぶのですが、それはここでは書きません。
 
 名も知れず、信用もない小さな会社を作った場合、すべての交渉事が様子見社会との格闘になると覚悟しておいて損はないと思います。Youtubeでネットビジネスを始める人向けの動画がいくつも上がっています。それらを見ていると、比較的手軽に始められて短期で収益を上げられるネットビジネスの世界でさえも、成功の秘訣の一つとして”先ずは行動に移すこと”を挙げている方を何人も見受けられます。裏返せば、それだけネットビジネスを始めたいのだけれども、行動に移せずに様子見をしている方が多いと感じられているからでしょう。

 ものづくりの会社を作るなど、長く遠い道を歩むのであれば自分自身はもちろんのこと、自分のビジネスに巻き込んでゆく全ての人の様子見心と格闘してゆかなければなりません。自分の会社に投資してくれそうな投資家と出会えたとしても、何らかの様子見心は出てくるものです。それに真摯に答えてゆくのは大切ですが、必要以上に相手の様子見心を育ててしまうと、必ずタラレバ話(投資に踏み切るための条件)が出てきます。そうするとそのタラレバ話を克服するために新たな協力人を探し出して交渉したり、資料を作り直したりと、作業量がどんどん増えてゆきます。
 嘘をつくのはNGですが、交渉相手に様子見心を育てさせないよう、素早く結論に至らせる交渉術は育てて行って損はないと思います。
 

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