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人生は死ぬまでの充電期間①

 今、僕は生まれ育った自分の部屋にいて、自分の人生を振り返っている。小さい窓のある6畳ほどの物置小屋のような部屋で。

 僕は、もう世間から見たら立派な大人であるが、仕事をしていない。最近はほとんど親以外の生き物と会話をしていない。近くを散歩したりはするが、この状態が長く続けば、たとえ自分の部屋から出ていたとしてもひきこもり状態と呼ばれるのだろう。

 今のコロナ禍では、この生活でも許される。寧ろこれが正解なのかもしれない。だがしばらくすると、そんな僕を世間は冷たい目で見るのだろう。働かなくてはいけない。正社員でなくてはいけない。30歳を超えると就職は難しくなる。35歳を超えるともう就職は無理になる。空白期間があると就職に不利になる。

 世間体や固定観念が僕の胸を締め付け、脳を締め付け、窒息死させようとしてくる。僕もわかっている、早く動かなければならない。手遅れになる前に。だが怖いのだ。社会に出るのが。働くのが。人が。会社が。スーツが。甘えと言われても仕方がない。この感情が理解されないことも知っている。でも、これが今の僕の正直な気持ちである。

 そんな僕が人生を振り返って何になるのだろうか。いや、僕だからこそ、自分が歩んだこの数十年を書き残そうと思った。理由はというと、今はこんなに自己肯定感が低い状況になってしまっているが、自分が決めて歩んだ人生に誇りを持っているからである。今はこんな状態でも、いや、こうなっても自分の人生に悔いはない。と言いたい。

人生の歯車が狂い始める小さなきっかけ

 僕の人生は大学を卒業するまでは、ごくごく平凡であった。勉強もそこそこできて、運動神経もそこそこ良かった。少ないながらも、友人もできたし、幸いいじめられることもなかった。

 しかし、就職活動あたりから少しずつ人生の歯車にズレが出始める。僕は、就職活動を始めるにあたり、疑問を持つことが多かった。どうして、みんな同じような格好をして、同じような髪型で、同じ時期に就職しないといけないのか。そんなことを考えても仕方ないのに。

 みんな数十社エントリーし、面接を受けて内定を勝ち取っていく。僕は本当に自分の興味のある会社にだけエントリーしていた。説明会にはたくさん参加したが本当に入りたいという企業は数少なかった。とりあえずエントリーしておこうというのが僕には出来なかった。自分でも不器用な性格だなとは思う。就職氷河期ではなかったが、そのやり方ではなかなか内定を取るのは難しかった。もちろん僕の能力不足もあったとは思うが。

 四年生の夏休みが終わり、周りのほとんどは就職先が決まっていた。僕は、はじめて”焦り”を感じた。このままでは取り残されてしまう。そこで、なんとなく気になった会社の試験を受けてみた。そして、そのまま最終選考まで進み、内定が出た。その時の感情を僕ははっきりと覚えていないが、嬉しいというよりは、”ほっ”としていたと思う。

続く

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