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昭和時代の女の子の遊びと言えば「ゴム跳び」


私は北海道出身の昭和40年代生まれです。

当時は、今みたいにテレビゲームなんて物はなく、子どもは夏冬、暑かろうが寒かろうが関係なく外で遊ぶのが普通でした。

私は、幼稚園から小学校低学年くらいまでは「お人形さんごっこ」「おままごと」をして遊び、小学校中学年から高学年になると「ゴム跳び」で遊んでいたの覚えています。

ゴム跳びのゴムは自作だった

当時、小学校中学年の女子は、1つは自分のゴム跳びようのゴムを持っていました。それは、手芸用の(白い)ゴムだったり、輪ゴムを繋げたゴムだったり。

私のゴムは、輪ゴムを繋げた自作のゴムでした。この輪ゴムは、給食で出る牛乳の蓋を締めている小さなゴムで、給食のたびに男子から貰って集めて作った実質「無料のゴム」!

ちょっとお金持ち(?)の子だと、色付きの輪ゴムを繋げたカラフルなゴムを持っていたり。あれ、子ども心にちょっと羨ましかった。

ゴム跳びは、色々な歌に合わせて跳んでいた

ゴム跳びをするときには、必ず歌を歌って跳んでいました。その歌は、今思い出すだけでも2曲あります。

「かんゆうは パラシュート 水汲んで ありしゃんせ かんゆうは」

これ、どうゆう意味なんでしょうね?当時は何も考えずに歌って跳んでいたけど、今思い出しても全く意味が分かりません。

「えっさえっさ、えさこいさっさ、おさるの籠やがほいさっさ・・・」

これは童謡の「お猿の籠や」です。この歌で跳ぶのは、結構難易度が高くて、いつもアウトになっていました。

女の子が3人以上集まると必ずゴム跳びが始まって、朝から夕方まで楽しく遊んでいたなぁ~と。にしても、すごい運動量ですよね(^^;

おまけ

ゴム跳びじゃなく「縄跳び」で思い出した歌がひとつ!両端で縄跳びをもって左右に揺らして

「郵便屋さん、走らんかい!もうかれこれ12時だ~」

ここで、縄跳びをぐるぐる回す!

「1時~、2時~・・・・・・」

12時まで跳べたらOK!でも、たまあに縄跳びに足が引っ掛かるまで回されることもあった💦

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