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御朱印巡り、御朱印帳の完成

 趣味で巡っていた御朱印巡り、御朱印帳の完成を経たので少し感無量となったところでその振り返りをしつつ、御朱印めぐりを行ったことによる変化など諸々を記事にしていこうと思う。

御朱印巡りの始まり

 自分の御朱印巡りの始まりは2017年、会社の同期6人くらいと京都に旅行いったときのことだったと思う。当時国宝の展示などもあいまって北山天満宮や、金閣寺などの神社仏閣巡りをやっててついでに御朱印巡りもしないか?とその場のノリで始めたことだったと思う。
 そのときの御朱印がこれ。直筆ではなく、書き置きだったけど、初めての御朱印は結構印象的だった。

それから五年の月日が経つ

 正直その旅行の後、御朱印帳を持っていることを忘れるくらいには忙しくて、生活も余裕もなかったので御朱印巡りなんてやっていなかった。本当にその当時は御朱印のことなど頭になかったと思う。

 そんな状態だったのに今更やり始めるようになったのは去年のこと。仕事でメンタル、肉体両方やられて自律神経もボロボロ、睡眠もろくに取れなくなったことが原因だった。
 最初は心療内科の先生から運動して日の光にあたりなさいといわれたことからだった。自分は以前から目的もなしにプラプラするのはよくやってた思うのだが、精神をやってしまってから目的もなく外に出るのが億劫になってしまっていた。そこで心療内科の先生と話ていたときに、運動がてら神社仏閣巡りとかやっている人いるから君もやってみたら?と勧められて再開することにしたのだ。

 正直不純な気持ちだったことは否めないと思う。信心深いわけでもないし、スタンプラリーみたいな感覚でやるのは気が引けたからだ。そういう遊び感覚は真剣にやっている人に迷惑だし、御朱印巡りのことを神社仏閣の人がスタンプラリー感覚でやるのはよろしくないとあんまり好意的に思っていない記事を何度もみたことあるからだ。
 ただ、自分は他に趣味のようなものもないし、ぶっ壊れたメンタル回復させるために藁をもすがりたい気持ちでもあったので、神様仏様のご利益を得んがため再開したのだった。

そもそも御朱印巡りとは?

 以前は納経した際の証である、納経印が由来とされているらしく、ちゃんと参拝し、お経を写経してそれを納めたことを証明することを目的としたものだったようだ。
御朱印とは?意味や意義を解説

 各神社仏閣を巡り、ありがたい経典を写経して納経することで、多くの神様からのご利益を得て、自分独自の御朱印帳というお守りを作成するということが目的にあるという。

 今ではそんなことしなくてももらえてしまうのだが、それがゆえにスタンプラリー化して、参拝もせずに御朱印だけもらっていく輩が増えているのだとか。まぁそれは神社仏閣の関係者からしたら複雑な思いだろう。
 自分は参拝時にはきちんと参拝し、浄財を行った上でもらうようにしていたが、御朱印巡りしている人の中には今日は来ていない友達の分も記帳してくれとか参拝していない人にも御朱印をくれといっているとんでもない人もいたりして、スタンプラリーではないという声明を出す神社仏閣関係者の方々の気持ちも大変わからんでもないという状況なのはよく理解できた。

 だけど御朱印巡りをしていて、いろんな特徴的な御朱印をもらっていて、御朱印帳が埋まっていく感覚は少しコレクター気質の人に火がついてしまうのはしょうがない気もする。

珍しい御朱印

 いろんな神社を巡った自分だが珍しい御朱印をいくつか紹介しておこうと思う。

 まずは長谷寺のご本尊造立1300年記念の切り絵御朱印。正直これは額縁に飾りたいくらいにはかっこいい御朱印です。長谷寺は御朱印だけじゃなく、その境内も花や木々も美しく参拝した際にはいろんなところを巡っていただきたいお勧めの寺社だ。長谷寺は紫陽花寺とも呼ばれていて紫陽花が咲く時期には多くの参拝客が来られるのでぜひ参拝に足をのばしていただきたい。

 次は烏森神社。GWの例大祭記念の際に参拝した神社だ。新橋のビル街の間にひっそりとたたずむ神社だが商売繁盛や家内安全を司る神様や、国内でも珍しい技芸上達の天鈿女命を祀っている神社だ。
 みてわかる通り、コロナ禍で書き置きだけだったので、例大祭記念の書き置き御朱印ではあるのだが、この神社は御朱印がカラフルなことで御朱印巡りをしている人たちには人気がある神社なのである。GWだからせっかくなので散歩がてら都内に足を伸ばそうと思って参拝しにいったら偶然例大祭を行なっていたので自分は運が良かったと思う。

 自分はどちらかというと運動と精神、肉体の健康祈願がメインなのでこの二つくらいしか珍しいのはない。基本的に御朱印はその全てがありがたい代物なので珍しいとか、かっこいいとかは2の次かなと思うが、やはりこういう神社仏閣それぞれ固有のものがあると参拝したときの記憶に残りやすいというのがあってとてもいい味を出していると思う。

御朱印巡りをしていて変わったこと

 個人的に主目的である精神、肉体の健康の復活は成ったのかなと思う。やはり汗水流して参拝していたのもあって、参拝する元気があるときはよく眠れるし、それだけ精神も改善していたと思う。
 徐々に回復の兆しがあらわれてくることによって御朱印巡りの態度も少しづつかわっていっていると思う。最初はわりと不純な気持ちだったし、今でも高尚な意味合いを持たせているかと言われると難しいところがあるが、やはりせっかくいくのであれば、自分が参拝している神社仏閣が何を祀っているか調べて知識を深めていったし、参拝時には必ず浄財し健康祈願を訴えていた。
 動機としては不純だが、参拝するというそのプロセスにおいては純粋な気持ちで参拝できていたと思う。やはり厳格な雰囲気もあってか実際に本尊を前にすると茶化したり、不純な思いというのは姿を隠すものなんだなと実感した。
 もしかすると信仰心というのは、参拝したという結果にではなく、参拝するというそのプロセスにこそ宿るのではなかろうかと思うくらいには参拝しているときは生真面目に祈願していたと思う。
 できるところでは写経なども行い下手くそな字で申し訳ないとも思ったが、普段やらないことを体験することも大いに学ぶことがあった。ただ、参拝するのではなくいろんな学びを経た結果としての御朱印帳にできたのはいい体験だったと思う。

 また御朱印巡りを通していろんな土地のいいところを知れたのもいいことだったと思う。いろんな神社仏閣にめぐるということはいろんな街に足を伸ばすことでもある。いろんな街並みや、いろんなお店など普段立ち寄ることなのないところにも目をやるようになった。それは以前の無関心な自分からは考えられない変化だったと思う。

感想

 正直満足感でいっぱい。だけど、これからも御朱印巡りというか神社仏閣巡りは続けていくと思う。これからも仕事でメンタルがいつ落ち込むかなどわからない状況があるので、習慣化させることで重篤になることは避けられるだろう。
 やはり外に出ていろんなところに足を伸ばす、そして普段体験しないようなことを体験しにいくという新鮮な感覚を得ることこそが自身のさまざまな面で良い影響を与えることになると思う。

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