【神奈川のこと24】追悼 武田信彦さん (JR京浜東北線/山手駅)

10月23日は、武田信彦さんの命日なので、このことを書く。

平成6年(1994年)、社会人2年目の頃に、草野球チーム「天王町ドージョーズ」に入団した。横浜に住む、同じ会社の先輩が主宰していた。

その先輩がよく、「目標にしたいチームがあるんだ」と言っていた。その名は、「GGレンジャーズ」。メンバーの大半が野球素人ながら、相手の隙を突く戦術や徹底した練習によって、経験者揃いの強豪チームを倒しているという。

その代表が、武田信彦さんであった。

私よりも一回り以上年長で、普段はJR山手駅の裏で、小さなバーを経営しており、マスターとしてカウンターに立っていた。

何度かGGレンジャーズと対戦したが、かなわなかった。赤子の手をひねるようにやられた。

いつしか私は、チームの先輩たちと共に、仕事帰りに武田さんのバーへ寄るようになった。私が行くと、武田さんは、いつも嬉しそうな顔をして、

「ビリー君、やる?」

とバットを持つ仕草をする。

そこから、武田道場が始まる。

店の外で、スポンジボールを使っての打撃練習。武田さんがトスを上げ、私が店の壁に向かって打つ。「引き付けて前で捕らえる」「バットは耳から抜けるように」「肩の開きが早すぎる」「もっと柔らかく握って」などのアドバイスを受けながら、ひたすらに打つ、打つ、打つ。

時には、私がトスを上げて、武田さんが打つ。お客さんが来たら、一旦終了して店に戻る。

サラリーマンの格好をした男が、夜な夜な駅裏のバーの店先で、汗だくになってバッティング練習をしてるなんて、そんな異様な光景、一体どこに行けば見られるのか。

はい、それは、平成6年(1994年)頃から数年間、横浜の山手駅裏で見られました。

武田さんは、野球や人生に対して独自の哲学があった。あと歯に衣着せぬ物言いをする人でもあった。私たちは「武田節」と呼んでいた。それゆえ、敵が多かったことも事実だ。

私もはじめの頃は、よく理解できないこともあったが、武田さんの考えの深さは本物だと言う確信があったので、傾聴し、取り組んだ。

その結果、打撃は上達し、面白いようにヒットが打てる「ゾーンに入る」状態を一時、経験することができた。

また、武田さんのお店を貸し切って、チームの忘年会を開いた時には、「ビリー君がビートルズ好きだからさ、俺の知っている日本で最高のポールマッカートニーを呼んだよ」と、私のためにわざわざプロのミュージシャンを呼んで「ポールの曲特集」の演奏を聴かせてくれた。

やがて時は過ぎ、武田さんは野球から離れ、バーはライブハウスに改造された。私も、長男が野球を始めてそのチームのコーチになると、プレーヤーとしての一線からは外れた。

そうして、自然と武田さんのお店にはあまり行かなくなった。

平成25年(2013年)頃からは、「ビリー君、ぜひ、ウチのライブハウスに来てビートルズ歌ってよ。」と何度か声をかけてくれたが、それは一度も実現することがなかった。

最後にお店に寄ったのは、平成27年(2015年)の2月であった。武田さんのことを目標にしたいと言った、くだんの先輩と一緒に。

「ビリー君、元気?」と満面の笑顔で迎えてくれた。そして、昔と変わらない、「武田節」を聴かせてくれた。私は嬉しくなり、帰り際に、少しやせた武田さんの肩を抱いて一緒に写真を撮った。

その後しばらくして、武田さんが癌になったと先輩から聞いた。発見が遅く、かなり進行していると。

平成29年(2017年)の秋。私は、ひどい扁桃腺炎にかかり、横浜栄共済病院の入退院を繰り返していた。その合間を縫って、私は先輩と一緒に二俣川の県立がんセンターに武田さんを見舞いに行った。

病床の武田さんはもう話すこともできず、意識はもうろうとしているように見えた。私が「武田さん、ビリーです」と話しかけると、私に気付いてくれたのか、笑顔を見せた。いつもの「ビリー君、元気?」と言ってくれる時のあの笑顔だった。私は武田さんの手を握った。武田さんは強く握り返した。それは病人の手とは思えないほど、骨太で力強かった。その握力を通して、武田さんは私に何かを伝えようとしていた。確かに、そう感じた。その間、約2分。二人は心を通わせた。店先でバッティング練習をしていた時のように、バーのカウンター越しに武田節を聴いていた時のように。そして、徐々に弱くなる握力とともに、武田さんは眠りに落ちた。

それから数日後の10月23日、私は三度目の入院中だった横浜栄共済病院の病室で、武田さんの死を知った。

武田さん、いつか私がそちらに行ったら、バーのお客さんほっぽって、また一緒にバッティング練習しましょう。そして、今度こそ、天国のライブハウスで "Nowhere Man" を歌わせてください。

最後に一緒に撮った、写真の中の武田さんは、スマートフォンの壁紙の中で、いつでも私に微笑みかけている。







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