【神奈川のこと8】父による市電の思い出(フェリスか雙葉か)

明後日が、父の79歳の誕生日なので、これを書く。

かつて横浜には市電が走っていた。

昭和47年(1972年)に廃線となっているので、記憶には全くない。

昭和16年(1941年)生まれの父は、この市電を「通学」で利用していたそうだ。

父は、小中高と山手のセント・ジョセフ・インターナショナルスクール(現在は廃校)に通った。通称「センジョ」だ。

当時は、東横線の妙蓮寺に住んでいて、そこから毎日通ったそうだ。

小学生の頃は、東横線で桜木町まで出たら、そこから「豆口行き」というバスに乗り、北方小学校前というバス停で降りていた。バス停から数十メートルほど坂を上ればすぐにセンジョだ。

ちなみに、この「豆口行き」というバスはもう無い。今は、「山手駅行き」となっているはずだが、父が学生の頃には、現在の山手駅はまだ存在しなかったのだ。

その父は、中学生になると、バスではなく、桜木町駅から市電に乗って、元町で降り、歩いて通っていたというのだ。元町からセンジョまではかなり歩く。

なにゆえにわざわざ市電を使って元町まで行っていたのか?その訳を尋ねると、答えは、「フェリスの女の子」だったのだ。

父曰く、「バスだと雙葉の女の子と一緒になる。だけど、雙葉の子たちはスタックアップだから、『フン、センジョ?何さ。』ってな感じで軽くあしらわれる。でもフェリスの子たちは、俺たちが通ると教室の窓から身を乗り出して『キャーキャー』と歓声を上げるんだ。それが楽しくて、わざわざ市電に乗って元町で降りていた。」というわけだ。

元町で降りると、フェリス女学院の横に出る階段を上って、山手本通りに出て、センジョまで通うことになる。私もかつて1年半だけ、センジョに通っていたので、そのルートを使ったことがある。

父がそのフェリスの階段を上がっていくと、女の子たちは教室から身を乗り出して、キャーキャーと叫んだそうだ。父はたいそう「もてた」らしい。

これは、息子による父親自慢になるのだが、父は本当にかっこいいのだ。50年生きてきて、素人で父よりも男前には出会ったことがないと断言できる。幼い頃、テレビに草刈正雄が出ていると、「あっ、パパだ」と画面を指さして言っていた。また、数年前の母の葬儀に来てくれたウチの会社の社長は、父を見て「佐田啓二だわ」と言っていた。佐田啓二のことはよく知らないが、中井貴一のお父さんだ。

という訳で、父は、雙葉よりもフェリスを選び、わざわざ遠回りの市電に乗ってセンジョに通っていたのだ。

いいんじゃないの、親父。

俺ももてる男を目指すよ。

さあ、今夜も二世帯で一緒に暮らす親父宅で、ビールを飲みながら、ベイスターズ戦を観よう。これが、数年前からの週末の親子イベントなのだ。



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