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【神奈川のこと78】はじめての引っ越し(横浜市中区→鎌倉市津)

78回目なので、これを書く。

昭和53年(1978年)1月21日、初めての「引っ越し」を経験した。

正確には2回目だ。1回目は昭和46年(1971年)の暮れ、つまり1歳半の出来事であったから、記憶に無い。生まれた場所である鎌倉市二階堂から横浜市への引っ越しだった。

記憶にあるその「初めて」の引っ越しは、約6年間住んだ横浜市中区根岸旭台の根岸台ハイツから、鎌倉市津の一戸建てへと向かった。

7歳半であった。年月日まで正確に覚えているのに、あの日の記憶は、たったワンショットしか存在していない。

父の運転するトラックの真ん中の席に座り、根岸旭台の隣町である山元町を通過している光景だ。父の会社の同僚である本田さん(通称:本ちゃん)との間に挟まれて、普段はオートマを運転していて見ることのできない、父のマニュアルのギア操作に見とれていた。

荷物を載せたレンタカーのトラックは、打越の坂を下り、鎌倉街道に出て、いつも渋滞している上大岡駅前なんかも通って、ひたすら鎌倉を目指したのだ。

いざ、鎌倉。

引っ越し屋は使わず、父の会社の同僚や部下が何人かやってきて、すべてをやってのけたのだ。当時はそんなの普通であったのだろう。

いやはや昭和のパワー恐るべしである。

トラックが出た後、母は残って最後の片づけや掃除をしてから、優しかった管理人老夫婦に別れの挨拶をして、弟と一緒に当時の自家用車であったトヨタのコロナで鎌倉に向かったはずだ。
そして、新築の家では手伝ってくれた人たちに、引っ越しそばを振舞ったに違いないのだ。

いざ、鎌倉。

それから西鎌倉小学校に転校する4月までの2ヶ月半、鎌倉市津の自宅から、横浜のセント・ジョセフ・インターナショナルスクール(通称:センジョ)に通った。それまでバス1本で通っていたのが、湘南モノレールで西鎌倉から大船に出たら、国鉄京浜東北線で山手へ。そこから20系統の横浜市営バスに乗っかって北方小学校前で下車するという大冒険となった。父が一度だけ一緒に行ってくれたが、すぐに慣れて、平気のへいざで通っていた。ただ、朝の西鎌倉駅の寒さには閉口した。地上10mほどの高さにあって、風を遮る壁なんかもないんだから。

結婚し、平成8年(1996年)暮れに東京都町田市へ。平成10年(1998年)相模原市相模大野へ。平成14年(2002年)相模原市東林間へ。平成24年(2012年)鎌倉市津西へ、そして、平成29年(2017年)再び鎌倉市津へ。

頼朝ほどではないけれど、約50年かけて、神奈川県をぐるりと回りまして、現在に至っております。頼朝ほどではないけれど。13人のことはきっと最後まで観てもよく分からないのだろうけれど。

紆余曲折を経ていざ、鎌倉。

家族の写真アルバムを除けば、根岸台ハイツに住んでいた頃からの持ち物なんてもう、そのほぼ全ては無くなったと言っていいだろう。

唯一、残っているのが、ボロボロになったキリスト像だ。
お顔も潰れて、手首も折れてしまった。

今でも掃除の時にたまに落っことす。

これからも共に祈り、共に歩む。



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