【神奈川のこと22】いざ、出撃!(横須賀市/三笠公園)

先日、神奈川新聞で、2020年度全国博物館ベスト20に、三笠公園の戦艦三笠が選ばれたという記事を読んだのでこれを書く。

初めて、三笠公園を訪れたのは、確か昭和55年(1980年)、西鎌倉小学校4年生の時の遠足だったのではないかと思う。

本物の戦艦に乗り、甲板や艦橋、艦内を見学し、実際に砲台や階段の手すりなどにも触れてみて、それはもう、強烈なる興奮を覚えた。

当時はちょうど、映画「二百三高地」も公開され、自分の中でちょっとした日露戦争ブームが巻き起こった。教室に置いてある「漫画日本の歴史」では、明治時代を何度も読み返した。小学校5年から始まった歴史の授業では、早く明治時代になってくれと考えていた。祖母が明治38年(1905年)生まれだったので、「すげぇ、日露戦争開戦の翌年だ!覚えてる?」と無茶な質問を無邪気にしていた。

あの頃はロシアではなく、ソ連だったわけだが、「ロシア」という響きと「露」という漢字は、とてつもなく強大で不気味な帝国を連想させ、小国日本がよくぞ戦いを挑み、勝利したなという誇りと恐ろしさ、そして憧憬があった。

三笠の甲板に立っていると、海に向かって今にも動き出しそうなのだ。水兵の格好をした自分が、敬礼をしながら甲板に立っている。音楽隊の演奏と共にゆっくりと三笠が離岸し、世界最強と言われたバルチック艦隊と戦うために出撃する。そのことを想像すると、武者震いがした。

艦内を歩くと、いわゆる副砲と呼ばれる砲塔に、赤い点がついていて、誰かが「これは血だ」と言った。臨場感があった。そして、小さな映画館のような場所で、三船敏郎が東郷平八郎役を務める「日本海大海戦」の映像を見た。「T字作戦」を表す模型で、どのように戦ったかが分かった。そして何よりも、長官室の豪華さに目を見張った。この長官室で、コーヒーを飲みながら作戦を練ったりしてみたいと思った。

何ゆえあの戦艦三笠に、あそこまで惹きつけられるのだろうか。やはり、それは「本物」だからなのではないか、と考えるのだ。

敵艦見ユトノ警報ニ接シ 我ガ連合艦隊ハ直チニ出動 之ヲ撃滅セントス 本日天気晴朗ナレドモ波高シ






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