回想記録・服について
「何かに呼びもどされて1~4」を回想しながらアウトプットしたところで、自分の記憶にある、洋裁人生を回想する。
私が生まれたのは1970年代はじめ。
家庭の中でお母さんが服を作る文化や、家にミシンがある文化が、まだまだ残っていたと思う。
我が家にも、足踏みミシンがあった。でも、いつの間にか姿を消していた。
私の母は、ミシンを買うための積み立てをしていた。当時は、たくさんの家庭がミシン購入のための積み立てをしていたと聞いた。
そして、足踏みミシンに変わって電動のミシンが徐々に台頭してくる。我が家にも、1979年に電動コンピューターミシンがやってきた。
1980年代は、バブル期と呼ばれる、日本では最高潮に経済が沸いたといわれる時代。私はそんな時代を小・中・高校生として過ごした。今となってはバブル期といわれる時代だけど、当時はそんなこと意識することもなく、それが当たり前と思って過ごしていた。
学校の家庭科の授業では、スモック、スカート、パジャマを作ったのを覚えている。当時学校では、男女が分かれて、男子は「技術」、女子は「家庭科」を受けていた。
服のかこみ製図のついた月刊誌「ジュニアスタイル」「ジュニー」「装苑」「ドレスメーキング」を見て、自分の服を作って楽しんでいた。
服のかこみ製図といっても、それを職業とする人に向けたものではなくて、ごく一般の家庭で作られる服のための雑誌だった。
私の中にある記憶では、洋服に関してはほとんどが既製品だった。学校の友達で、お母さんの作った服を着ていた人なんか、多分ほとんどいなかった。
被服学科の大学生となった1990年代。大学の先生が「装苑」と「ドレスメーキング」のうち「装苑」派だったので、「装苑」をメインに愛読するようになった。
DCブランド全盛期。自分で服を作る人は超少数派。
それでもこのころはまだ、月刊誌「装苑」の製図ページは健在だった。
2000年代になると、いつからか、「装苑」から製図ページが姿を消していた。
その頃の「装苑」の中身は、だれに向けての情報だったのだろう。
「Making Plus」という姉妹雑誌のようなものが発刊されていた。その中では製図ページが健在だったので、私は毎号購入していた。けれど、おそらくその「Making Plus」が発刊された期間は短かったように思う。
2002年だったと思う。廃刊が決まったことを知った。
出版先の文化出版局に電話をして、本当に廃刊なのか、製図の載った月刊誌の刊行予定はないのか、と聞いた。
電話の向こうの方は、いきなり電話をした一読者の私に丁寧に対応してくださって、「刊行の予定はなく、製図ページの需要がなくなってきているのでどうしようもない。」というようなお話をしてくださった。
それからさらに20年。
その間、母校の大学では被服を学ぶ学部が廃止されたのを目の当たりにしたし、日本国内のその他の大学でも、被服学や繊維学を学ぶ学部が縮小されたり、廃止になったりしている。
自分のテリトリー分野が衰退しているようで、寂しさも感じるけれど、だからといって人が服を着なくなるわけではない。
人にとって「服」は、これからどこに向かうのだろう。
向かうべきなのだろう。
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