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文字というかたちが放つメッセージ

友人の紹介で、書法展を観に行った。

会場に並べられた、たくさんの作品。
まずは会場に沸き立つエネルギーに圧倒される。

作品の前に立つ。
崩した字体や、触れたことのない漢字。

初見では理解できないけれど、ずっと作品を見ていると、だんだん感じてくる何かがある。

なぜか意味が伝わってくる、不思議を感じていた。
いや、不思議ではないのかもしれない。

漢字だけで構成された作品を前にした時も、初めて見るはずの漢字から、じわじわと意味が伝わってきた。

漢字の、その一文字、さらにはその部首やつくりなどのパーツに込められた情報から、意味を推測している自分に気付いた。
一文字の意味を推測して感じ取り、さらに並べられた複数の文字が相互に織りなす文の意味を感じ取る。

受け取る情報は、それだけではない。

書き手が文字に込めたエネルギー。
撥ねる、留める、流す、伸ばす、崩す。
そして置く、余白を残す。
作者の心が、そのかたちに表現されている。

きっと、作者のその時の心模様までもが、作品に現れている。

私達は無意識のうちに、その心を感じ取っているのだろう。

たくさんの作品を前に、右脳がかき混ぜられる。


ところで、この書法展には、昨春までの4年間を韓国の大学で学び、来春から再び韓国へ留学予定の長女と訪れた。
彼女いわく、韓国も以前は日本と同じく、書き言葉は表音文字のハングル文字と中国由来の漢字をミックスで使うのが主流だったらしいが、最近はハングル文字だけで表現することが多く、韓国の若者は漢字が読めない人も増えているという。
彼女の、韓国語→日本語の翻訳の受験勉強に付き合った中でも、漢字を使うことが日本ほど重視されず、表音文字である平仮名、カタカナだけで表現することにそれほど躊躇がないように感じられた。

表音文字だけの表現は、合理的な道を辿ることを意味するのだろうか。

漢字を残した日本。
その根底にある意識。
文字というかたちの放つメッセージを、受け取る力を忘れずにいたい。


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