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美心 ーbijinー #0.1〜小学校での転機〜

美心プロジェクトがお届けする、世の中にもっと知られてほしいと思う美心な女性を紹介するヴィジュアルマガジン『美心 ーbijinー 』。創刊前にパイロット版として、プロジェクトメンバーである藤城 茉莉花と山田 みさこが幼少から現在までを対談形式で振り返りながら、二人の人生の転機がどのようにして美心プロジェクトに結びついたかをお伝えしたいと思います。

会うといつもこんなかんじのことを話し合っている二人です。


茉莉花:みさちゃんの人生の転機は?

みさこ:人生の転機・・・そうだね。一つ目は、9歳で東京の区内から市内に転校したとき。 東京の東に住んでいたんだけど、祖父が暮らす東京の西の家に同居することになって。 東京ってちょっと面白くって、区と市ではちょっと意識が違うの。

茉莉花:よくテレビで出る八王子市とか・・・?

みさこ:そう。私が住んでいたのは、北区といって東京の北東の端っこだし、そんな大して都会でも何でもない下町みたいなとこだったんだけど、そこから引っ越してきただけで、「あいつ、区から来たぜ」「なんかスゴイやつが引っ越して来たぜ」みたいになって。

茉莉花:そうなの?なんか笑えるね。

みさこ:そう。東に住んでいた時は、私って本当にさえない奴だなって思ってたの。何をやってもさえない。目立つこともなく、なんだろうな自分って思ってたんだけど、西に引っ越した時に、一躍注目を浴びるようになっちゃったの。

茉莉花:そうなんだ。

みさこ:こいつ字もうまいし、頭もいいみたいと、あれよあれよとおだてられて。全然、頭はよくなかったんだよ。ただ東京の東で先に勉強してたことが、後から西で出てきただけだったんだけど。そうするうちにクラスでも学級委員に推薦されるようになって。小4の部活動で演劇部に入ったら、6年生の先輩達から主役の座に押されて学校の舞台で主役を演じることになったり。ずっとそんな感じで中学入っても常にどこか注目されるような位置にいるようだった。最終的に生徒会長になったりしてね。埋もれていた私が引越しで急に注目を浴びるような人生になっちゃった。

茉莉花:私も転機は小学4年生の10歳の時。担任の先生が引き出してくれる人で、その出会いはとても大きかったな。近所の遊び友達の間では引っ張っていくタイプだったけど、小学校の大きいグループでは前に出ることもなく目立たない存在で。その先生は、そんな自分に役割を与えてくれた。

みさこ:そうなんだね。

茉莉花:結局その小学校の担任の先生は4年生から6年生までクラス担任だったんだけど、私から提案したことも拾ってくれたりして。あるとき「15少年漂流記」を先生に提案して、脚本も書いたら採用してもらって学芸会で披露したり。音楽の発表のときには、自主的にセリフを用意したら採用してもらったり。卒業式のときも卒業生への送る言葉を考えて作ったら採用してもらって。そこからちょっと目立ちたがり屋がでてきた。運動会の指揮者みたいなのもやったり。

みさこ:茉莉ちゃんにはそういう気質があったんだろうね。先生が茉莉ちゃんのそういう気質を見抜いていたのかわからないけど、前に出る役割を与えてくれるって言うのはいいよね。私は中学で前に出過ぎて痛い思いをしたこともあったから、女子高に入った時に一転して、もう出しゃばるのはやめようって思って、あえて光の当たらない人生を選んでた。


TEXT MISAKO

美心プロジェクトInstagram: http://instagram.com/bijinproject88
プロジェクトメンバー:藤城 茉莉花山田 みさこ




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