高橋 祐貴の自己紹介

柔道整復師への道

私は、栃木県宇都宮市の岡本と言う地域で産まれ育ちました。

小学校時代はそんなに活発な方ではありませんでした。そんな私に何かスポーツをということで両親にすすめられたのが野球でした。小学校3年から高校3年まで続けた野球によって今の職業に出会いました。

私は元から体が柔らかかったので怪我という怪我をした事はありませんでしたが、高校3年の夏の最後の大会前に初めて怪我をしてしまいました。左手の親指を痛め、バットを振るのもボールを取るのも痛く、もしかしたら最後の大会に出られず私の野球人生は終わるのかと思い落ち込んだのを覚えています。

その時通院した整形外科でお世話になったのが柔道整復師の先生でした。電気治療をしてくれたり、リハビリ法を教えてくれたり、たわいもない話をしたり、私の話をたくさん聞いてくれて励ましてくれました。

結果、無事に大会には出場でき、三回戦まで進めました。野球は悔いなく終わる事が出来て一安心したのも束の間、今度は自分の進路をどうするか決めなければならない時期がきてしまい、困ったことに野球に集中するあまり勉強が疎かになっていた私は途方に暮れました。どうしたものかと、、、

自分のしたい事なりたいものを良く考え思ったのはせっかく10年近く続けた野球を何か活かせないかという事、そして思い出したのは怪我をした時にお世話になった先生のことでした。

それから、色々調べてあの時お世話になった先生は柔道整復師という職業なんだと知り、自分も救われたように、野球に限らずスポーツをしている人、痛みを抱えて悩んでいる人、そういう人達の力になりたいと思い柔道整復師になろうと決めました。

大学生時代

進学先は帝京平成大学の柔道整復科に進みました。当時は柔道整復師の資格を取るには、専門学校が一般的で大学は2校しかありませんでした。大学という響きに憧れがあったので、資格が取れるなら大学に行きたいと思いそこに決めました。

専門学校と違い4年間というたくさんの時間があったのでいろいろな事をして沢山の出会いがあり、そこで出会った友人の実家が接骨院をやっており大学を卒業したらうちに来ない?と誘われあっさり就職先が決まりました。

北海道旭川

就職先はなんと北海道の旭川になりました。そこで紆余曲折があり、雪かきをしながら約7年間務めさせて頂きました。そこで培った手技は私の宝物です。

やましろ接骨院

そして今現在、やましろ接骨院で柔道整復師としての見聞を広げるために日々邁進しております。





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