1年4ヶ月ぶりの病院 〜新しいお薬


病院に行くと、やっぱり嫌になる。
昨日、2021年秋ぶりに病院に行った。


2015年12月、精神科でADHDと診断され、毎日お薬を毎日飲んできた。
2021年9月までは、欠かせないものだと思ってきた。
でも、休学の1年間、勇氣を出してやめてみて、薬がなくても生きていけるんだ、自信がついた。


↓2021年5月のわたし




お母さんのせかせかがストレスになる。
”急がないといけないときは急がないと”
どこが?
急がないといけないと、決めつけているのは誰だろう。


診察はわたしが何を話すべきかわからなくなっていたからと、お母さんも病院にいっしょに行った。
今回の目的は、ADHDに対するお薬をもらうこと。
休学中は全く飲まなくて生きていけて、自信になったけど、
国試勉強でお薬なしでは厳しいから。
1年4ヶ月ぶりだから、初診になってプラス¥7000かかって、心電図やら血液検査やらが必要だった。

予診はわたしだけだったけど、診察はお母さんが話す。
一応、確認はされたけど、返事はしていない。


こないだ、10月と12月の1週間ほど、部屋に引きこもっていて、学校に行けなかったこと。
休んだ試験を受けるためには、診断書が必要なこと。
学校を卒業するためには、お薬が必要なこと。


診察して、予定では厳しそうだった診断書も出してもらって、お薬を出してもらって。
そして今回は、うつ傾向に対する新しいお薬も出してもらった。
抗うつ薬、だって。


いいんだけど。
病氣でもなんでもないし。
ただ、学校のピースに当てはまろうとすれば必要なだけで。

試験を受けてほしいのも、ほんとうはお母さん。
自分らしく生きると決めたのに。
結局、他人が想像した道を歩まされている。
「わたし」が消えてゆく心地がした。


1日かかると言われていたけれど、予定より検査から診察までが早くおわった。
”学校行っといで!”
次の行動を決められるのが嫌だった。
ますます行きたくなくなった。

イライラしてなにか言うと、
”薬飲んだ?”と聞かれる。
いつもそう。
薬飲んだからなんだ、飲まないからなんだ、
薬を飲めば、ぜんぶ解決すると思っている。
わたしはわたしなのに。

”すぐ障害者扱いするんが嫌!”
ことばを放って、その場を離れた。

そっとしておいてくれればいいのに、
またすぐについてくる。
小さい頃から、「見守る」ということができない母親。
いわゆる、おせっかい。
ありがたいのかもしれないけれど、嬉しくはない。
むしろ、とっっても嫌なきぶん。



卒業試験が嫌、国家試験が嫌、
たしかにそれもそうかもしれないけど、
この生活によって、自分の大切にしたいものができないのが嫌。
心の声を聞いてあげられていないのが嫌。
好きな自分でいられないのが嫌。

”人生は変えられる”
”自由に生きればいい”
”命を輝かせて、魂を燃やして生きよう”
そんなことばを届けたい人間が、在るべき姿なのか。

まぁ、わからくなったら、レールに乗ってみるのも悪くない。
その時期でもあったりする。
それは間違いない。
でも、”なんかちがう”を胸に秘めながら歩む今の状態は、少しばかり苦しい。
ことあるごとに、人のせいにしたくなる。
それはぐっと抑えこんで、自分に責任があると言い聞かせる。
いろんな世界があることを知ってしまったから、そこに全力を注ぐことも難しい。

このまま、歩んでいていいのか。
どこか遠くへ行ってしまいたいな。











”大学を卒業して、就職する”

広い世界をもっと知りたくて休学してみて、
さらに知る世界が広まった。

そして、それが難しい現状だから、
ふと、今決まっている道を進まなかった未来を想像する。

何が幸せなのか
どんな景色を見たいのか
どう在りたいか
どんな未来を描きたいのか


自分の足で人生を歩みたい
ありのままの自分でいたい
自分の魅力をもっと引き出したい
高め合える仲間とともに成長したい
目的があって目標があって、全力を注ぎたい
死ぬまで成長、一生青春していたい


「はたらく」とはどういうことなのか


休学中、恥ずかしいけど、はたらけなかった。
並にも稼ぐことは難しかった。

自分の力で稼いで
自分の力で生きる人がいて
自分の想いを広げる人がいて
憧れだなぁと


幸せのボーダーを下げることも大切だけど、
幸せを掴みにいくことはもっと大切。


人の価値観は、様々な価値観に もまれて変形している。
それによって、どんな考え方をしているか、
行動を起こすか起こさないのか、決める。


だから、いろんな価値観に触れてみる。
家族に聞いてもいい。
友達に聞いてもいい。
憧れのあの子に、簡単に会えない人の本を手にとって。






最終的に、ふと思ったのは、


”資格をとれば、しがらみから解き放たれる”


今までお金に困ってきた。
その度に、実家に帰らなければならなかった。

お金さえあれば。
お金がいかに大切か、この休学期間で感じた。

お金がないから、実家にいる。
お金がないから、誘いを断る。
お金がないから、どこへも行けない。なにもできない。

ほんとうに恥ずかしいけれど、それが事実だった。
余裕もなくて、常に切羽詰まっている。


お金があれば、実家を出る。
お金があれば、誘いにのる。
お金があれば、どこへでも行ける。なんでもできる。自分の心も満たしてあげられる。
あの子にプレゼントだってしたい。


資格があれば、就職すれば、自由になれる。
わたしにとっての自由は、そこなのかもしれない。
自分で稼いで、自分でくらすこと。


国家試験まで65日。
そろそろ合格点の6割をとらなければ卒業できない時期にまだ4割。


大丈夫、これを乗り越えたらできる。
乗り越えられない壁はない。


2022.12.16

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