(供養)最後の彼女とのデート

昨日は早い時間にすんなりと眠りに落ちて、朝5時過ぎに目が覚めた。まだ起きるには早い、でも既に私の心は高鳴っていた。


「最後のデートが、始まる」


期待と不安に胸を膨らませながら、午前はするすると時間が流れていった。朝ご飯にフルーツグラノーラを食べて、今日デートする彼女との今までのやり取りを改めて見返す。スイーツが好きだからまずはそれから話を始めようか、3年前に私の地元に旅行に行っているからそれを話題にしよう、ディズニーも好きだからディズニーランドに新しく出来たエリアの事も調べておこう。休日の過ごし方、お仕事、趣味。それらを丁寧に頭の中に詰め込んでいく。詰め込む作業が終わったら、本やネットで調べた「初デートで気を付けること」のまとめを読み返す。それらを読んでいたらうとうとしてきた。眠気覚ましにちょっと散歩をする。近所の神社に立ち寄り、神様にお祈りをする。家に帰って椅子に座っているとうとうとしてきた。まだ8時だから大丈夫だろう。ちょっとだけ、目を瞑ろう。


ふっと起きたら家を出なければいけない時間の30分前になっていて焦った。遅刻なんてしたら初対面の印象が最悪、そんなことをしでかしたら今までの努力が全て水の泡になる。慌ててお風呂に入り、慣れない手つきで髪にワックスを馴染ませてセッティングする。腕時計はつけた。財布は持った。スマホもある。衣類は汚れていない。よし、これで行こう。外に出ると暖かい陽光に包まれた。......しまった、歯磨きをするのを忘れてしまった!


星野源の音楽を聴いて心を整えていた。しかし、途中の電車が遅延していたり、出口がどこなのか一瞬分からなくなったりしまったり焦るぶぶんがあったが、なんとか余裕を持って駅に着いた。待ち合わせにしている場所から喫茶店への距離は短く、これなら彼女も疲れないだろうとホッとする。15分前に集合場所で待機する。いつ来るだろうか、連絡は来るだろうか、とスマホと周りの景色を交互に見やる。


「早めに着きそうです」


とLINEが来て、


「私も早めに着きそうです」


とすかさず返信した。それから5分ほどして、ふと視界に入った女性が今まで10日間以上やり取りをしてきた女性ではないか、という直感が走った。彼女の顔はマスクから上しか知らないので、その女性が約束した女性かどうかは断言できない。すぐに彼女から、「今待ち合わせ場所に着きました。〇〇の格好をしています」というLINEが飛んできた。彼女が約束した彼女だと確信して、声を掛ける。


「〇〇さんですか?」
「はい、〇〇です」


彼女の声は天使のように空気を優しく伝って、私の耳をくすぐった。その感覚を恋と呼んでも差し支えないだろう。


「では行きましょう」


彼女と目的の喫茶店へ向かう。数分の歩いている時間、他愛のない話、例えば今日は暖かくてとても過ごしやすいですね、とか、このまま暖かくなってほしいですね、とか、そんなことを話していたら喫茶店に着いた。その数分間だけで私は幸せな気持ちを十分に感じていた。


3階席に案内された。喫茶店はしっかり調べた甲斐あって、とても落ち着いた雰囲気のお店で、時間が早いからか他の客は少ないし、隣席との間隔も十分に取られていて、外部の要因で彼女との会話を邪魔されることはないだろうと安心した。彼女を上座へ案内し、コートを自分の椅子にかけようとしたら、「私の席は広いので、ここに置きましょうか」とすかさず声を掛けてくれる。ああ、良い子だなあ。


「さて、どれを飲もうか」


メニューの位置を彼女が見やすい位置に移動させる。


「反対だと見づらくないですか」


と声を掛け、そっとメニューを二人が見やすい位置に変更してくれる優しさ。どうしようどうしよう、どれにしようか迷うなあと考えている彼女は可愛い。


「外がけっこう暖かかったから、冷たいものを飲みたいですね」


ということで、二人揃ってアイスティーを注文。ここからが勝負である。私は一瞬の時間で、このデートで話すべき話題を思い浮かべた。休日はどんなことをしているのか、仕事は大変じゃないか、ディズニーランドに最後に行ったのはいつか、一人暮らしをしていて寂しさは感じないか、普段はどんなお店に行くことが多いのか、甘いもので特に好きなものはなにか、いつも何時に起きて何時に寝ているのか、等々。たくさんの話題が浮かんだが、先陣を切ったのは彼女だった。それは何気ない話題であったが、彼女とそれを話しているととても特別な、二人だけの秘密のように感じられるから不思議だった。今までのように緊張することなく、すっと彼女との会話に集中することが出来た。彼女が緊張せず、私の事をしっかりと見つめて話してくれたから、ふんわりとした空気を身に纏って、この時間を精一杯楽しもうとしている姿勢が優しく伝わって来たから、私は彼女との会話にのめり込んでいった。


私たちは夢中になってたくさんのことを話した。仕事の事とか、旅行の事とか、趣味の事とか、休日の過ごし方とか。いつもであったら相手の反応を気にしながらつっかえつっかえ話していたのに、今日の私は適切な言葉をするすると口から取り出すことに成功した。彼女が私の話に興味を持っていることを全身で伝えてくれるから、私は自分の事を緊張しないで素直に伝えられたし、そんな素敵な彼女のことをもっともっと知りたくなって、質問攻めにならないように注意しながら会話をした。とても自然な会話だったし、今までしてきた会話の中でとても心地よい会話だった。まるで彼女と私は長年の付き合いのある人同士のような錯覚を覚えた。当初はお茶だけを楽しむつもりだったが、もっと彼女と話したくなって追加でデザートを注文した。運ばれてきたデザートを美味しそうに食べる彼女は可愛かった。「美味しい。久しぶりにちゃんとした甘いものを食べたので、お腹が幸せでいっぱいです」とお腹をぽんぽんしている姿は愛おしかった。


「そういえばコロナになる前にここへ旅行してきたんですよ。えーっと、なんだったっけ。ちょっと待ってくださいね」


と言い、暫くスマホの画面をスクロールする彼女。


「あれ、全然出てこない。そんな昔だったっけ」


とちょっぴり焦る彼女。


「あった、これです。ここです」


とこちらにスマホに移っている写真を見せてくれた。私は前のめりになってそれを覗きこんだ。彼女との距離がとても近くなって、写真を見ている余裕はなかった。お花畑の香りがほんのりした。私はすっかり彼女が好きになっていた。


お手洗いに行く際に、


「行ってきます」
「行ってらっしゃい」


というやり取りをし、お手洗いから戻ってくる際に、


「ただいま」
「おかえり」


というやり取りをしていた、自然に。どちらが先に始めたのか分からなかった。


デザートを食べ終えて、ちょっとだけお話をしてから店を出た。1時間とちょっとだろうか。とても楽しかった。もし今回が最後のデートになるとしても、私は今日のことを一生忘れないだろうとぼんやり思っていた。昨日観た映画で印象に残っている、「この気持ちを上書きしたくない」という言葉が私の胸にそっと浮かんだ。そのまま駅へと向かおうしたら、彼女が不意に声を掛けてきた。


「私、これから行こうと思っている場所があって。もしよかったら一緒に行きませんか」


私は一瞬の躊躇を見せることなく、


「勿論行きますよ。ちょうど見たいものがあったので」


とすらすらと口から言葉を発した。私が見たいのはお店に置いてある商品ではなく、商品を品定めしている彼女の横顔だった。彼女の行きたかったお店で、彼女が前から欲しかったというものを二人で眺める。ああでもないこうでもない、と二人で話している時間がずっと続けよ、続いておくれよ、と誰に願うでもなく、そっと心の中で浮かべていた。店員さんの説明を二人で聞いているとき、店員さんから、


「現在は同棲されているんですか?」


と聞かれて、そうか、外の人から見たら私たちは恋人に映るのか、とちょっぴり嬉しくなった。彼女はその発言を受けてどんなことを思ったのだろうか私と同じことを思っていてくれたらいいなと思った。

用事を済ませて、いよいよお別れの時が来た。私は彼女のことが好きになっていたし、出来ることならまた会いたいと思っていたが、1回目のデートの最中に次回のデートの約束をするほどの度胸がなかった。もし、2回目のデートを断られたら私は当分立ち直れないだろうということは直感で分かっていたし、優しい彼女は多分面と向かってデートのお誘いを断るようなタイプではないので、彼女に負担を掛けたくなかった。だから次回のデートのお誘いはすることなく、彼女が使う駅の改札の前まで来た。最後に、自分の気持ちを素直に伝えたいと思った、LINEの文章では伝わらないだろうことを必死になって伝えた。


「今日はとても楽しかったです。久しぶりに楽しい時間を過ごすことが出来ました。休日で電車が混んでいると思うので、気を付けてお帰りくださいね」
「ありがとうございます。私も楽しかったです。〇〇さんも気を付けて帰ってくださいね」


彼女が改札を抜けた。私は彼女が視界から消えるまで、ずっと同じ場所に立っていた。彼女がふと振り返ってばいばいと手を振ってくれた。嬉しくなった私は、ぶんぶんと腕が千切れんばかりに手を振った。それが今日のデートの最後の場面。


すぐに今日のデートのお礼のLINEを送った。すぐに既読がついて、彼女からもお礼のLINEが届いた。暖かい気持ちが私を包み込んでいった。


家に着いて、今日のデートの事を反芻して、幸せな気分が身体中を包んでいた。ずっとこの幸せが続けばいいのに、と思ったし、素敵な女性と素晴らしい時間を過ごせたことに感謝した。私は彼女が好きだし、付き合いたいし、幸せにする自信があるし、ゆくゆくは結婚できればと思っているけれど、彼女はどう思っているのだろうか、と気になった。考えても彼女の心の中が分かるわけではないので、次回のデートのお誘いのLINEを送った。彼女とまた、素敵な時間が送ることが出来たらいいな、と思いながら徐々に外の景色は黒を身に纏っていった。

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