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わたしの父の話

わたしの好きな作家さん、益田ミリさんの新しい本が出ていたので最近購入しました。

いつもすぐに購入するのではなく、とりあえず写真を撮っておいて、読みたいタイミングで本屋さんに買いに出かけるのですが今回は裏表紙のあらすじを読んだ瞬間に今のわたしに必要な本なのだと思いぐに家に購入しました。

お盆には例年どおり関西に帰省しましたが、
いつも友人と遊び倒しているわたしが珍しく毎日実家にいました。
父の病気が悪化していたから。
父の癌が再発してから一年弱くらい経ちますが、これまで見たことがないくらい弱っていて、あれだけ好きだった食を、食べるという行為すら父はしんどいようでした。

毎食少しでも食べれるかなと食べたいものを口にしますが、
食べ始めるとやはり喉を通らないみたいで
唯一食べていたのが玉子豆腐。
このとき初めて、玉子豆腐という食べ物がこの世にあってよかったなと卵豆腐に感謝しました。
わたし以外の母、弟、妹は病気の経過を側で見ていますが、2ヶ月に1回帰省しているわたしにとってここまで弱った父をみるのは初めてでとても胸が痛みました。それと同時に日々、父を見ている家族に申し訳ない気持ちと病気に直面している家族の心境がいかに重いものかを知りました。

母はもともと世話好きな性格で、いろんなことを頼まれてもいないのにあれやこれやとしたがるのですが、今回の帰省では父に対する尽くす行為は言葉に詰まるほど見ていられませんでした。
少しの可能性に賭けて、父の身体の良い漢方や食べ物を取り寄せしては、父が食べたいときにその食べ物を食卓に並べられるよう新鮮なものを用意して私の家そのものが父色に染まっていました。
(父の好物で冷蔵庫はいっぱいで、賞味期限切れになるものは多く残った食べ物はわたしがほとんど食べていました笑)

わたしの家族について少しお話すると、
父・母・長女のわたし・2つ離れた弟と5つ下の妹がいます。
わたしの弟と妹は少し変わっていて友人によく話しますが、私の弟妹は人とコミュニケーションをとるのが苦手でわたしの真逆の人間です。
(※弟と妹の話をすると長くなるのでまた別の記事に書こうと思います)

そんなわたしは家族の中でも異色で自分の好きなことをやる、自由気ままに生きる人間として飽きられていますが、どこを切り取ってもわたしのことを好きで父のことから目を背けているわたしを咎めず受け入れてくれる心優しい家族に心から感謝しています。(絶対に本人たちには言わないですが)

父親の容態を見るのも辛かったのですが、それ以上にわたしの母が妻として夫を想う気持ちを考えると余計に辛く、わたしが親子として父のことをあれこれと考える余裕はありませんでした。
それもそのはず、母は父が見えないところで常に泣いていたからです。
父はいま外に出歩くことすらもしんどく、横たわっているので
お墓参りにいけば「もうここに一緒に行く体力すらないのか」、
癌が肝臓に転移しているため父が腰が痛いとずっと言っており
「腰が痛いということは癌が進行しているに違いない」と父に見えないところでずっと母は泣いていました。

わたしが知っている母は強く、目の前の壁に愚痴を吐く暇なんてもったいない、事実は事実として受け止めて今やるべきことをやるしかないと腹を括っている人間でしたが今まで見てきた中で一番弱くなっている気がしました。
旦那なんて煩わしい、早くひとりになりたいと思っていればそんなことを感じれずにいるのでしょうが、わたしの母は父のことが大好きでわたしたち一家も母親の意向で父親中心に回っていたのですから仕方ありません。
おそらくわたしだけではなく、弟妹も感じていたことでしょう。

帰省している間は目の前の父の状況を受け止めながら、この状況を飲み込むのに精一杯でした。
だからでしょうか、東京に戻ってきたわたしは日常を取り戻すべく、目の前にある仕事を淡々とこなしながら1週間ほど過ぎ去っておりました。
益田ミリさんの本を読むまでは。


この本を帰省しているときに近くのショッピングモールの本屋さんで手に取り、なぜかお守りのように鞄に持ち歩いているのを思い出しました。
そして仕事帰りの電車で読んだのです。

これまで押し殺していた感情のスイッチが入ったのを感じました。
母のこと、弟妹のことを考えると長女のわたしが守らねばと強くありたいと何があっても動じず受け入れるのだと関西にいたときには感じていたからだと思います。わたしと父の関係をいろいろ考える余裕を作らないようにしていたのかもしれません。

読み進めると涙が堪えきれず、これ以上読める状況じゃなくなったので本を閉じました。本には益田ミリさんのお父様の生前のことから書かれており、その時の心境などが事細かに残されていました。益田ミリさんの立場といまの私が重なっていたのもひとつの要因かもしれません。

いま考えると、わたしは父っ子でした。弟と妹ができてから母親の手が追われ、わたしは父と遊んだり一緒に寝ていました。
寝るときに髭のジョリジョリをわたしの頬にこすりつけてきては、嫌だと言いながらも笑っていたのを覚えています。

わたしの父は一言でいうと素朴。なにかを期待するわけでもなく、目の前にある事実をそのままに受け入れる、そんな心の器がとんでもなく大きい人であると思います。いろんなエピソードがありますが、だらしのないわたしはよく自転車の空気が抜けているにも関わらずパンクするまで乗り回すのですが、パンクしていることに気づくとわたしが知らない間に自転車屋さんに行って修理して元あった場所に置いているのです。
何も知らないわたしは、その自転車に乗り帰ってくるなり母に
「今日の自転車調子よっかたわあ、漕ぎやすかった」などと話したときに
父親の仕業であることを知るのでした。
それを母が言うと、なぜか言わなくていいと怒る父でした。
わたしが知らないだけでたくさん、たくさん知らないところでわたしたちのために何かをしてくれている、そんな父です。

わたしからみた父は生への執着がなく、こうなりたいという欲がなく、
自分のことなど気にせずそっとしてほしいという静かに生きれればそれでいいというただそこに在る、野草みたいな人です。

一度、わたしが高校生の頃ボソッと呟いているのを聞いてしまったことがあります。
「生きるのがしんどい、はやく死にたい」と呟いていたのを。
そのときわたしは、わたしたち子どもが父の負担になっているのだと悲しくなりました。(つい最近母から聞いて知りましたが、わたしたちではなく会社でいろいろ悩み事があったようです)

そのとき、もう物心がついた歳だったからかもしれませんが
もしこれで父が死ぬことを選択しても、ひとりの人間の意志を尊重してそうなってしまったことを自分と切り離して受け入れるのだと感じたのをとても覚えています。
そんな父が、いま多くの抗がん剤治療を受け、とてもしんどい状況にも関わらず、「まだ自分にできる、受けられる治療があるなら受ける」と生きたいと自ら望んだと聞きとても嬉しく思っています。

まだ私たち家族と一緒にいたいと思ってくれているのかなと、
天邪鬼な父の意図を勝手に汲み取り、わたしはそう理解しました。


益田ミリさんのこの本には、
お父さんの生前後のことについて書かれており
読み進めるごとに今後起こりうるであろうことが具体的に想像できました。心が温かくなるエピソードも多くありましたが、
ずっとすぐそこにある涙が喉奥に突っかかっり痛いまま最後まで読み切りました。
読み終わったあと、解説に『どんな言葉も時間ほどの力は持っていなかった』という一文がありましたが、これからのわたしにとって重要な、救いの言葉ではないかと心に留めておこうと思います。

もし、もしものことがあったら、
その時はわたしより父と仲が良かった妹にこの本を勧めようと思います。


どうか。心より祈っています。

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