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今日は「#光と影」の話を
幸せ笑いヨガ教室で30分話しちゃった

笑いヨガは冗談やジョークなしに笑う
私は中庸の笑いと思っていると以前お話ししました

笑うというと
どうしても良い方(陽)とイメージする

人は楽しく生きたい、幸せにいきたいと思うものだ
だから楽しい空間や笑いあるところに人は集まる

なぜそうなのだろう?
こうがいい、あーがいいという概念があるから
なのだろうか
逆にワイワイガヤガヤ騒がしいより
落ち着いた空間を好む場合もある
人それぞれ違うが、、、

皆さんの光とは、影とは?
今日は
光は希望、夢
影は絶望、悪
とみんなイメージが出た

どうしても
影の部分は無くしたい、消したい、小さくしたい
傾向にある

なぜなのだろう?

そしてなぜ影の部分ばかりにフォーカスするのだろう?

影を無くそうとするなら
光も無いものになぜしないのだろう?

光ばかり有るものにしたいと人は思う
そして、光が大きければ影は小さいと思っている

しかし、
光と影は一つなのだ

影がなければ光はない
光がなければ影もない
自然をみればわかる

光を向き合う対象にしないのはなぜなのだろう?
全部自分の中にあるのに

傍から見て光っている人は光だけなのだろうか?
嫌違うその人にも影は存在する、

自分の経験値で光も影もあるのだ

自分との対話で
向き合う対象を影にフォーカスするのではなく
向き合うのなら光(嬉しい、楽しい)にもフォーカスした方がいいと私は感じ
どちらも消化、唱歌、昇華すればいいと思う

ニュートラルに生きるって言うけど
言葉ではわかっていても
実際ニュートラルに
中庸、中道、中立に生きているだろうか?

光と影、、、

それを認識し
それをそれとした

神、髪、紙、カミ

それをそれとしたそれは自分

結論は
両方存在するから素晴らしい

どちらも愛

さて、笑いヨガは
笑い瞑想だ

【あなたはだんだんばかばかしくなって
自分自身を笑い始める
そして、それから笑い自体があなたをのっとる
もはやそれは押さえられない
やがて、あなたはすべてのばかばかしさを笑う
(OSHOの瞑想から引用)】

笑いは、陽の笑いではなく 
笑いという一つの現れ
笑いを通して今この瞬間に起きることを感じる

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