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書店はなくなるといった話を書こうとしたらレコード屋の話が全開になって終わらなくなった回



こちらの動画が流れてきました。
観て思ったのは

「15年くらい前のレコード屋業界みたい」




15年前

「レコード屋はなくなる」

と確信していました。

しかし現実は私は今もレコード屋を続けており、世間ではレコード・ブームが再燃し大型店も登場しています。
自分の店に関しては15年前とは全く違うやり方でやっています。
売ってるレコードは変わらずブレてないと思いますが(たぶん)でももしあのままのやり方を続けていたら確実になくなっていたでしょう。
実際、当時のまま続けたレコード屋は大きい店も小さい店も閉店したり縮小したりと厳しい状況にあると思います。





BIG LOVE RECORDSは99%新譜のレコードを販売させてもらっています。

動画にてお話されている書店業界とは古本屋を除くものだと思いますので、僕が話すのも中古盤屋や古本屋は除いた話と思ってもらいたいのですが、実際新刊を扱う書店と古本屋はほとんど別業態だと思います。

そして新譜をメインに扱うのレコード屋といわゆる中古盤屋も別物です。


まずは値付け。
新譜は基本7掛けです。
中古盤はモノやもちろん店舗さんによっても値付けは違うと思いますが7掛けということはまずないと思います。
最低倍。

僕は中古盤に関しては20代に働いていたレコード店で海外買付けしかしてなかったので倍じゃ厳しかったです。
どんなに我慢しても3倍。
しかし旅費交通費があるしバイトの身分でしたが
「こりゃ3倍じゃやってられない商売だな」
と思いました。

90年代は海外へ買付けに行く店舗さんが多かったです。
もちろん買い付け自体は70年代から行われていたと思いますが、90年代から00年代中頃くらいまでが全盛だったと思います。



少し話は逸れますが海外買付けをしていたレコード屋としてはこちらのディスク・ユニオンさんが市場価格と照り合わせ中古盤にレア価格をつけ始めた時には

「そりゃないぜ」

と天に唾を吐きました。
なぜならディスク・ユニオンさんも当時からアメリカの買付部隊がいるとは聞いてましたがメインは現在同様買い取りだったはずなのです。

「買い取りと海外買付けは労働力ちゃうだろ!なめんなよ!」

と渋谷店の外で小さく叫びましたが逆に普通盤レア盤関係なく良心価格で販売していたそれまでのディスク・ユニオンさんが我々レコード中毒者にとって最高の中古盤屋なだけであったため天から唾が落ちてきて顔面に着地しました。


あれって渋谷の近くにあったまんだらけに習ってビジネスモデル転換したって聞いた記憶がありますが、たしかにまだインターネットが一般化していない時代。
レコードの市場価格を熟知しているバイヤーなんてズバリ日本人しかいないくらい日本人が世界を牛耳っていました。
というか90年代にレコードが売れている国なんて日本しかなかったのです。
だから僕らは海外に買い付けに行けました。

それがまさか海外より日本の方がレコードが安くて外国の方が日本にレコードを買いにやってくる日がやってくるなんて。
僕らが海を渡って買い占めたレコードたちがみな海の向こうへ戻っていっています。






話を戻すと新譜のレコードがなぜ7掛けになったかという話は以前こちらのnoteの記事でも書いたはずなのですがその記事を見つけることが出来なかったので泣く泣く改めて書くと、CDが普及しはじめた1988年頃までは輸入専門店はあまり多くありませんでした。

その後に輸入盤店と輸入盤が増えた理由のひとつは1985年にG5で合意された為替レートの安定化策プラザ合意によりたった2年でドルが250円から150円になったという円高の影響もあると思いますが、とにかくそれまではマニア以外の一般人な僕らが輸入盤を入手できる場所は国内盤を販売する普通のレコード店でした。


1980年代までの洋楽の日本盤レコードは今のように世界同時発売といったのはほとんどなくだいたい海外リリースされてから1~2ヶ月後の発売でした。

覚えているのはボブ・ゲルドフとミッジ・ユーロの呼びかけで大物ミュージシャンが集ったチャリティー企画バンド・エイドのシングル"Do They Know It's Christmas"のレコードがその企画とタイトルによりクリスマス時期に合わせて発売させるため日本盤が製作できず(チャリティ盤という理由もあったと思いますが)それは輸入盤にステッカーが貼ってあったものでした。

「おお、これが輸入盤か」
と意味なく感動した中学2年生の冬。
でもあれ確か年末になって店も空いてないから結局1月6日発売とかになった記憶があるな。

当時はこれが英国のミュージシャンで行われたものだとも理解していませんでしたがその後にこれを真似て米国のミュージシャンが集ったのがUSAフォー・アフリカという名前だったと思うとなんだかチャリティなのに敵対心出まくりだなあ今じゃツッコまれてチャリティなのに炎上しそう。





話は脱線しまくりですが、とにかく当時のレコードの国内盤は現在のCD同様基本卸値が7掛けだったはずです。
そしてそれに合わせ単純に輸入盤も7掛けにしたのがその値付けの始まりだと想像します。

しかし当時も輸入盤は国内盤と違い定価ではなくオープンプライスでした。
国内盤は書籍と同じ条件ではないですが返品枠があったので7掛けでも時代によって成り立つことの出来た商売だったと思いますが、輸入盤も返品出来たのでしょうか?

記憶だとレコード屋に

「輸入盤は返品出来ません」

とよく書いてあった記憶があるのでやはり返品は出来なかったのかもしれません。
もしくはなにか条件があったとか。
あの時代、今と違って輸入盤は国内盤より少し高かったのでもしかしたら国内盤同様の7掛けではなく利幅を多くしていたかもですが、しかしだとしたらその後どの輸入盤屋もが7掛けを基準にしたはずがないので、やはりその頃から返品なしで7掛けにしていたのかもしれません。





有料部分にはたいしたことは書かれていません。
しかも書いてもどうぜちょっとしか書かないほぼ詐欺noteです。
残念な結果が簡単に予想されます。
私なら買いません。

それでもとおっしゃっていただけるならお試しの有料単体でもいいですが、わざと割高にしてるので損です。
購入いただくと私も少し気が引けます。
なんでわざと割高にしてるかというと買わない方が良いという合図です。

https://open.spotify.com/show/04iyUAk1F3Es3RFr0yv6dm?si=0480797359a64dbe

毎月、BIG LOVE RECORDSに入荷する新譜のレコードを紹介するBIG LOVE RADIOは上記リンクで無料公開中。
ずばりコチラだけで十分。それ以上の音楽やレコード以外の話も!
といっただいぶ変わった方はしょうがないのでもう購入してください。
でもだったらマガジンかメンバーシップがオススメですけどたいしたものではありません。

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サポート!とんでもない人だな!