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数字によって示せるもの示せないもの

最近絵が描けるようになりたいと思い立ち、色鉛筆を買いせっせと仕事終わりに絵を描いているたいきです。
俺はいったいどこを目指してるんんだ

さて。
本日は『数字によって示せるもの示せないもの』
というお話をしようと思います。
自分に対しての忠告も兼ねている大事なところなので、時間があるときにでも読んでください。


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数字の利便性
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数字が発明されてから私たちの生活は圧倒的に豊かになりました。
抽象的なものが数字という手段を用いることで具体的に表すことができます。

その一番いい例がお金だと思っています。
お金が生まれるまではイモとクワを交換するために個数であったり大きさを交渉しないといけませんでしたが、お金のおかげでイモをお金に換え、そのお金でクワを買う。

すごく取引が楽になりました。


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数字で示せるもの
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数字とはいかにも便利なものですが、当たり前ですが数字は全てを表すことはできません。
例えば、人間の性格は数値化できませんし、数値化をされてこれがあなたの性格です。と言われても「数字で俺の性格が表せるもんかい!」となってしまいます。

ここで僕が言いたいのは 
 「数字というのはきわめて表面的なことしかわからない」
ということです。

表面を表せることに大きな価値はありますが、本質的な根本の部分(人間でいうと性格など)は数字では見ることができません。

ここから本題です。


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数字を無視するべき側面
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数字は本質的な部分を示せないというのであれば、私たちの生活の中にも数字で示せない箇所があるはずです。

例えば、
月に読んだ冊数。
0冊の人も2冊の人も30冊の人もいます。もちろん読んだ本が大いに越したことはないのですが、本を20冊読もうが、30冊読もうが、その本の内容をきちんと自分の物にして使えていなかったら意味がありません。
つまり、数字だけ追いかけて本を読む目的を厳かにしてはダメなんです。

もう一つ例を出します。
SNS等のフォロワーの数。
世界には何千万人単位でフォロワーがいる方がいます。その方たちは本当にすごいと思います。では、私たちに置き換えたときにフォロワーを取りに行くのは正解なのでしょうか?
これも表面的な数値でしかないと考えています。
例えば、時事ネタにネガティブなコメントをして人を愛のない批判することによってフォロワーを稼ぎにいっている方がいたとして、その人が作ったグッズやライブに行きたいと思う方がどれほどいるのでしょうか?
フォロワーがただ多いということが意味をなさないということです。


数字は一つの指標になるので、手段としては大いに便利な存在ですが、数字は目的にはなりえません。
目的に沿った数字の使い方をしない限り絶対に自分がたどり着きたい場所にはいけません。
また、僕自身が数字にとらわれすぎて動けなくなることも多々あります。その時はおそらく数字が目的化してしまっているのでしょう。
例えば、本を一週間で3冊読めていない自分はダメだ。とか。

そして、他人との比較でもよく数字を使います。
あの人はフォロワー2万人いるのに、僕は3000人だ、、。とか。

数字はこの際どうだっていいので、その目的を定めその目的が達成できればある程度数字は無視しろ。数字にこだわりすぎるな。
という自分への脅迫でこれを終わりたいと思います。


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