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05.変わらない日常

自分に期待する。自分の未来に希望を持つ。


そんな感覚になれたのは何時振りだろう。

子供の頃は全てが未体験で、周りにいる友達も自分と同じ条件で未経験だった。

できないことが楽しかったし、できないことができることへの余白だった。

※当時作っていた楽曲を聴きながらお読みください


文字を読めるようになったし、書けるようにもなった。

走れるようになったし、大きくなるにつれて何でも実現できた。


親も周りの友達もできないことを責めたりはしなかったし「MISAKIならできる」と常に期待して励ましてくれていた。いろいろとやりたいこと、できそうなことを探してチャレンジしてみた。


「自分には何でもできる」


だんだん思えなくなっていったのは中学校に通っていた時だったと思う。


授業の成績に評価がつけられる。足の速さに順位がつけられる。やること全てに順番をつけられた頃から「数学は苦手」「国語は得意」「走るのは後ろから7番目」「絵を描くのは上手」

自分のステータスが内外に決められていった。

1/40、7/30、30/100

大人数の中で、自分がどの位置にいるか毎日教えられるような日々。

自分一人だけで誰とも比べずに走っていたら....「自分は足が遅いんだ」という苦手意識を感じることなく走ることに努力し、いつかか速く走れる日を迎えたかもしれない。


得意なこと、できることは勿論あった。


でも「できない」「人より苦手」ということは実感しやすかったが「人より得意かもしれない」という感覚にはなり辛かった。友達の中で得意でも、クラスの中、学級の中、学校の中、学区の中、という風に「上には上がいる」天井の蓋があって全能感を浸ることができるのは極少数の才能がある者だけだったと思う。

自分は小学校〜中学校〜高校〜大学と競争の時間が長ければ長いほど、自信を失っていた。


「自分がやりたいこと」「自分が得意なこと」を選ぶよりかは

「自分ができること」を消極的に選択して行く毎日


自己肯定感を保って生きていけるのは、限られた人間だけだ。



そんな自分の才能を信じられないMISAKIが久しぶりにワクワクしている。アメリカ/NEW YORKで開催されるパネルセッションで自分の曲が流れるかもしれないのだ。

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