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エッセイ217.ウール製の棺

今日、4月2日は、夫のバイオロジカル祖母のお葬式でした。
ニュージーランドの北の方の島、ファンガレイという小さな町で、家族の手によって行われました。
無宗教のお葬式です。

ニュージーランドは今、だんだん寒くなっていくところです。
帽子をかぶっている人が多かったですが、おしゃれなサマードレスの人のほか、老若男女、ジーンズやTシャツなど、自由な、くだけた服装の人がほとんどでした。
結婚式でもこれは同じです。

会場は、祖母(私には義理の祖母ですが、祖母で統一しますね)が長年住んだ小さな家の、大きな裏庭です。白い棺が、組んだ足場の上に安置され、周りには贈られた花と、私たちも小さなみかんや、パッションフルーツを摘ませてもらった果樹が見えます。棺に近く、地面から四方に枝を伸ばした木に、祖母が生前被っていた帽子がたくさんかけてあります。歩けなくなるぎりぎりまで、家族と手を繋ぎ、杖をついて家の周りをよく散歩していたのを思い出します。

コロナのために来られない親戚のために、ライブで様子を見せてくれました。

とても可愛がられていて、また、よくお世話をしていた孫の一人が、祖母の人生をまとめたものを手に、生前の様子を読み上げました。

その後、一人、また一人と弔問客が立ち、短いスピーチをしました。私たちが出席できたら、きっと夫も立っていったと思います。

ライブが始まったとき、夫が、

「おお、ウールの棺だね」

と言ったので、私の聞き違いで、wood,木製の棺だねと言ったのかと思いました。
でも、棺って大体木製ですよね。
あれ?とは思ったのです。

1時間弱の家族葬のあと、祖母の娘たちや、大きな孫たち、友達八人ぐらいが、棺を霊柩車に乗せるために立ち上がりました。

そこで棺が大写しになったのですが、
上面には3本の色の違う薔薇が並べられ、孫の描いた絵が載せられていたその白い棺は、まさに、ウール、固くて厚いフェルトの質感が感じられる材質でした。
持ち上げるとき用の把手も、かばんについているような革製に見えました。

話がちょっと脱線しますね。
10年ほど前になる、夫の父の棺は、
rimuという、割と希少になってきている木で作られていて、
その底には、白い羊のふわふわした毛皮が敷き詰められていました。
よく映画で見るような、金属と塗りで、中はサテンが敷き詰められているような重厚な棺ではなくて、木と羊という、ニュージーランドそのもののような物で作られているのが、なんだかとてもいいなぁと思ったのでした。
思い出すついでにまた思い出しましたが、そのときは私も、家族の一人として棺の把手を持って、義父を家から運び出しました。義父は土葬でしたので、下に回した丈夫な紐をみんなで持って、かねて用意の穴の中に、みんなでそろりそろりと下げていきます。


事前に葬儀社の人が私たちに説明しました。

「間違っても、紐を手放しちゃいけないと思って、ご自分の手首に巻いたりしないようにしてくださいね。六人もいるのですから、一人ぐらい放しちゃっても大丈夫です。それより、ぐるぐる手に巻いていた場合、入れるときにうっかり棺を落とすことが稀にあるのですが、ぐるぐる巻いていた人が、一緒になってお墓の穴に落っこちますので、気をつけてくださいね」

震え上がったことも思い出しました。

グラン・メリーは、認知症が重くなってきた頃、等身大のリアルなお人形をプレゼントされて、いつも抱きかかえて可愛がっていて、誰彼なく、何度でも紹介してくれました。母が亡くなる直前に、夫とそのことを思い出して話しているうちに、
「重度の認知症でも、少しは何か、いいかもしれない」
と思い、ネットでいろいろ調べていました。
いい人形が見つからず、母に送る前に亡くなってしまいましたけれども。

コロナのおかげでというか、この祖母はここ2年以上、短期のレスパイト入院以外は自分の家で静かに暮らし、娘たちが交代で世話をしました。もちろん、訪問診療、介護、ヘルパーさんも毎日来てくださり、快適に暮らせたのではないかなと思います。子供は三人でしたが、それぞれのまた子供、そのまた子供と、ひいひい孫までたくさんいました。
幸せな一生だったと思います。


白いウールの棺の上の薔薇が、とてもかわいかったですよ。


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