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エッセイ293.バナナの箱と「エフィーじゃなかった」件


夫が、トイレに額入りの絵を掛けたいと言ったのですが、なんとなく、狭い個室に圧迫感が出そうな気がして、その代わり、この前見つけた昔の大きな写真を壁に貼ってみました。
幸い夫が気に入ってくれまして、しばらくこれでいきます。

写真というのは、20年ぐらい前の帰省のときのもので、義父母と孫たちが浜辺を歩いているスナップです。

義父だけがこっちを向いて話しかけているような写り方なため、
トイレに入るとばっちり義父と目が合う感じです。
毎回、「お、お義父さんどうも」と思います。

義父は寡黙で、私たちにも親の意見というものを言うことはなく、
また、とても優しい人でした。
孫たち全員に同じおもちゃを手作りしてくれたり、
みんなが大騒ぎしているのを、スコッチのグラスを手にニコニコ見ていたり。
静かな存在感のある人でした。

そして、いつも私たち一家のことを心配してくれていたのを思い出します。

私たちに子供ができてからは、帰省のたびにこう言いました。

人間いつ何があるかわからないよ?
君たちに何かあったとき、誰に子供を託すか。
考えて決めて、その人たちに頼まないと。
ブリジッドたち(義妹)はどうだい?

それは私たちも考えなくはなかったのですが、義妹たちにすごい負担だろうなと思うと、なかなか話は具体的になりませんでした。

その話を詰めることもないうちに義父が亡くなったときには、子供たちはもう高校生ぐらいになっていましたし、今はもう大人です。

「お義父さん、心配かけました、もう大丈夫だと思います」

と伝えたいです。

で、タイトルのバナナボックスです。

これは、夫が21歳で実家を出てルームシェアを始めた時、実家に置いて行った物。
これがバナナの箱6つありまして、日本に行っても結婚しても、ずっとそのままでした。

で、義父が言うわけです。

お前ね、今回こそはバナナボックスを空にしていってくれよ。
今まではよかったけれど、私たちだっていつまでも生きてはいない。
死んじゃった後は、そのあとの始末が困るだろう。
妹がまず困る。
日本から片付けに来いとも言えないし。
こっちへ来ているんだから、もう思い切って片付けたら?

毎年毎年これを言われ続けて、生返事だった夫、私にも やいのやいの言われて、あるときやっと、渋々片付けました。
もしかして、私物を取っておいてもらえるっていうのが、実家だという感じがあってよかったのかな。

義父の鉄道模型を置いてあるガレージの大きなテーブルの下にあったバナナの箱。
それがみんな失くなってから何年も経ち、義父もあっち側へ旅立ちました。

さて、私は下町のとても狭い家に住んでいたので、結婚した時に持って出たのは、家具はテーブルが一つ。
あとは服と本だけでしたので、私がいなくなってもあまり変化はなかったです。

なので、夫が家を出て20年経っても、荷物を置きっぱなしが不思議、次には、6畳一間分の家具や物をまるっと置いて出て行った娘たちにも驚いたのです。
けれど、聞くところによると、独立した子供たちの部屋をそのまま、っていう人は多いそうですね。
きっと広いお家なんですね。
今、娘たちの荷物が実家に全部置いてありますが、この先ちゃんと二人が片付けて、物置にしている昔の珠算塾が空になったら、それはそれで寂しかったりするのでしょうか。


ところで訂正します。

長い間、エフィー(推定年齢夫と同い年)だと思っていた象は、エフィーではありませんでした。
エフィーはもっと小さくてグレイで、どこにいるかというと、ニュージーランドの義妹の家にいるらしいです。
今、家のソファで偉そうにしているのは、長女が生まれた時、義母が編んでくれたやつだそうです。
道理でそこまで古びていなかったわけですね。

夫がブログの写真だけ見て、「エフィーじゃないから」と何度も言ってきますので、謹んで訂正いたします。

でもこの子の名前、なんだっけ。
誰も覚えていなんですよね。

写真は昨日宣言した通り、義母が長女が生まれた時に編んで送ってきてくれた子たちの一つです。

6度の引っ越しにも耐え、ちゃんとついてきています。

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