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エッセイ334.翻訳の沼(18)アデルの"Hello"ーその1

私は歌を聴いていると、何をしていても、「その歌のお話」を「うんうんうん」と聞いてしまうため、ながら仕事や勉強が全くできません。
そういう人間は珍しいのかと思っていましたら、意外に「聴き入ってしまうので、音楽を聴きながらは何もできない」という人がいました。
夫と二人の娘はそうではないので、私のことを理解できないと言います。
脳が違うのだから仕方ないです。

というわけで、音楽を聴くのは、歩きながらイヤフォンでか、家事をしながらです。もう庭がないのでやらなくていいですが、草刈りのときなどは無心にやったほうがハカがいきますので、イヤフォンに音を飛ばして、聴きながら黙々と刈っていました。

「お話」には、PV, MV映像も含まれます。
一度でも見てしまうと、その曲を聴いている間中、
繰り返しプレイされてしまうので、邪魔です。


例えばです。
またアデルですが、"Hello"ってあるじゃないですか。

もしもし、私よ、と、別れた彼に電話して・・はいないのですが、
何度も電話したことを思い返している、物語仕立ての、
大変起承転結のよくできている映像です。
良い出来なだけに、脳にこびりついて離れてくれません。

ご存じない方のためにざっくりと書きますと、
この歌は、別れた彼に思いを馳せている「私」の歌です。

何回電話してもあなたは不在だったわねと。
やらかしたことを謝りたいのに。
でも、少なくとも私、やるだけはやったよね。

そういう歌詞なのですが、MVを見てしまったため、
その映像が浮かんできて、勝手に自分で解説をしながら聴いてしまい、
疲れてしまうのです。
それに、自分の想像の翼が羽ばたけないです。

せっかくなので、もう仕方ないので、
もう一度Youtubeから見てきました。

こんな映像ですということを書いてみますので、
私と同じタイプの人で、
この先もアデルの"Hello"を無心に聴きたい方は、
以下はお読みにならない方がいいと思います。




大丈夫ですか?
では始めますね。


古い家の窓枠に、蜂の死骸がいっぱいある、というところから始まります。
まだ音楽はないです。

田舎道を小さい車が走ってきます。
オースティンミニでしょうか。
乗ってきたのはアデル本人です。

車を降りて、髪を吹き飛ばさんばかりの強風の中で
「彼女」は誰かと話しています。

「着いたんだけど、もう電波が怪しいの」

と言っています。
相手はお母さんか、女友達でしょう。
今の夫や彼ではないことは、見ていればだんだんわかってきます。

観光地では全くない、ど田舎のようなので、
何か目的があって、わざわざきたんだな〜
と思います。

彼女は風の吹き荒ぶ戸外で、携帯で電話をし続けています。

Hello? Can you hear me now?
Sorry, sorry, I'll call you later.

もしもし? 聞こえる?
ごめんごめん、またあとでかけ直すね。

そう言って電話を切ります。
かちゃんと二つ折りにするガラケーです。
その指は結構濃い色のジェルネイルで、長さも長いです。
これを見ると、結構お金持ちなのかなと思わせられます。
家事をあまりしなくて良い身分の人なのでしょうか。

こんなカントリーに一人でやってきたのはなぜ?
余程のご事情があってのことであろうな?
と、ついここで思ってしまいます。

ちなみにこの最初の、
Hello, can you hear me?
は、歌詞の中にすぐ出てきます。

次、ガチャガチャ、という音を立てて彼女は家の鍵を開けます。
きぃ〜、ときしる音とともにドアが開きます。
彼女は結構いい服を着ています。

次に彼女は高い位置にある窓枠から下がるカーテンの途中を、
両手でむんずと掴み、思い切り良く引っ張って、カーテンを外します。
次に使う予定がない感じです。
埃が舞います。
自分の家なのでしょう。
カーテンを手荒に扱っているのは、
ここにまた住むために来たのではなく、
カーテンも古くて、この先使わないと想像できます。


彼女は次に、埃よけに被せてあったシーツ類を、
家具やスーツケースから引っ張って取ります。

埃がチンダル現象を発生させ、
この家には何年も誰も住んでいなかったことを感じさせます。

ちなみに、日本人はしないことですが、イギリスのドラマなどを見ますと、
お金持ちの貴族が、カントリーハウスと、シティ・オブ・ロンドンの邸宅と行ったり来たりして暮らす場合、一家がどちらかの家にいる間は、シーツで家具などの埃よけをしておられますな。
住んでいなくても、使用人たちはずらーっと、ご主人たちのいない家に居並ぶようにして、住んでいます。
すごいですね。

で、久しぶりに「ご主人が来るのよ」というときには、執事やらメイドやらがせっせとシーツを外しにかかる、というシーンを、「ブリジャートン家」とか「ダウントン・アビー」なんかでよく見ます。

"Hello" の彼女も、住んでいない自分の家を売らないで何年も取っておける人なのです。

時計の音がカチカチ・・・と響いてきて、彼女は重く息をつきます。
時の流れを、カチカチカチカチ・・
によってますます思い知らされているのでしょう。


彼女はお湯を沸かし、お茶を淹れて飲みます。
どこへ行ってもまずお茶お茶、というのがイギリスの人なのでしょうか。
火もちゃんとつきます。
隣家があたりに見えない丘陵に建つ家なので、
きっとプロパンなのでしょう。
あとでわかるのですが、電話も通じています。

つまり、住んでいないない家を売らず、すぐ住めるようにしていたのは、
別れた彼とやり直す気が満々のまま、何年間を過ごしていた、
ということを ほのめかしています。
(と、勝手に私の脳が思っています)

お茶はティーバッグです。
さすがに埃の積もったティーポットは使いたくなかったのでしょう。
ティーバッグは、ロンドンの自宅から持ってきたのかもしれません。

この辺で一回切りますね。長いですのでね。
めんどくさい話におつきあいくださっている方、すみません。
翻訳は3回目ぐらいに書くと思います。

サポートしていただけたら、踊りながら喜びます。どうぞよろしくお願いいたします。