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エッセイ472. 唄う夢を見た


昨日、夢の中に小さい頃の娘たちが出てきて、3人で気持ちよく歌を歌いました。
目を覚ましたら、いろいろなことを思い出したので、
忘備録に、ちょこっと書いておきますね。


夢の中で私は娘らに話しています。

「この前、Kちゃんのベーカリーに買いに行った帰り、狸を見ちゃったよ!」

これは本当で、Kちゃんの営むK工房に行った帰り道、見たんですよ。
最初、痩せこけていたのでハクビシンかと思ったら、
Kちゃんによると、あの辺は結構狸がいて、
tamadoさんの見たのは、病気か何かで痩せこけてしまった狸でしょう
と言っていました。


以来、そのへんを暗くなって通る時は、つい狸を探していましたが、
20回に一回ぐらいは、狸らしい姿を見かける気がします。

夢の中で長女が言いました。

「狸といえばおかん、アニメでなんかあったね」
「ジブリの? 平成狸合戦ぽんぽこ?」
「そうそうそれ。今見られる?」
「残念、うちのジブリはみんなビデオとレーザーディスクなんで、
デッキがないから見られない」

すると次女が言いました。

「お母さん、あの歌覚えてる? いつでも誰かがっていう歌」

覚えてるとも。

というわけで、そこから夢の中で、3人でハモりました。
あのハモり、気持ちいいんです。

🎵
いつでも誰かが きっとそばにいる
思い出しておくれ 素敵なその名を
心がふさいで 何も見えない夜
きっときっと誰かが いつもそばにいる

もっと歌いたかったけど、そこで目が覚めてしまいました。
夢の中では娘たちがそれぞれ何歳ぐらいだったかも、もうぼんやりしてしまいました。


それにしても不思議です、「平成狸合戦ぽんぽこ」も、
挿入歌である 上々颱風の「いつでも誰かが」も、
全く思い出すことなどなかったのに。

あの映画は、長女が生まれる2年前の1994年公開なので、
公開から何年も経ってからLDを買って、繰り返し見るようになったものでした。
ビデオデッキも、レーザーディスクプレーヤーも、
壊れたきり、買い替えることもないので、もう見られませんが、
昔はLPと同じサイズのレーザーディスクと、ビデオテープで、
ジブリの映画はほとんど持っていました。

ジブリ映画は、子育て時代を通して一家で楽しみ、お世話になりました。
こうなるとあれかな、「君たちはどう生きるか」も、
一応見ておかないと申し訳ないかな。


芋蔓式に思い出しました。

まだ次女がお腹にいて、長女のベビーカーを押してホームセンターを歩いていたときのことです。
いきなり長女が 手遊びをしながら歌い出しました。
保育園で習ったのでしょう、回らない舌で、大きな声で張り切って、

ゲンコッチュ山の、狸たん
おっぱい飲んで ねんねっちて
抱っこちーて おんぶちーて まったあっちた!!

前を歩いていたおばあさんが振り返って、
あらぁ、上手ねぇ
と言ってくれました。

また、ある日暮れどき、駅から歩いて帰る途中。
次女はA型ベビーカーで熟睡していました。
長女は言われた通りベビーカーのハンドルをしっかり握っています。

ねえねえtamadoちゃん、あんのーひーとの、歌って?

うちの子らは大体私のことは名前で呼んでいます。

あんのー、ってあれか、はいよ。

🎵
あんのーひーとの、ママに会うために

これも「魔女の宅急便」の挿入歌でしたね。
「ルージュの伝言」。

歌い始めたらすぐに彼女も歌い出したので、
私は黙り、長女は最後まで嬉しそうに歌いましたっけ。

途中、今はもうマンションになってしまいましたが、
中央道の真下近くに、大きなキャベツ畑が広がっているところがありました。

夫が長女に、

君はこのキャベツの中の一つから出てきたんだよ。
tamadoが引っ張り出して、うちに連れてきたんだよ

と言ったら、ほんの少しの間、信じていたそうです。(本人談)。


起きていても覚えているような夢を、とんと見なくなりましたが、
こんな夢なら、また見たいなぁと思います。



子供が生まれてから小学校の中学年ぐらいまで、
懐かしのプリントごっこで年賀状を作っていたこともありました。






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