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日本語教師だよりその27.ガラパゴスへの道(6)ピンと来た


タイトルが長くてよくわかりません。

日本語教師の仕事でいろいろ書きたいけれど、
整理するつもりで実践編と、経歴編を分けました。
逆にわけがわかりません。

ガラパゴスへの道というのは、
大手の日本語学校から出発し、
所属した日本語学校が何度も変わり、
出産と育児で少々のブランクもあり、
途中で勉強して日本語教育能力検定試験に合格し(三回落ちた😭)、
公立小学校で日本語取り出しクラスに関わったり、
3つのエージェントをかけもちしたり。
名古屋に転居して 一度は仕事0になりました。
それから発奮して、H Pを作ったり、塾を開いたり、
今は対面の生徒も全てオンラインになりました。

作り溜めた教材も大量になり、
一人一人の生徒のニーズに ほぼ応えられるようになってきました。
オンラインレッスンの方は、他の皆さんより一足早く、
10年前から始めていて、ネット教材も使えるようになりました.
個性あふれる生徒たちと毎日おしゃべり・・じゃなくて勉強をすることで、
コロナ禍の息苦しい毎日を 充実して楽しく過ごせています。

ただ、レッスン内容を一人一人にカスタマイズするため、
指導方法が、人ごとに違います。

今は自称、ガラケーじゃなくて、ガラパゴス教師になりました。
甲羅に苔とか生えちゃった亀教師の歩みを、
こちらにぽつぽつ書かせていただいています。


今日は私が、日本語教師というものに始めて注意を向けた、
ある日のことについて書きますね。


学生時代でした。
北鎌倉の駅からほど近い、「鉢の木」という和食の店にいました。
自分では入りにくく感じるようなお店ですので、
多分スポンサーの親と一緒に行ったと思います。

休日のお昼時でお店は混んでいて、記憶違いでなければ、
テーブル間がすごく近かったか、
相席もありうる、長い卓に案内されたような記憶があります。
それで、自分のすぐ隣に 向かい合って座っているお二人の会話が、
とてもよく聞こえたのでした。

一人は50年配の日本女性で、もう一人は若い白人系の男性でした。

女性がこんなことを言っています。

「鎌倉は、これからいろいろなところに行きますが、
鎌倉幕府、Shogunateの始まったところです。 
でも、他に、『かまくら』と呼ばれるものがあります。
ひらがなで書くのが普通です。
日本の雪国で、雪で作った家に子供たちが入って、
大人をもてなしたりします」

男性が、

「はい、写真を見たことがあります」

とうなづいています。

英語での会話でした。

(この人はどう言う人なのだろうか・・・・🙄)

観光通訳ガイドさんか、もしかして、日本語の先生?

話を聞いている限りでは、そのどちらともわかりませんでした。
当時は日本語教育になんの関係もない学生でしたので、
文法のことなどが話に出てきても、何もわからなかったでしょう。

けれども、これが日本語の先生というものかしら、と思い、
私もできたらやってみたいなぁ、と思ったことは覚えています。

当時は、英語ができなければ日本語は教えられないものと思っていましたので、
私には無理無理。
とは絶対思ったことでしょう。

その後、OL暮らしに疲れてきたある日、朝日新聞の各種学校案内の紙面に、

日本語だけで日本語を教えられます。
あなたも日本語教師になりませんか?

という、1cm×3cm ぐらいのちっちゃな広告を見つけました。

え〜、日本語だけで?
どうやって?

と、にわかに興味を惹かれました。

高田の馬場校と、今はもうない南新宿校のあった、
千駄ヶ谷日本語教育研究所の、
日本語教師養成講座の生徒募集記事でした。

北鎌倉のランチタイムでピンと来て、
カチッと小さい音でスイッチが入り、
何年も経ってから、ぐるっと展開を迎えたのがこのときでした。

今では、上級の学習者に、「いざ鎌倉」の意味を教えるとき、
能「鉢木」(はちのき)の筋も教えたりすることがあります。

思えば遠くへ来たものだなぁと思います。



ご参考までに:ウィキ先生より。

鉢木(はちのき)
ある大雪のふる夕暮れ、佐野の里の外れにあるあばら家に、旅の僧が現れて一夜の宿を求める。住人の武士は、貧しさゆえ接待も致されぬといったん断るが、雪道に悩む僧を見かねて招きいれ、なけなしの粟飯を出し、自分は佐野源左衛門尉常世といい、以前は三十余郷の所領を持つ身分であったが、一族の横領ですべて奪われ、このように落ちぶれたと身の上を語る。噺のうちにいろりの薪が尽きて火が消えかかったが、継ぎ足す薪もろくに無いのであった。常世は松・梅・桜のみごとな三鉢の盆栽を出してきて、栄えた昔に集めた自慢の品だが、今となっては無用のもの、これを薪にして、せめてものお持てなしに致しましょうと折って火にくべた。そして今はすべてを失った身の上だが、あのように鎧となぎなたと馬だけは残してあり、一旦鎌倉より召集があれば、馬に鞭打っていち早く鎌倉に駆け付け、命がけで戦うと決意を語る。
年があけて春になり、突然鎌倉から緊急召集の触れが出た。常世も古鎧に身をかため、錆び薙刀を背負い、痩せ馬に乗って駆けつけるが、鎌倉につくと、常世は北条時頼の御前に呼び出された。諸将の居並ぶ中、破れ鎧で平伏した常世に時頼は「あの雪の夜の旅僧は、実はこの自分である。言葉に偽りなく、馳せ参じてきたことをうれしく思う」と語りかけ、失った領地を返した上、あの晩の鉢の木にちなむ三箇所の領地(加賀国梅田庄、越中国桜井庄、上野国松井田庄の領土)を新たに恩賞として与える。常世は感謝して引きさがり、はればれと佐野荘へと帰っていった。」

なんかいつも、読むとじわっと来ちゃいます。

トップ写真ですが、りんごとどんぐりを植えてます。芽が出てきたので、
盆栽にしようと思って、楽しみに育てています。

サポートしていただけたら、踊りながら喜びます。どうぞよろしくお願いいたします。