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エッセイその105.翻訳の沼(11)いつかは?



いろいろ書いておいてあれですが、自分が翻訳家になるのは無理だと思う理由があります。

一つは、
「翻訳家になるためには、対象言語を、母語を読むのと同じスピードで、
辞書なしで、楽しいと思って読める能力があること」
というのがあります。

私なら、英語で書かれた本を、日本語で読むのと同じように読めないといけないということです。

残念ですが、それは私には無理でしたし、今も無理です。

もう一つは、需要の問題です。
希望者の多い「文学」「児童文学」の翻訳の世界は、なり手が多すぎるそうで、現実的ではないということです。
翻訳家の友人が数人いますが、みな同じことを言っています。
どの翻訳学校でも、専門分野のコースを強く勧めています。
医学、特許、科学技術その他ですね。
石にかじりつくようにして長年勉強をし、運よく翻訳家になれたとしても、
自分はきっと楽しめないという気がしました。

そこで翻訳は、好きなようにやっていこうと思うようになったのです。

そんな私でも、翻訳の仕事をする機会もほんのたまにはあります。

インターネットマガジンのコンテンツの翻訳は、娘の下請けをしました。
娘が締切に苦しんでいるときに、やりたそうに側をちょろちょろしていたら、

「おかんもやる? 1時間1万円だけど」

と言われたので、

「やるやる、(ただでも)」やりたい⭐️」

と食い付きました。

そのときは文字数ではなくて、自己申告の時間制でした。

私の訳したものが、今もどこかで漂っているそうです。
インターネットの翻訳仕事は、探せばあるかもしれませんね。
いつかはもっとやってみたいです。


変わったところでは、海外から楽器や衣料を売り込みに来る人から、
最初の突破口としてのパンフレットなどを訳すなんていうのがありました。
そのときは一瞬、バグパイプやアランセーターについて、詳しくなりました。

それからまた、生徒たちからは、何かの手続きに必要な書類を頼まれ、
訳すということがありました。
結婚証明、出生証明、私はこの人の子供であるという証明。
国によってはいまだに 読みにくいタイプで打った書類があります。
カーボンコピーの実物なんて、久しぶりに見ました。
頼んでくる人と話すと、世の中には本当に大変なことが多いことがわかります。

在日外国人の幼稚園ママのお便りなども、緊急度は低いけれどもその翻訳は必要とされています。
生徒の場合は、授業の中でささっと必要なことだけ伝えています。

災害時の「やさしい日本語」づくりのお手伝いは、すぐにでも参加したいと思っています。ひらがながようやく読める日本語レベルの人にとって、新聞などで見る「災害時の助けになる、わかる日本語」、あれでもまだまだ難しと思えるものがるからです。
機会があれば関わらせていただきたいです。


翻訳コンクールにはずっと応募しています。
こちらは文学の方なので、夢のつまみ食いとして、しつこく続けていくでしょう。


コロナウイルスのために、家にいる時間がとても増えました。
翻訳は、じっくり落ち着いてやらないと私にはできません。
今は、Netflixで見てはまった「グッド・オーメンズ」をやっています。
大好きなアジラフェールやクロウリーが、拙い訳の中から立ち上がって
動き出します。

コロナが作り出した時間を使って、のんびりやって行きたいと思っています。

サポートしていただけたら、踊りながら喜びます。どうぞよろしくお願いいたします。