見出し画像

エッセイ371.義母へ、あれから1年。

義母さん、久しぶりです。
そっちで、元気にやっていますか?
こちらはみんな元気です。

去年の今頃まで、毎朝のようにやっていた、あなたの息子とあなたのオーディオブッククラブ。
たくさん読みましたね。
息子の好みで、フランク・ハーバードの「デューン」も最後まで。

毎朝のことでしたから、私は家族のお弁当を作ったりしていて、特にしょっちゅう話に加わることはありませんでしたが、あの時間は本当に不思議で、音声がとてもクリアなために、居間に毎日あなたが来ているようでした。

コロナで会えなくなったあと、加齢性黄斑変症でどんどん目が見えなくなり、それまでの老人施設の広めの一人暮らしユニット棟から、病院等のケア施設に移りましたね。

もともとの2LDKの部屋には、何度も長期間泊めてもらって助かりました。
私たちの結婚式の二次会をした懐かしいイーストコーストロードの家。
そのあとダウンサイジングしてお義父さんと移った、
シェイクスピア・ロードの小さな3LDKの家。
そして、老人施設のアパートも全て、私たちにはとても懐かしいです。

毎年2〜3週間、日本からの4人がガチャガチャ出入りして大変だったでしょう。最後の方はもう、95歳ぐらいでしたし。
子供らが赤ん坊のときなんか、3ヶ月ぐらいのを連れて行って、ずーっと世話してもらいましたね。

お義父さんが亡くなってから、最後の家を処分して老人施設に移ったのは93歳。みんなから
The oldest new girl.   (最長老の新人)
と呼ばれていましたね。

夕方四時になると、自分のグラスだけ持って、6人のお友達の部屋を日替わりで訪ねていたのを覚えています。
自分がワインを持っていくのは6回に一度。
私たちが夕方、どこかに遊びにいくときは、よくどこかの部屋のベランダから、あなたとお友達が顔を出して、

いってらっしゃい
楽しんで!

と、声をかけてくることがありました。


去年の今頃  あなたが朝、電話をしてきて、
ちょっと具合が悪いので、2〜3日オーディオブックを休みたい
と言ってきました。
そのあと、施設の病院に入院して、おりた診断は、腎臓その他が、一度は回復したコロナ感染以降、万全にはなっていなかったため、機能が落ちていて、予断を許さない状態であるというものでした。

その日のうちに、主治医・あなた、妹夫婦と日本の私たちで、音声で治療方針を決めました。

女医さんに、

ケイ、治療方法はあります。
ただし、病院で最後まで過ごすことになり、また、たくさんの管に繋がれて、
やがて昏睡状態になります。
そのやりかたで、2、3ヶ月は生命は維持できます。
もう一つのオプションは、何もしないということになります。
すると、全身の機能が落ち、あなたは五日から1週間以内に亡くなります。
その前に昏睡に陥り、苦しいことは一つもありません。
また、娘さんの家に移って、そこで最後を迎えることもできます。
どうしたいですか?

と言われて、

じゃあ、自然に任せましょう。  Let the nature take care of it.

と言ったのがあなたの答えでした。

初対面から別れまで、27年でした。

Welcome to the family

と言いながらふわっとハグしてくれたときのタルカムパウダーの甘い香りは、
いつまでも懐かしい、あなたの香りです。

92歳まで一人で日本に遊びに来ていた、
その健康と元気さを見習って、私たちもこの先も頑張りますね。






サポートしていただけたら、踊りながら喜びます。どうぞよろしくお願いいたします。