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エッセイその135.日本人同士だからグッド!というわけではなかった話





日本語教師の仕事は、教育関係と言っていいと思いますが、
同時に接客業であり、サービス業でもあります。

プライベート専門になった私などは、特にそうです。


その昔、先輩の日本語教師から、

「腹にすえかねる生徒への対し方」

について、すばらしいアドバイスがありました。

「そんなときは、自分に言い聞かせるといいわよ。
 これは私の仕事、この人は私の友達ではない、って」

「tamadocaさん、その人のおでこにお札が貼ってあると思えばいいのよ」

「他でこの人が恥をかいても、私たちの心配するところではありません。
 失礼なことを言われても、
  『この人はおでこにお札をを数枚貼り付けた、どこぞの馬の骨さん』
と思ってしまえばいいのよ」

と、教えてくださった、U井さん、T内さん、ありがとうございます。

そうです、仕事でも、日本人である私たちは、
あまりはっきりと自分の感情は出さないということはあるでしょう。
(だから、教えていて「溜まる・・」ことは私も結構あります)


けれども思うに、日本以外の国の人の中には、

「言わなければ(言語化しなければ)、それはないのと同じ」

というのが、かなりあると思います。


日本人である私たちの

「口に出せないけど、なんとなく察してほしい」

というのは、世界には通じないと思って良いみたいです。

だからでしょうか、逆につい、海外で出会う同胞には、
いろいろ、すんなりと解り合える・・・ような、期待を持ってしまいます。
帰省が長くなると、日本語をしゃべりたい気持ちも募ってきて、
そちらで日本人の友人に会えたりすると、とても嬉しいものです。


今日はそうでなかったお話を、例によって「時効かな?」ということで。


ずいぶん昔のことですが、義母が嬉しそうに言いました。

スティーブン(義弟)の友達の奥様が日本人なの。
紹介するから会ってみたら?

こういうことは、最初の頃結構ありました。

けれど、私はNZ滞在日数が2〜3週間という短かさなので、
そこまで積極的に、日本人に会いたい気持ちはありませんでした。
初対面だし、次もおそらく、なさそうですし。

(今、在NZで友達である人は、日本で出会っても友達になれるタイプです。
自分で選んだ友達だからでしょう)


さて、このときの日本の女性は、
とても生真面目そうな、物静かな人でした。

あとで夫に聞いてみると、彼も
(あまり馬鹿なことは言ってはいけない気がする)
と思っていたそうです。

話の流れで私が、

「両親のことをファーストネームで呼んでいるイギリス人の友人」

について 話していました。

私と夫の共通の友人で、私たちはそういうのっていいな、と思っていたのです。

当時フィアンセの現旦那が言いました。

「日本人て、役割で家族同士を呼び合うでしょう?
妻が、『子供の父親』であるからと、夫のことを『お父さん』、
夫の方も、妻のことを『お母さん』。
子供に兄弟姉妹ができれば、
『ほら、お兄ちゃんでしょう』とか、
『お姉ちゃんだから譲りなさい』とか。
僕はそういうの、嫌なんですよね。
だから、子供たちにも、そのイギリス人のように、
家族全員のことは、ファーストネームで呼ばせたいんですよね」

と。

それまで黙りがちだった、日本人の彼女が私に向き直っていいました。

tamadocaさん、 あなたもそういう考えですか?

私は、深く考えずに、「そうですね。それでもいいかな?」
と答えと思います。

と、彼女が少し難しい顔になりました。

「私はそういうのは嫌ですね。
今 流行りの友達親子とかいうのでしょうか。
親子がファーストネームで呼び合ったら、
親の威厳というものがなくならないですか?」


うわぁ、はっきり自分の意見を言う人だなぁ、と思いましたが、
私はこういうとき、どうでもいいと思う方なんで、たぶん

なるほどそうですね。

ぐらいを言ったのではないかなと思っています。

この人は今、日本の夫婦別姓にも反対するタイプでしょうか・・。

こんなことを思い出してみると、日本人だから即仲良しになる、
ということは、当たり前ですが あまりないですよね。
せっかく引き合わせてくれたのに、なんか申し訳なかった思い出でした。

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