見出し画像

ブラジル音楽を中心に幅広いジャンルを演奏する打楽器奏者の“木川保奈美”さん

小さい頃から音楽に触れ、様々な音楽活動を通して自身の音楽の道を追求し続けているパーカッショニストであり、作曲家の木川保奈美さんからお話を伺いました。

木川保奈美さんプロフィール
出身地:千葉県、東金市
活動地域:主に東京、千葉、(札幌)
経歴:武蔵野音楽大学打楽器専攻卒業。
クラシックパーカッションを学び、在学中に福井直秋記念奨学金を受ける。大学在学中より、東京を拠点にプロミュージシャンとしての活動を開始。ブラジル音楽を中心に、ジャズ、ラテン、フュージョン、ポップスなど幅広いジャンルにて演奏を行うほか、作曲活動も行い、自身の楽曲をライブにて公開している。
2017年、ブラジルに短期間滞在し、老舗クラブLittle Clubをはじめリオデジャネイロ、サンパウロにて演奏。
2018年、Paquito D' RiveraのBlue Note Tokyo公演に2曲参加し共演する。2019年、柴崎コウ配信限定シングル「Maps」レコーディングに参加。
現在の職業および活動:パーカッショニスト
座右の銘:「努力と才色兼備」

「サンパウロに音楽留学し、もう一歩進んだ作曲を」


1.木川さんが思い描くこれからの夢・ビジョンを教えてください。
木川保奈美さん(以下、木川):
ブラジルのサンパウロに音楽留学をすることです。なぜかというと、今、ブラジルの各州で新しい音楽が生まれつつあって、その中でもサンパウロの音楽がカッコイイなと思って、どういう経緯で盛り上がっているのかは現地に行ってみないと分からないと思ったので、それを学びに行くのが夢です。

近年盛り上がってきていているサンパウロの音楽ムーヴメントは、もともとブラジル独自にあるボサノバやサンバ、北東部の音楽Forro(フォホー)などに海外のジャズやクラシック、ロックやフュージョン、最近のジャズとかの影響を受けた、まだ名前もついてないような現代の音楽で、日本でも少しずつ知られてきています。

留学ではブラジル音楽の基本的な技術とかを勉強したいのが一つと、その界隈を知ってそういう音楽ができるようになりたいのと、更に欲を言えば自分がもう一歩進んだ新しい作曲をしたいというのが最終目標です。自分の曲は好きなんですが、もうちょっとレベルアップできるとどこかでいつも思っていて、だけど何が足りないのかは分からない状態なんですね。もうちょっと何か違うことをしてみたいと思ってます。

記者:オリジナルを生み出したいというのがあるんですね。


「相手の言語で相手の気持ちで話す」


Q2.木川さんは夢を実現するために、どのような目標や計画を立てていますか?
木川:
留学を第一目標にしてるので、それに向けて語学学校に3年くらい通いながらポルトガル語を勉強しています。
ブラジル人が自分の気持ちを一番伝えられる方法はポルトガル語なので、本当のその人の気持ちを知りたくて、現地の言葉で会話できるように勉強しようと思いました。外国人の友達が下手でも日本語で喋ってくれたら嬉しいように、そういう感じがブラジルにもあるみたいで、より親近感も持たれやすいので。

それと、ブラジルは何でもかんでも人のつながり重視で、ご縁が思わぬ方向に続いていくような社会なので相手の言語を学んで話すのが大事だと思っています。

「音楽で生きる」


Q3.木川さんはどのような活動指針で、どのような活動をされているのでしょうか?

木川:ボサノバやブラジル音楽のカバーバンドと、自分やメンバーのオリジナル曲バンドの2つの定期的なバンド活動と、パーカーションが必要な人に呼ばれてやっていますが、ブラジル音楽だけとかあまりジャンルには囚われないようにしています。いろんなジャズとか、他の音楽の人とも一緒に積極的にやるようにすることで、思わぬ面白い仕事に繋がる事もあるので、自分が興味あったら、声がかかったらやってみてます。

記者:ご縁や人との繋がりを大事にされてる感じがするのですが、そこも活動指針にありますか?

木川:人との繋がりは大事です。これは全ミュージシャンにとって大事だと思います。音大では、音楽をうまく演奏する技術はたくさん教えてくれたけど、ミュージシャンとしてどう生きるかは教えてくれなかったことですね。

大学3年までは自分の好きな音楽や学校で習ったものばかりをやっていましたが、
周りの友達の就活を機に、色んな人の話を聞いたり、今までやったことない曲にも挑戦し始めたりして、今みたいなライブ活動をスタートしたのが大学4年の時でした。そこで“音楽で生きる”にシフトチェンジした感じはありましたね。

「ブラジル音楽にとどまらない、日本人の自分が生み出す自分の音楽を」


Q4.木川さんが「サンパウロに音楽留学したい」という夢を持ったきっかけは何ですか?

木川:それまでは数年に一度一ヶ月滞在して勉強していければいいかと思っていたけど、実際2年前に初めてブラジルに行ってみたら、現地の人がどんなコミュニケーションや生活スタイルをして音楽が生み出されているのかを、もうちょっと長く継続的に住んでみたら分かるかもしれないと思ったのと、自分の音楽をもっと良くしていきたいと思ったのがきっかけです。

記者:音楽が生まれている背景にも関心を持たれたのですね。

木川:ブラジルって思いも寄らないことが平気で起きるんですよ。私の好きなブラジル人のミュージシャンのライブがあったんですけど、後半のライブセッションで一緒に演奏できたら嬉しいなと思って行ってみたら、何曲も演奏してすごく仲良くなったんです。更に、週末のホームパーティーにも呼ばれて、一緒に演奏して仲良くなったり、そこにもたくさんのミュージシャンが集まって友達が増えていくことが一ヶ月に何度もありました。人脈が爆発的に広がって、みんな人見知りもしないから、日本人が来ると珍しがって話しかけてくれるんですよ。日本とは全然違う文化が新鮮で、一ヶ月でもすごかったから一年いたら何が起こるんだろうって思いました。

正直、技術だけだったら日本にずっといても習得できると思ってて。教育も治安もいいし、インターネットでもいくらでも学べるけど、それだけだと自分の行きたいところには到達しないんですよね。そこに到達するためにも、サンパウロの音楽ムーブメントを探りにいくことで、自分の表現したいことやスキルアップしたいことが明確になっていくんじゃないかと思って。また、別のジャンルや専門分野の方とも積極的に幅広いセッションをしながから、ブラジル音楽にとどまらない日本人の自分が生み出す音楽の道を追求したいと思っています。


「新しい音楽との出会い」


Q5.木川さんが「もっと新しい音楽を生み出したい」と気づくことができた背景には、何があったのですか?

木川:2013年に初来日したDDG4というバンドのライブを初めて聴いた時ですね。ブラジル音楽ってこういうのかと思ってたものを覆された感じで、一音目からこれ違うな!聞いた事ない!と思って好奇心が沸きました。
それまでのブラジル音楽は、ボサノバよりちょっと新しいMPB(エムペーべー)の方が好きで聞いてたんですけど、一気に好きになりましたね。

記者:新しいものに対して受け入れるスタンスがあるのですね。自分の曲を生み出したいと思うようになったキッカケはありますか?

木川:元々のキッカケが、ブラジル音楽を勉強したいよりも先行して自分の作曲とか打楽器を頑張りたいというのが最初だったので、自分のオリジナル曲やバンドをやってました。小さい頃から打楽器をやっていたんですけど、音楽好きな家族で母もエレクトーンの先生なので、普通に聞こえてくるいろんなジャンルの曲を聞いてるうちに、もっと自分にぴったり来る曲がないかなと小学生くらいから思うようになり、だんだん中学生くらいから作曲もどきをし始めて、本格的に大学で書きあげるようになったのが、作曲を始めたキッカケだったかもしれません。

更に今は第二段階で、自分の曲を作って聞いてていいなとも思うけど、もっとこんな曲にしたいと思うようになったりもしていて、これからどんな音楽が生まれるのか楽しみです。

記者:以上でインタビューは終了です。
本日は貴重なお話、ありがとうございました!

---------------------------------------------------------------------------

木川さんの活動、連絡についてはこちらから↓↓
Facebook:https://www.facebook.com/honami.kikawa

HP:https://hkperc.themedia.jp

【編集後記】インタビューの記者を担当した廣瀬&進藤です。
ブラジル音楽にとどまらず、自分の音楽を生み出したいという強い意志を感じました。そこに対する向上心と、新しいものを取り入れながら自分の音楽の道を追求し続ける木川さんの姿勢がかっこいいなと思いました。終わりない進化発展と、これからの更なるご活躍を楽しみにしています。

---------------------------------------------------------------------------

この記事はリライズ・ニュースマガジン”美しい時代を創る人達”にも掲載されています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?