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MHW:IBのデザイン批評(サンブレイクをプレイしつくした上で)

注釈:MHW:IBが2019年、MHR:SBが2023年のゲーム(そのオリジナル版がそれぞれ1年前ずつ)であることを重々承知した上で、MHW:IBのデザインに関する批評を記載する。可能な限り建設的な内容で進める予定ではあるが、溜飲しにくい内容だけでなく、アクション好き+UIにうるさい+ストーリーに対する要望が多すぎる私が書く時点で偏見まみれであることを付記する。


調査と調和と狩りが絶妙に合わん

モンハン世界はポケモン世界然り、現実の動物やあれこれをモチーフにして大型と小型モンスターを作成しているが、必ずしも「微生物・植物・菌類」の解像度は若干引くく、小型モンスターがより小型の環境生物を食すという場面も存在しない。これはゲームとしてはまったくもって正しい解釈で、プレイヤーが求めてる要素を補間するために存在することは許されても、煩わしさや一部設定の破綻を促すことは避けねばならない。言わば小説とかで切羽詰まってなくとも1分ごとの描写をし続けるに等しい。

では「モンハン世界の環境」とは

実は3rd以降に発生するシリーズ通しての定番というのが看板モンスターが各地に現れる -> 実は追いやられた個体だった -> 元凶退治の良く言って王道、悪く言って茶番が繰り広げられている。その看板モンスターが台頭してくることによって変わってしまった周辺の環境や、モンスターの活性化のことを「環境」と呼称している。
王道なのか茶番なのかはさて置き、準大型モンスター(鳥竜種等)から大型モンスター(その他竜種)を経た上で古龍モンスターへの移行としては完璧な流れだからこそ、廃止する理由が特に無いし、シリーズによってはエンドコンテンツへの紹介としての役割を果たすこともある。
総じてモンハン世界の環境とは、ストーリーとレベルデザインを主軸としたフレーバーテキストの延長線上であり、看板モンスターと元凶へのお膳立てとしての側面が大変強い。

導蟲ってなんで蟲なん?

MHWとIBでは導蟲システムを導入し、モンスターが各地にそのステージに居た痕跡を残すようになった。そのモンスターを狩猟するだけでなく、痕跡を集めて調査レベルを上げることで、狩猟開始時点での案内度合いが変わる。
過去作ではハンターの直感から「何となくここにいる」を頼りにマップを移動した挙句にペイントボールを付けるという動作だった。さらに極めると一部の熟練プレイヤーは次の移動場所を把握しているのでペイントボールを所持しないこともあった。これらはプレイヤーのアクション能力よりも満遍なく培った経験だけが生かされていたため、それをシステムとして組み込んだ点は多くのプレイヤーを喜ばせた。
以降はデザイン的に批評を連ねる。
まず痕跡と導蟲が中途半端に狩猟中の相性が悪い。足跡の痕跡から「ここを去ったので次はあそこに居るだろう」と少し考えを巡らせる余地が発生する前に導蟲がペンキをまき散らすが如く緑・青色の蛍光色を塗りたくる。特に痕跡には足跡以外にも鱗片や壁の傷等もあり、移動中に唐突に壁が変色する様はプレイヤーにかなり「ゲームを意識」させる。
(個人的には鱗片や羽跡等は、そのモンスター特有の色だったりするので、せっかくのそれらがまったく関係ない色になってしまうのは残念でしょうがないと思っている)。
そして導蟲という存在そのものが環境や調査を含めても、ゲーム性能に引っ張られ過ぎて意味が分からん何かになっている。調査をする -> 調査団の知識がある -> 導蟲の性能が良くなり狩猟の案内してくれる、という警察犬以上の嗅覚で痕跡やモンスターそのものを見つけるが、これを「蟲」と表現されて納得行くのは見た目だけで正直これら特性を何故「蟲」が所持しているのかが判らない。むしろ長年調教してきた相棒の犬がそれを出来る方がまだ説得力がある。
総じて、この導蟲ありきの理由で環境の調査をし続けることを、ゲームのレベルデザイン的に組み込んでいるのだが(メインクエで「痕跡集め」なるフェーズも存在する)、導蟲が露骨にゲームを意識させるため、環境を調査するという自然的な動作を促せつつも、幾度とゲームの方に寄らせる導蟲はテーマ的に不和を生じているし、特にムービーシーンで元々緑・青色の導蟲が急に赤色になって雲散霧消する演出を「目が腐る程」見させられる。仮にこれを先ほどの犬として混ぜた場合には、怯え方や勘づき方や伏線の持たせ方とか諸々できるハズなのだが、蟲だからこそ表現が1つしか無い。

調査という名の一本道と出過ぎるキャラクター

調査と言う割には選択肢がほとんど無く、ただただモンスターを狩り続けるだけの日々になる。辛うじて痕跡集めにて、痕跡を集めるステージ選びに幾つかの選択肢が用意されてるだけ。調査はストーリーを主軸に進み且つストーリーは主人公の周りに居るキャラクター達が動かしていくので、主人公が「調査」する感覚がほとんど無い。
また一本道とはマルチエンディングではない、という問題ではなく調査の仕方に関しても特に主人公が何かを選ぶことも出来ず、なんとな~く狩ってなんとな~く痕跡集めてなんとな~くストーリーが進む。これを嬉しそうに周りのキャラクターが「調査」と言い張ることに違和感を覚える。
MHW:IBのフィールドマスターことおばさまのように、モンスターが行けなさそうな場所へと赴きつつ、一時的に行けるエリアで何か発見してぇよってのが本音でもあるし、潜在的に彼らが重宝している「環境」を実体験することなく「環境」が持て囃される。

環境の解像度と力技

モンスターハンターというタイトルであるため、環境に多大な影響を与える存在がモンスターでそれを狩猟するのがハンターの役目である。この王道の大切さは既に説明したが、これは「環境への解像度」が高くなるに吊れて破綻していく。何故ならば実際にモンスターがそこに居たからと言ってステージのエフェクトや状態が変わってる感覚は全然味わえないからだ。
強いて言うなら「死を纏うヴァルハザク」だけが如実に胞子を撒き散らせるし、MHWでは古龍出現時に数多の小型モンスターが出現しなくなるので、退治することで環境が元に戻ると言えなくは無いが、ステージには存在するがステージの周辺物にはほとんど関与していない。また古龍以外の場合は「諸事情で移りこんできました」ことをクエストのフレーバーテキストだけに留めているので、何となくモンスターのテーマにマッチしている理由以外でそのモンスターがそのステージに登場している
(一応Dosをプレイしてた勢としては、寒冷期にグラビモス亜種が沼地の洞窟に現れるのは凄い拘りを感じたことを付記しておく。だが季節システムは以降のシリーズで廃止されている)。
総じて「環境」とは相性が良いように見せかけて、ほとんどのモンスター達はそれをガン無視してるし、テーマ的に不和が発生している。

クラッチクローと武器

MHW:IBを語る上で外せないのが、クラッチクローになる。ダメージや武器格差やモンスター体力、延いてはモンスターの「クラッチクロー対策動作AI」に関しては既にYouTubeの動画等で批評が腐る程あるので、本稿ではデザイン面の批評を記載する。

武器の間合いと統一化

武器ごとのモーションの違いに関して、目に飛びつきやすいのはモーション値とダメージエフェクトとハンターの動きだが、それは俗に言うそこまでに至るまでの戦闘シーンの演出的クライマックスであるが、それまでのモンスターの攻撃や回避や移動がクライマックスへの積み上げになる。
そして武器ごとのモーションはシリーズを通して種類を増やすだけでなく、アイデンティティーを保たせるために動きを表現している。それは端的に武器モーションをデザインしている人達(と一部のコアなファン)が把握している武器モーションの連携やディレイを意識して開発をしている。特にこの傾向が顕著なのがMHR:SB、数多の追加された鉄蟲糸技は、その武器ならではのモーションと角度でしか攻撃できないことを再現しているし、一部鉄蟲糸技は回避や持続性に重きを置いている技もある。開発者は「その武器らしさ」を意識している証左が武器モーションから判る。

そこで「クラッチクロー」が出てくる。
張り付いた時の武器の構え方や傷つけ攻撃の種類は確かに異なるが、先ほど表現していた「その武器らしさ」を辛うじて表現してるつもりだが、端的にボウガンが否応なしにモンスターに吸いつく様子はボウガンらしさを大きく塗りつぶしている。ガンナー系統は極度に目立つが、個人的には双剣や片手剣も唐突にモンスターの上部に攻撃できてしまえたり、古龍の尻尾に能動的に攻撃できてしまえることに大変違和感を覚える(それら武器はダウン中にしか尻尾を攻撃できないので個人的に受動的と表現している)。
少しシステム的な話しとして、MHW:IBにはクラッチダウンがあり、こちらに全身を横に見せつけるようによろける。実はこのダウン、クラッチをするだけでよろける時間が延長されるのだが、傷つけやスリンガー攻撃をせずにただモンスターに吸いつくだけでも条件は満たせる。なので自然とゲームが上手くなるプレイヤーは、クラッチダウンが発生したら、ほとんどの場合この謎ダウンに対して儀式をするし、このシステムを知った上で意図的にやらない人は居ないに等しい。またこのシステムを抜きにしても、あらゆるモンスターがこのクラッチダウンのために同じモーションで同じポーズを取ることへの違和感も拭えない。
なのでクラッチクローは武器のデザインに大きく違反していると言っても過言ではないし、部分的にモンスターのデザインへも侵犯している。

超人ハンターの境界線

歴代を通してゲーム性を維持させるために、ハンターは「クーラードリンクを飲むだけ溶岩エリアを歩ける」点や、超絶ありえん攻撃を食らっても肉体が残る等のゲーム性が保持されていた。
特にMH3GやMHXに至っては、5分超の息継ぎをしなくても良いハンターや狩技を使用して超人的な動きを能動的にできることに関して「硬派な表現」されないことに幾つか批判が寄せられていた。現にMHR:SBもアクション性が飛躍的に高くなっており、歴代モンスターハンターのコンセプトを維持できているのが不思議なぐらい超人的な動作をする
(一応似た現象で、ダークソウルシリーズとは違うブラッドボーンの狩人は歴代最強主人公と呼ばれていたりする)。
一方でMHW:IBはダメージ数値表記やストーリーの文字表記数や納品物管理等の面で大きくゲーム性を高めてきたが、武器のモーション自体はMHXXと大幅に異なりかなり硬派な仕上げになっているし、何より武器との連携に置いてハンターは動き全体の連携性を意識しているため、硬派な印象がずっと残るようなデザインになっている。
そしてMH4以降から追加された乗りシステム。乗り攻撃をすることでハンターが武器ごと背中に飛び乗る様子は一時期物議をかもしたが、モンスターのダウンを取れることが前提のため、強力な攻撃の前触れとしては表現的に理解を示せないわけではないし、今までの麻痺や睡眠攻撃の遠い延長線上にある表現と捉えられなくはない。
ただしクラッチクローはモンスターが怒り状態の場合それを無視できるし、ハンターもモンスターの状態に限らず自由にできてしまえるし、数多のハンターはクラッチクローしてはモンスターにぶっ飛ばされ嫌な思いを経験してきた。上記を踏まえた上でクラッチクローが硬派な動きを主軸としているグラフィックやデザインやモーションであるにも関わらず、本当にハンターを超人的にさせ過ぎていないのかを疑問に問うべきだ。

最後に

デザインの方向性に関しては特に問題ないと個人的に思っている。だがゲーム全体に対して、デザイン同士が互いの領域を食い合っている様子と、それらデザインをゲームに無理やり組み込ませたにも関わらず思慮深くなく不自然さをプレイヤーに溜飲させるのは、恐ろしくゲーム体験を削がれる。
また逆に良いゲームに仕上がっていて、良い体験もできてしまえるのに、少しの配慮足らずで興が冷めるのは、それ程特徴的な部分で伸ばしていた長所が他でもないゲーム自身が否定するからだ。
ただデザインの重要性を超越するかの如く、売り上げやバランスや数字的な解釈も用意されている昨今、デザインだけで食っていけないと言うのは簡単だが、次のシリーズを開発するならばこそ、今までの弱点を洗いざらい確認することで、責任あるプレイヤーとしてゲームに寄り添うことができる。
是非、皆さんも同じ面持ちでMHR:SBだけでなく、MHWildsを楽しんで頂きたい。最後まで読んで頂きありがとうございました。

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