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RPサーバーは「コラボ」ではないという主張

注釈①:筆者は所詮「切り抜き」と極少数のRPサーバーの配信しか見ていない俗に言うガチ勢からは程遠いが、RPサーバーに関する記事を幾つか見かけて違和感を覚えたので筆を執る次第に。
注釈②:本記事はRPサーバーやそれらに参加される活動者に対する批評を含めるつもりは無いし、また自分が主張していることが出来ていない者たちへの批評でもないことを明記する。
本稿の主目的とは「コラボ」以外の言葉が見つからない昨今だが、その表現がRPサーバーの本質や存在意義に対して若干抵触していると感じたため、それ以外の表現を探究した結果を主張することにある。


コミュニケーションの本質

情報伝達の手順

まず我々の魂が伝えたい内容を作り上げる。これを我々の体に沁み込まれた文化圏のフィルターと、その文化圏が利用する言語を通して現実の世界に顕現させられる。これを踏まえた上で相手が受け取った内容を、今の逆順で把握される。
人々が「テレパシー」や「心を読む能力」に憧れを覚えるのは、この圧倒的な手間が少しでも簡単に成らないか、というコミュニケーションの本質に対する疑問から発生したと考えるのはまったく難しいことではない。

ズレの例題

例えば自分は一時期「排他的」と「退廃的」のイメージがまったくかぶさっており、意味は解っていてもこの言葉を聞いた時に処理するのにリアルで3秒かかる。幸いにもこの二つの言葉はまったく意味が違うので回数を熟せば慣れてしまえる。
ただセンチメンタルな中高生が「愛と恋って何ですか」みたいな検索結果を無限にするのと同様に、我々が文化的に築いてしまった意味の差異もある。すごい意地悪な例を出すと「マウント」と言った時に98%はインターネットで相手より優位になっていることを主張する意味があるが、1%のMMORPGプレイヤーは「移動する物」と理解し、残り1%のプログラマーは「mount」コマンドのことを意識する。

VTuberの構成とRPサーバー

魂から形への遷移

VTuberの本質は、魂から各媒体(Live2Dにせよ3Dモデルにせよ)に落とし込んだ上で活動を行うことであると私は定義する。この各媒体が魂のどの部分を表すのかは、魂の選択肢が形成させたかった形に依存する。
ただ今のは飽くまでも「魂の情報量が漠然と高い」ことを前提にしているが「形」の方はどこからともなく付属された情報量も負荷されることはまったく不思議ではない。それが相互干渉することも容易に想像できるが、重点的に意識すべきかはこの構造が担保してくれる魂と形が違う次元のプラットフォームに位置している点だ。
この構造を観察してみると、言語と似ていないか?
魂が感じている怒りは、令和6年の日本語を経て表現しなければならない。これを「ムカ着火ファイヤー」や「ぴえん」だけで表現した時に削ぎ落された部分もあるが文化的に補強された部分もある。ただ同時に自分が表現したかった怒りは歪曲されてしまうが、感情と言語が解離している感覚は如実に二つのプラットフォームがある証左になり得る。

RPサーバー

では上記を踏まえた上でRPサーバーで作成されるキャラクターはメタバース的にキャラクターとして登場するだけでなく、魂なのか形なのかは定かではないが枝別れたさせた何かが形成される。
無論このRPサーバーのキャラクター(以降はキャラクターと呼称)に対してどんなスタンスで挑むかは自由ではありつつも、RPサーバー下で通用する常識とルールは大きく異なる。一番人気があるGTAでは犯罪が中心となる常識とルール、仮にRustの場合はスクラップと施設からなる資産と権威、そしてArkの場合は恐竜ステータスと恐竜数による総合火力等、自身らが存在する現実のSNS空間とは異なるルールから別次元のプラットフォームが存在していることが伺える。
また自身がそうではないと認識し、キャラクターが魂と似た形と思っていても同じRPサーバーはそれを否定するため、ダックテストが発生する。ダックテストとは「それは鴨のように見え、泳ぎ、鳴くならばそれは鴨である」という振る舞いや観測結果から存在がそうであると結論付ける手法である。RPサーバー下に居る場合には、どのようなプレイ内容と会話はRPであるという前提下にもあるため、俗に言う魂貫通な内容が持ち上げられたとしてもRP下であることは否定されない。

キャラクターと魂と形の関係性

あとはもう応用問題と同じである。キャラクターがVTuberの形から派生されたのか、はたまたVTuberの魂から派生されたのかは、ケースバイケースで良いと思っている。
いずれの関係性にせよ、VTuberの形とは違う構造下のキャラクターが同一の存在とは言えない。VTuberの形から派生された場合にはキャラクターは傘下にあるが明確な上下関係があり、VTuberの魂から派生された場合には階層自体は同じと言えど違うルール下にあるため形とキャラクターが同じ構造下と断言することはできない。

昨今の気になる表現

「RPサーバーの利点は」の不和

推し自身が参加する理由として検索する場合や、参加してしまった推しが「何故その選択肢を取ったのか」を調べる上で、適当なサイトにて適当に集まった情報群として「メリット・デメリット」が提示されていたりする。
よく取り上げられるメリットとして、登録者や視聴者が増えやすくなったり、超有名人との突発的なコラボが発生する点が上げられたり、またそれに対して手厳しいデメリットを提示する記事がある。
ただ私が感じ取っている違和感はその真意性ではなく、RPサーバーのキャラクターとVTuberの形と魂が同一な存在として見ている点だ。それは上記の私の主張する内容と相反する視点になる。
端的に大物がRPサーバーに参加していても、そのキャラクターはVTuberの形とは異なる存在だ。今までは判り易さを意識して如実に姿形が異なるVTuberを前提にしていたが、これは実写の活動者も同じことである(最初に取り上げなかった理由としては、配信者の魂と形が異なるものであるという説得がしにくいと判断したため)。
RPサーバーに参加させたキャラクターは確かに魂の所有物ではあるが、魂が考えたメリット:デメリットは直接的なキャラクターが被る内容でもなければ形が管理する資産(登録者数等)の数値を気にするわけでもない。

キャラクターの世界

キャラクターを操作するのは魂ではあるが、キャラクターにしか体験できなかった事柄は山のようにある。既に出来上がっている関係性に飛び込むことが公的に許されている点や、魂や形が現実世界で実践する上にあたって体験できないことをまるで実体験が如く取り扱える。この感覚はビジュアルノベル系のゲームで主人公の台詞を自身が言うのとは程遠い、何故ならば魂には画面越しという次元の壁はあれどキャラクターにはそれが無いからだ。
一時的に現実世界のグッズとして、もしくは誰かがコスプレしたりすることで現実世界へとも顕現するが所属する次元は変わらないし、それを意識している活動者のほとんどは「○○サーバーで◇◇をしております、××です」という自己紹介を行うのは、自己認識が拡張されていて現実の情報がそれを認識しきるのには難しい点があることを認めているに他ならないし、その延長線上に確固たる自分とキャラクター両者の違いを示す証左でもある。
なので端的に、魂はキャラクター専用の世界が存在していることを大きく尊重し認識している。

少量の脱線

脱線するが初音ミクと結婚した方は、ミクと自身がいる世界の隔たりを物理的にだけでなく、自身が認識する初音ミクの世界を拡張して自身だけのミクを作り上げ、精神世界に物証的に干渉しているという名目が必要だった。彼は確実にミクと結婚しているが、そのミクは我々がSNSに存在するミクとは違う次元の、彼しか認識しえない精神世界に属している。

再度ズレへ

キャラクターを管理する魂が、形から得られる収入や資産を基に成り立っている場合には、キャラクターのパフォーマンスから誘導させられる形への資産管理は、生活する上での大きなポイントとなる。だがそれは決してキャラクターが意識しなければならない要素ではない。
ただこの因果関係から、認識のズレが発生するため、キャラクターと魂の同一視、キャラクターと形が同じ責務を負っていると認識する層が一部居る。同時に「感情と言語」のように、言語が感情の意味を補強することはあれど言語と感情が同じ次元の情報であることは無い。

「コラボではない」結論

キャラクター専用の世界がある。キャラクターと魂は干渉しあえど、同じ次元に存在することは無いし、この違いはキャラクターを生成した魂自身が一番理解している。
なのでRPサーバーで突発的に発生するコミュニケーションやイベントはコラボではない。コラボは飽くまでも形の次元が共同で作成するコンテンツであり且つコラボでは現実世界のSNS下のルールで実施される。これは現に魂と形でも同じことがあり、魂同士が現実で会って話していたとしても、人はそれをコラボと言わない。よってRPサーバーも同じくコラボではない。

危惧している点

「コラボ」は現に大変便利な言葉。ただ一緒に覇権ゲームをするだけでも、または鬼才が作り上げた無限に面白い企画も同じくコラボ、大会も実質コラボ、複数人の活動者が同じコンテンツを作り上げている時点でコラボ。
言葉が汎用化され過ぎて、状況やプレイ内容や時期が違うハズなのに、コラボの単語だけで活動者・視聴者の両方にスタンダードが発生する。
活動者は「面白い物にしなければ相手に失礼」というプレッシャーもあり、視聴者側も「可能な限りポジティブ且つ皆で和気あいあいとしている様子を表現する」という制約があるように錯覚する。特に大人数だった場合にはより顕著になる。
私は端的にこれは「コラボ」という単語の呪いだと思っている。
そしてRPサーバーでは活動者の魂の延長線上にあるキャラクターでやり取りは行えど、それがコラボではないという構造が提供するシステム的な安寧が、より人々を伸び伸びと活動させているのではないかと思っている。
この安寧を崩すのは「キャラクターと魂は同一」というズレた認識に他ならない。
ここまで読んで頂きありがとうございました。

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