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VTuberの魂営業と魂範囲の定義について

注釈:タイトルからそうである通りに、溜飲しにくい内容となっておりますが、誰それを批判する用途ではなく、VTuberが展開するコンテンツと魂の範囲を定義化し、その構造を部分的に言語化させることで、各々が次に同じ問題に遭遇した時の判断材料の補助になることを主眼とする。
改めて本稿は魂営業を批判することも無ければ、それをフォローすることへの憂いを示す内容でもないことを再度明記する。


ベン図と各項目の紹介

魂・SNS・VTuberの関係性ベン図

上記ベン図を基に本稿を説明していく。意図的に形や重なり具合の比重が違うこと、飽くまでも肌感覚を覚えさせるだけのものであり全員がそういう比重であることは示していない。また一部の方々はSNSが大きく包括する場合もあれば、VTuberが魂から大きくかけ離れたところに位置したまま魂から乖離する場合もある。
一応但し書きとして、判り易さのためだけの2次元のベン図としているが、実体としては割合が違っていたり、必ずしも円形であるとも限らない。
以下から本項目の「魂・SNS・VTuber」を記載していく。

魂の定義

VTuberの「魂」はそのまま「中の人」という定義で差支えない。現実世界の肉体的制御権を持っており且つこの現実世界に生まれ出た瞬間に保有している物であり、PCとマイクとカメラの前に座る存在である。また活動する上での主軸になり易く、感性の大本または究極的な選択を行う主でもある。
魂の割合は、私は一番大きいと捉えたいが「コウモリであるとはどのようなことか」という哲学論文がそうであるように、他者の魂の割合を推し測ることは不可能。だが2024年の現在は拡張空間で体験しきれることや社会体制が実存し且つ運営されているのも現実世界であるため、それを大きく受け止める役割が魂にあるため、現時点では魂の割合が最も多いと認識するのは暴論ではない。
魂の役割は、生活と活動する上にあたって決断するだけでなく、提示していく情報の主導権を握ることであり、SNSとVTuberという要素と比較して主権を保持していることである。

SNSの定義

仮想空間にて自分たちが摂取且つ明示的に表明する箇所。ただ飽くまでも言語化またはメディア化可能な部位しか表現しきれないし、辛うじて幾つかの現実の法律が関与することは可能だが、原則的には流行・表示内容・検索結果にアルゴリズム的ルールと潜在的ルールが大きく関与している点が特徴的になる。
例えば「スイカゲームが流行ってるから果物を食べた」という投稿内容がVTuberから発せられた場合には、果物を魂が食べたという事実に関係なく、スイカゲームの流行を追っていることと、フォロワーも果物を食べつつスイカゲームを楽しんで欲しいというメッセージもあり、追体験として同じことも経験できることの示唆でもある。
また飽くまでも例えだが武士系VTuberがスイカゲームをする様子は「VTuber」と「魂」だけでは正当化できないが「SNS」を踏まえると、スイカゲームをプレイしたという選択肢にかなり正当性が加えられる。
SNSの役割は、偶発性と混沌を招くことでもあり且つ魂とVTuber側が明示的に関わる・関わらないを選択させることと、魂が主導的に提示した内容以外の物でもフォロワーが体験できることを共有することである。

VTuberの定義

魂が主導的にSNSと分離させ、自ら産み出した存在。ただし産みの魂に全て追従するとは限らず、産まれ出たが故に行使する自由や新たな要素を取り入れるために魂と交渉することもある。
SNSと魂の関係性は、VTuberと魂の関係性の構造自体は似ているが、VTuber側は魂が主導的に全てを選択し且つそれらが現実空間のルールを大きく歪曲させた虚構さえも事実として受け入れられる。
例えば「SF系VTuber」の魂自体がSF物のよくあるトピック{ロボットとの共存・電脳空間・睡眠カプセル・遺伝子と身体改造}を経験せずとも、魂が培ってきた知識や作品の例題から大体の輪郭を得た上で「自分はそうである」と宣言することができる。
VTuberでは無くなるが、葬送のフリーレンのアニメ放送時にそこかしこにコラボを行い「人間を知るために旅をしてるんだ」を言い訳に{ベイブレード・パワサカ・文房具・カフェ}等と無限にコラボしているが、このように自分がそうであることを主張することが許されている。
役割としてはベン図内の魂では経験並びに表現できないことを拡張していくこと。ただしSNSと違いVTuberは共有することではなく、全てをひっくるめた自己を調整し続けること。SNS上での立ち振る舞い、魂の価値観を自身を通して再調整することがVTuberの役割になる。

これらの折り重なり合い

魂とSNSの重なり地点は、混沌から派生された、①正しい知見、②拒否した事実、③信じてしまった虚構、④不要と見抜いた嘘の4つの要素が魂に対して新たな価値観として加わる。魂自身も現実に対して同じように作用するハズだが、単純に接触回数と時間が多くなる傾向だけでなく、SNSからしかVTuberの存在承認されないため、SNSと魂の影響はそんじょそこらの若者以上であることは否めない。
SNSとVTuberの重なり部分はVTuberが他者に観測される場所でありつつ同時に拡張される個所である。上記ベン図だと狭い空間になっているが、SNSへの関与率次第もそうだがVTuber側が「要望があったからアバターを増やした」という理由でも同じく拡大化する、つまり主導的・受動的にも両者が合わさって空間を拡張する。
議題を簡略化させたくはないが、フォロワーが観測できるVTuberの魅力はこの部分のみと、暫定的に結論付けるのは言うほど時期尚早ではない。
最後にVTuberと魂の重なり部分は、魂が積極的に拡張させたい自己実現の場所を全面的に且つ戦略的に見てもらう箇所になる。それは画素数やデザインといった視覚的要素、またはボイチェンのような音声的要素だけでなく、特定のゲームプレイによる物語の補間、音楽を奏でることでの個性の拝借も含まれる。
悪魔系VTuberが令和6年6月6日にこぞって取って置きの自画像をSNSに貼り付けるのと同じく、RPG大好き系VTuberが龍が如くで大号泣するのも、病系VTuberがやたらとダーリンダンスを歌うのも、今回の例題を踏まえると本質的に同じと言える。
最終的に全三つの要素が重なった場合は、VTuberとしての活動が全て成就し且つ受け入れられる瞬間、もしくはそこに至るまでの道筋全てが含まれる。なのでアイドル系VTuberが夢が叶っていると言うのも、FPS系VTuberが大物のFPSプロプレイヤーと対戦するのも同質と言える。

魂商売に関して

さて定義づけは完了したので、上記ベン図を踏まえた上で魂商売とこのベン図の問題点の両方を説明していく。
また暫定的に「魂商売」というのは「VTuberとは別の媒体として中の人名義で活動する」ことを前提に金銭もといファンの囲いを強くすることであり、VTuberが今日の夕ご飯やネイルや旅行写真を挙げるのと、またはVTuber名義で釣り映像配信(顔隠し)等のリアルを含めた活動とは同意義ではないことを明記しておく。

VTuber要素と魂商売の領土戦争

先ほどのベン図に加えて上記意味の「魂商売」を実施した場合のベン図を記載する。

魂商売の要素をベン図に追加

御覧の通り魂商売もVTuberとしてのアバターの有無だけが違いであり、私が上記でベン図の説明にて記載した通り魂商売も魂が望んだ形で拡張するのでVTuberの箇所と同じ所作と似た範囲で拡張するためVTuber側と重複する。
簡単な洞察として、魂商売にはリアルだから提供できるコンテンツの側面がありつつVTuberだから出来るVR空間活動やゲーム活動が含まれないことを、全体的に活動面の物理的なコンテンツの差異が取り上げられる傾向がある。
ただし本稿は哲学的にベン図を記載した上で、コンテンツの差異という部類面よりも、活動理念や価値観といった精神的な面を考慮していく。それを踏まえた上で、魂が全面的に出したい性格がVTuber活動時の性格と大きく懸け離れていることを保証することは大変難しい。
それは魂商売がVTuber側と違うことを演技し続けられる実力面だけでなく、自身の声や自身の認識の仕方(一番判り易いのは自分の呼び方)や話しの持ち出し方と言った言語化しやすい類似点と、自身をSNS空間に取り上げる時の潜在的な経験則を適用する等の類似点もあるため、必然的に折り重なる箇所が多くなる。
これは明確な領土戦争である。魂商売側で一度話した上で、VTuber側でも同じく「最近食べた物」を話してしまうというミスだけではない。両方を知っているファンが居た時に話題毎に感じる距離感やコンテキストの違いが発生するだけでなく、両方のイメージがいずれかの箇所を大きく否定される可能性もあるし、魂を知ってると知らないでファン内でさらにヒエラルキーが生まれる。
言っていること自体は単純だが、効果と可能性は絶大。VTuberとしてライブをしている最中に、目の前に広がるサイリウム畑とステージ演出の脳裏に魂商売の様子が浮かぶ。魂商売で話した内容をVTuberの姿で口パクをする様子を脳内再生される。どれだけ目ぼしいVTuber新衣装が有れど、魂商売の姿が先に思い浮かぶ。魂商売の方を本音、VTuber側を建て前のように、情報間での比較化が進み提供され続けるコンテンツの二元論化が進み、どの情報がどれに属するかという勘ぐりが発生し続けることで、コンテンツが提示する夢や目標や活動内容に信頼性を得にくくなる。
信頼性とはVTuber間や事務所やイベント毎のパフォーマンス安定性や仕事全うしきるための信憑性のことではなく、VTuberの魂とファンの間に発生する細々としたやり取りの間で発生する情報の信頼性であり、理念やファンコミュニティ内秩序に暗黙の了解的に結ばれる契約時に用いられる抽象的な概念の補助感情と言っても差支えない。端的に理性的且つ構造的なのが信憑性、感情的且つ偶発的なのが信頼性と定義できる。

魂の不要な延長

魂商売を続ける上で、それが経済的に優位なのかVTuber側との乖離としてなのかは不明瞭だが、SNS側のニーズに合わせて魂が自身を「引き延ばす」ことが多々発生すると推測する。簡単な図を下記に用意した。

魂の引き延ばし

既に図面がそうであるように、かなり歪な形になっている。最初はVTuberとしての側面のやり取りだけ意識させるため、SNSとVTuberと魂は大いに共存可能なバランスになるが、魂商売が魂から必ず派生させられるため、この魂商売の領域を確保させるためだけに、自身の魂を引き延ばす。
それはSNSという供給に答えるために、VTuberという側面では足りないことを起因として魂商売が発生するという認識だからだ。何故ならば「VTuberがリアルのことをやりたいならば名義を変える必要が無い」からだ。それ専用の答えを用意するし、下準備として「手だけの料理配信」といった具合に探りを入れたり、はたまた3Dアバターを別途用意する。
だがそれら手法一切を拒否した上で展開されたのが「魂商売」ならば、VTuberと魂が重複する箇所とは、別の箇所の魂と魂商売を重複させることで利益を得ようと試みることは、ベン図の構成要素を考慮しても、そう結論付けるのは超解釈ではないハズだ。
この引き延ばされた魂は、本当にその他魂が認めた一部なのか。はたまた数年後何かしらの機会で分離されてしまうトカゲの尾なのか。魂の持ち主本人以外に知る術は無くとも、これを歪ではないと言い切るのは、空は青いことを否定するようなものだ。
ただ同時にファンタジー作品では空が青く無かったり、そもそも空が我々の知ってる地球の空とも限らないし、夕日や朝焼けの方が綺麗と言う人の意見も判らなくはない。

魂の不安定さ

このベン図では魂が主導的で、SNSが受動的で、VTuberが半分主導的だが拡張的な役割を担うことを示し、魂商売が発生した場合の歪さや領土戦争の発生具合に関して記載した。
ただこのベン図の定義時にも記載した通り、私は暫定的に「現実世界の肉体的制御権を持っており且つこの現実世界に生まれ出た瞬間に保有している物である」ことが前提にあったからそう判断したが、物理的にそうでないにせよ、精神的に「現実世界の肉体的制御権」を保持していないと想ったり、または自分がVTuber用に産み出した性格が「生まれた瞬間に保有している物」との連続性を断ち切っていると認識した場合には、魂が主導的で安定性を担う大きな役割であることを否定し得る。
なのでこれら二つの要素に該当しないと信じていて且つ主導的な選択をする要素ではないと思うのであれば、このベン図上で魂は役割を失い、ベン図上で存在が消え兼ねない。それは間接的に、魂とSNSの境界を分かつ要素が主導的と受動的でしかない点が際立つ。
SNSを主導的と認識する場合もあれば、魂をVTuberの要素をSNSに挙げるだけでVTuberも魂からではなくSNSから拡張していった要素と認識する人が居たとしても否定することができない。

最後に

ベン図上でしか説明しないことを目的としていたが、フォロワーの影響力や事務所やVTuberの交友関係等は考慮しなかった。所詮、誰からの視点でも魂の有様を知る由も無いハズだが、同時に拡張されていくVTuberの側面と魂がSNSへの反応方法もある程度予測できてしまえる昨今。また魂商売に関する批判だけでなくその商売に便乗する人々に渦巻く感情の混沌も、緩やかに肯定され続けることで漠然的に様々な魂の形も受け入れられる。
それを福音と呼ぶか、悪報と呼ぶかは各々に任せたいが、少なくともVTuber単位はこのように顕現し自身を保っていることを念頭に入れた上で、各々の活動を見定めて頂きたい。
ここまで読んで頂き誠にありがとうございました。

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