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野球チームで”心理社会的支援”をする、そんな妄想

昨日は”心理社会的支援”についてボソッとしましたが、最後にこのように記載しました・・・

この「トラウマと”共に行きていく”」という考え方で成り立っている”心理社会的支援”が、普通に社会に広がっていることを妄想をしていると、なんか良い社会に見えてくるのは、私だけでしょうか?


普段の日常生活においても、誰もが心の傷を負ってしまう可能性があるならば、”心理社会的支援”が気軽に受けられる社会になれればいいなぁというのが前回のボソッとでしたが、それならば「どうしたら気軽にこの支援プログラムを受けることができるのか?」、それが私が抱いた”問い”でした。

”心理社会的支援”を検索しても、戦争や紛争、飢餓などでトラウマを抱えた国の子供たちへの支援といったプログラムが目立っておりましたが、日本の子供でも心に傷を負っている子は多いのではないでしょうか、誰もが”心理社会的支援”を受けられて、「トラウマと”共に行きていく”」という考え方がアタリマエとして認識される世の中で誰もが前向きに生きていく、そんな社会になれればいいなぁ。


そんなことを妄想していたら・・・”心理社会的支援”が普通に社会でも普及している姿を妄想していたら・・・私の身近な社会でいえば、”野球”、野球をしている子供たちの心の傷について考えてみたのが今回のボソッとです。




野球トラウマ


野球をやっていてトラウマを抱えてしまう、そんな場面、私がパパコーチしていた10年間の中から思い出してみると・・・意外とそんなシーンはあるなと。


指導者による暴言や暴力、これは大問題ですが、監督が出すサインにもショックを受ける子はいると思います。
子供自身は打ちたいのに、監督がこの子は打てないと判断したら、「ランナーがいないのにバントのサイン」出す、そういう場面、目の当たりにすると、胸が痛くなります。それは子供心にずっと残る”傷”になるかもしれませんね。


エラーもトラウマになるケースだってあります。
目の前でイレギュラー、結果として股の間をボールが抜ける”トンネル”エラーによって試合で負けた子、その後、外野のゴロを捕るのが怖くなってしまったという話を聞きましたが、実はトンネルしたショックよりも、抜けていったボールを一生懸命に追っていた時にチームメイトや監督、保護者達が一斉に「え~~~」という大合唱が聞こえたのがショックだったようです。


”心理社会的支援”をもっと身近に


野球をしている子供たちの中にも”野球トラウマ”を抱えている子供たちがいる、そういう認識は野球の指導者たちはもっているとは思いますが、もしそのような子供がいたとしたら、こう指導するでしょう、「乗り越えろ」と。

「乗り越えろ」が絶対条件の下でアドバイスされるケースがほとんどだと思います。私も”心理社会的支援”を知るまでは、その認識のもとで、子供たちから話を聞いていましたからね。

「トラウマと”共に行きていく”」という考え方で成り立っている”心理社会的支援”をどうしたらもっと身近で実践することができるのか?野球チームの悩んでいる子供たちにどのように支援ができるのか?


ヒントとなったのは、前回のボソッとでも紹介しましたNPO法人「地球のステージ」のホームページでもご紹介頂いた”心理社会的支援”の活動内容です。


出典:NPO法人「地球のステージ」


これを私が解釈したら・・・

①写真言語法で心の中に閉じ込められているものを表現させる。
②絵や形、音楽で過去を振り返り、未来を想像させる。
③映画や演劇で演じながら、追体験しながら、トラウマをどう表現するのか、自身の体験が役に立つことを実感させる。


野球チームで”心理社会的支援”をする、そんな妄想


それでは”心理社会的支援”を野球チームでやるならば・・・エラーがトラウマになっている子なら・・・そんな妄想。


①写真や絵に吹き出しをつけて、その空欄に子供たちが言葉を書く。
エラーをした場面の絵に、エラーをした子供、チームメイト、監督、保護者の絵が描かれており、空欄の吹き出しがある。
トンネルをした子供ならば、周りの人たちの吹き出しには「え~~~」と書くだろう。


②今度は①で描かれたストーリーを題材とした演劇を体育館で行い、みんなに見せる。
エラーした子役は一生懸命にボールを追う中、周りは「え~~」という大合唱、でも実は仲間のひとりはエラーした子をカバーできなかったことを悔しがっていたり、打たれたピッチャーは責任を感じてエラーした子を猛ダッシュで追いかけていっていたり、ベンチにいた子は精一杯応援していたりしていた・・・そんなことにエラーした子は気づいていなかった。

エラーした子の頭の中には「みんなが敵」に思えたでしょうが、実は君を応援していた人だっていたことを、後々その子は知った。

しかも、この演劇によって、エラーした子がどれだけ傷つくのかを周りが知ることができたし、何気なく「え~~」という嘆きをしてしまったことによって、実は子供にはその嘆きがトラウマになることを大人たちは気づかされたのでした。

エラーした子はトラウマの経験を表現してくれたことによって、周りの人たちも気づかされることがあることを知りつつ、「君の経験は私たちの役に立ったんだよ」、そんなセリフをかけられ、演劇は終わる・・・


エラーした行為は、きっと大人になっても思い出してしまうほどの辛い経験であることは間違いないでしょうが、でも”エラーした経験”を表現したことで自分も色々と学べたし、周りの人たちの役にも立てたんだという思い出だって、同時に蘇ってくれると思います。

こんな妄想を書いていたら、改めて実感しましたが・・・

「あーー、これがトラウマと”共に行きていく”ということかーー、納得!」


このときの私が感じたことを表現してくれる言葉があります。
NPO法人「地球のステージ」のホームページでも代表の桑山紀彦さんがおっしゃっていた言葉です。

「社会との再結合」~つまり社会がそのトラウマの物語の受け皿になっていくことが重要

出典:NPO法人「地球のステージ」


<更に妄想>”心理社会的支援”をもっと身近に


野球チームで”心理社会的支援”を実施している姿を妄想していたら、あることに気づきました。

もっと、もっと、身近にできませんかね?”心理社会的支援”を。

子供たちだけでなく、誰もが身近に”心理社会的支援”によって、自分自身の心の傷を肯定的に捉えることができる、そんなトラウマと共に生きていける社会になるためには、心理社会的支援”プログラムをもっと身近なものとすることだと思います。

ではどうやって身近にするのか・・・

アプリ、VR、AIといったテクノロジーの恩恵を受けながら”心理社会的支援”プログラムを作る。
さて、それらのテクノロジーを使って、どういうプログラムにすればいいかな・・・

そんな妄想が止まらない、今日のボソッとでした。

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