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野球の多様性~身体障がい者と野球ができる社会

身体障がいを持った子供でも野球を一緒にできないか?そんなことを考えながら、テクノロジーと医療についてこれまでボソッとさせていただきましたが、テクノロジーと医療の進化によって身体障がいを持った子供でも野球ができる可能性があることが分かりました。

それとともに、テクノロジーと医療の進化がもたらすのは”恩恵”ばかりではなく、そこには”課題や疑念”が存在していることも分かりました。


だからこそ、テクノロジーと医療の恩恵を受けた身体障がい者の子供がみんなと一緒に野球ができる社会を目指していくためには、”多様性のある野球”を構想していく必要があると思います。

身体障がい者と野球ができる社会について、今後どういう社会像を描いていくべきかを、私の構想と妄想とともにボソッとしていきたいと思います。


あなたならどちらを選びますか?


今後、さらにテクノロジーと医療が進化を遂げて、失った身体機能を回復するための方法が複数の選択肢が用意されていたら・・・

選択できるとしたら、あなたはどちらを選びますか?

①元に戻す

②機能拡張する

「①元に戻す」場合、イモリのように再生させる”医療再生”を選んだり、義足・義手が自分の体のように動くテクノロジーが使用されるのではと思っております。

「②機能拡張する」の場合、ヒトと機械が一体化するサイボーグによって、人間が本来持っている機能よりも拡張した能力を手に入れられる時代となるのではないでしょうか。


どちらも選べるようになったら、果たして私たちはどちらを選択するのだろうか・・・

元の体に戻すよりも、機能拡張したい気持ちの方が強い場合を考えてみましょう。

身体障がいとテクノロジーのボソッと第2弾でもご登場頂いた生体工学者ヒュー・ハーさんと、ロボット工学博士のビーター・スコット・モーガンさん

彼らの考えを踏まえると、元の体に戻すよりも、機能拡張したい気持ちの方が強いという方も決して少なくはないのではないでしょうか。

親だったら・・・自分の子どもだったら・・・私だったらどちらを選ぶだろう。


ヒューさん・ピーターさんが目指すもの


選べるくらいの時代となれば、「①元に戻す」という目標ではなく、それよりももっと「②機能拡張」を目指すことができる時代となれば、健常者がうらやましくなるほどの能力を手に入れることもできることでしょう。


そこで、2人が目指すゴールをご紹介しましょう。

ヒューさんが目指すゴール

「サイボーグなら筋肉がモーターを制御して、技師の動きを感知するよう再形成され、跳躍力や走力が”拡張”されます。今世紀が終わるころ、人類の姿は現在とは違っていると私は考えます。」

NHK番組『人体と機械の融合を求めて-生体工学者ヒュー・ハーの挑戦-

ピーターさんが目指すゴール

私は人間という存在に、革命を起こしたいのです。今、人類は進化できずにいます。
一方、AIとロボットは加速度的に進化している。
私は、人類が進化の波に乗り遅れてほしくないのです。
私たちは、老いや障害によって力を失う恐怖から逃れられる時代の夜明けにいます。貧しい地域でもAIとともに生きるようになる。中には私のようにAIと融合し、人類の定義を広げる人もいるでしょう。そして人間とAIが融合する"ネオ・ヒューマン"は、理想の自分を実現するのです。これは遠い未来ではなく、たった数十年後の話なのです。

NHK番組『クローズアップ現代』「ピーター2.0 サイボーグとして生きる」


多様性の野球を考える


それでは、テクノロジーと医療の恩恵を受けて身体障がいを克服した子供と一緒にやる野球を想像してみましょう。

「誰が身体障がいを持っていた子なの?」

そう思うほど、判別もできないほどになっているのではないでしょうか。

そこには笑顔で野球を楽しんでいる子供たちしかいません。

身体障がいを持っていた子供と一緒にできる野球、これぞまさしく”多様性の野球”


そこで考えていかなければならないことととして、もし”機能拡張できる義足・義手を持った子供”だった場合でもみんなと一緒に野球ができるのだろうか。

機能拡張できるまでに進化しているのなら、なおさらオプションのようなもので更に機能拡張できるシステムになっているのではと推測もできます。

例えば、「剛速球を投げられるように」とか「大人のようなパワーが持てる」とか「速く走れるとか」、テクノロジーによって機能拡張している子供と、みんなは一緒に野球をすることができるのだろうか。


ヒューさん・ピーターさんが目指すゴールに近づいた時代なら、あり得る世界だと思います。


でも、そこで一概に「一緒にできない」と結論をだすべきでしょうか。

だからこそ私たちは大いに悩みながら、より良い社会になるために考えていくべきだと思います。


例えば、機能拡張した子と一緒に野球をやるならば”新たなルール”を作るとか。

なぜならば、野球だけでなく社会全体で、進化したテクノロジーと医療とヒトは相互に支援しあう関係が成り立っていく社会を築き上げていく必要があるからです。

排除ということは結局、分断を招くことになるからです。


一流の選手をコピーできる技術、あなたはどう思いますか?


私の想像力不足もあるのですが、どうしても自分の心に折り合いがつかない、そんな技術があるんです。

この技術の恩恵を受けた子供は、果たしてみんなと一緒に野球ができるのだろか・・・


例えば、こんな質問をしたら、どのような回答が返ってくると思いますか?

<質問>
誰もが大谷翔平選手になれる、そんな社会がくるのでしょうか?


<回答>
西村幸男さん(東京都医学総合研究所)

「人工神経接続によって一流のスポーツ選手の情報を保管しておいて誰かにコピーできるようになる。」

NHK番組『ヒューマニエンス』「"サイボーグ"遺伝子進化との決別か?」


このような【コピー技術】ができるのは、果たしてスポーツと言えるのでしょうか?

私の想像力不足がおおいに影響していると思いますが、どうしても自分の心と折り合いがつかないんです。


この技術は”野球に与える利益”は果たしてあるのでしょうか?

子供の身体に大谷翔平選手の能力をコピーする安全性はあるのでしょうか?

 ※上記の西村さんの発言内容の前提は、”大人がやるコピー”だと私は信じております。


多様性ある社会の実現


ただ、間違いなくいえるのは、進化したテクノロジーや医療によって、未来には”弱い”という概念が変わることです。

いまの世界の社会的弱者は、未来は「特殊能力者」に変わるほどの社会変革が起こっているかもしれません。


つまり、人類と言う種は”強くなる”という認識で、正解なのでしょうか。


例えばヒューさんやピーターさんが目指しているサイボーグがアタリマエのような社会を想像すると、これまで社会活動に加わることができなかった身体障がい者でもアタリマエのように”社会参画”できるようになると想像することができます。

つまり、いまよりも社会の幅が広くなることで、よりよい社会に変えていくことができると、私は思っております。


だからこそ、私たちはまずは”知ること”、そして国際的に大きな枠組みの中でおおいに悩む必要があると思います。


なせなら、前述した「一流選手をコピーできる」ような技術と同様に、もしテクノロジーが暴力の面で使われることがあるならば、私たちにとって「利益はない」、「安全ではない」と考えなければならないと思います。


そのような負の面があるとはいえ、テクノロジーや医療の進化によって、いま弱い立場の人たちが、将来、強くなってくれる、それだけでも人類が強くなったという証ですよね。

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