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野球の声出し、出来ないなら、それで良いんじゃない?


「野球の声出しができない子も、野球をずっと続けて欲しい。」

「野球が好きでいてくれるならば、出来ない声出し、無理にしなくてもいいよ。」

これは、野球パパコーチを10年やった結果、声出しに対する私の想いです。

今回、”声出し”を推奨する指導に対しての批判ボソッと&提案ボソッとです。

ただし、声出しの一般的な重要性を分かったうえで、声出し指導への批判させていただきます。試合中における声掛けによってチーム全体でコミュニケーションを行うことは試合で勝つための大事な要素だと私も思っております。


しかし今回あえて私が批判させていただく内容は主に下記の通りです。

・声出しできていない子供への指導内容への批判
・声出しできていないから負けたという敗因分析への批判

例えば、外野からベンチまで声が聞こえる選手が良い選手という価値観を持った指導者だった場合、声出しができていない子、声出しができないチーム、そんなチームが大事な試合で負けたらその指導者はこう言うでしょう、

「試合が負けたのはお前らの声が小さいからだ!相手チームの声の大きさに負けた!お前らの元気が足りていない!勝とうという意欲が伝わってこない!だから負けたんだ!」

といった風に負けた敗因分析を子どもたちの声出しのせいにする指導者ほど、怪しい指導者、つまり”声出し崇拝者”だと思ってほぼ間違いないと思います。


日本を含めた世界中の野球の試合において、”声出しができていない”という原因で負けた試合って、どれくらいあるのでしょう。日本においては「元気がないから負けた」という敗因を述べる指導者が多いことを考えると、日本では”声出しができていない”というのが負けた原因の主流なのでしょう・・・本当ですか?




負けた敗因が”声出しができていない”からは本当か?


本当にそうなのでしょうか?声出しが敗因の野球の試合が多いなんて、ふと考えれば、おかしくないですか?

一度、冷静になって、立ち止まって考えれば、負けた敗因が声出しだなんて、元気が無いからだなんて、なぜそう言えるのか、不思議に思いませんか?


では、なぜ指導者は「声出せ~!」という指導を繰り返すのか?その理由は・・・

指導が簡単だからです。

どんな指導者でも、保護者でも、球場を観に来た観客でさえも、「あっ、声が出ていないな」ということは誰もが分かることです。

私が10年間パパコーチして出会った素敵な指導者の傾向は・・・

私たち素人コーチが気づかない点をズバリ説得力ある内容で声掛けしていました。誰もが見える点だけを追求する指導ではありませんでした。

良い指導者は子どもたちの外面ではなく内面をよく観察しているので、子供たちも大人たちも「なるほど」と納得させられる内容の声掛けができています。そんな指導者がいるチームは、外から見ていてもなんか楽しそうで、しかも強かったなぁ。


人間が創り出した組織の中で、現場レベルに負けた敗因をなすりつける行為は、今の時代においてはなんか古臭い考えではないかと思いませんか?しかし、野球チームにおいては子供たちが原因で負けたと敗因を力説する指導者が主流です。

それは果たしてホントでしょうか?

よくよく考えれば、大事な試合で負けた主な敗因は、指導者の決断なのではないでしょうか?

「今日、コントロールが良い投手を選びましたか?」
「今日、打てるバッターをスタメンに選びましたか?」
「今日の試合環境でもアウトをしっかりとれる守備体系を選択しましたか?」
「今日、打てるバッターになぜバントのサインを出させたのですか?」
「あの場面で、なぜサインを出さなかったのですか?」
「なぜ試合中にあの声掛けをしたのですか?」
「試合中に選手たちを委縮させたのはなぜですか?」

これを決断して実行して勝利に導くのが指導者の役割だし、間違った決断をしたことによって責任を負うことも指導者の役割と考えると、これを実践する指導者の方には頭が下がります、野球人としてホント尊敬するほどです。


一方、声出しがすごいチームで、元気がすごいチームでも、野球においては当然ですが、試合で負けています。その際に指導者は負けた敗因を「お前ら声を出しすぎだ、元気の出しすぎだ!」と言わないのはなぜでしょうか?

自分でも大声出してみてください、体全体を使ったうえで、すごい力が必要になりませんか?それを何度もやってみてください。その際、大声を出し続けている中で、周りの小さな変化に気づくことはできますでしょうか?

野球で大事なところって相手との勝負にあると思うのですが、声出しによって相手の仕草、相手の気持ちの変化に気づけない環境にしている点をどう考えているのでしょうか?

さらに想像してください、バッティングも、守備での第一歩でも瞬発力が必要、その際に呼吸はとっても大事な要素ですが、大声出し続けている状況の中で、子供はその一瞬に力を出せる準備をすることは可能かどうか考えたことはありますか?

声が大きいチーム、元気のあるチーム、相手を声で圧倒しているチームを率いている指導者は、腕を組みながら「どうだ、すごいだろ、うちのチームは」と優越感を持ちながら、見栄を張る世界だけに浸っていませんか?

このように考えると、声出しができていないといったことを負けた敗因にするのは正論なのかどうか、お分かりいただけるのではないでしょうか?


では、なぜ声出しが必要となったのでしょうか・・・
そもそも、なぜ声出しができないのか?


子どもたちが声出しができない理由


今回の”声出し”をボソッとしようとしたきっかけとなったのは、本日のYahoo!ニュースに投稿された下記の記事を読んだからなんです。

私はパパコーチをした当初から非常に参考させて頂いている”年中夢球”さんの記事を読んだことがきっかけなんです。

今回、年中夢球さんが取り上げたテーマは「声出し」でした。


この記事の中で、「子どもが声を出せない理由」として年中夢球さんが挙げたポイントは3つありました。

1 そもそも野球の知識がないから。
2 声を出す必要性がわかっていないから。
3 子ども自身の性格。

出典:Full-Count
https://news.yahoo.co.jp/articles/d0197e2d48576dbb3643940de82f88da61997198?page=2

この1と2のポイントを子どもたちに教えてあげることによって年中夢球さんはこのようにおっしゃっております。

チームワークを高め、プレー中の意思疎通を確認し「チームが勝つために声を出す必要があるんだ」と子どもたちがわかれば、積極的に声をかけ合うようになる。ポジショニングやカバーに入るケースなど野球の知識がついてくれば、声も出しやすくなる。

出典:Full-Count
https://news.yahoo.co.jp/articles/d0197e2d48576dbb3643940de82f88da61997198?page=2

そう、これが声出しの重要性!私も同感です!


ただ、私がパパコーチ10年間で痛いほど実感してきたのは、3の理由のことです。

そう、声出しが苦手な子は、「子ども自身の性格」によるものが一番大きいと思っています。


声出しができないのは、その子の特性


大きな声を出せない子
自分の意見を言えない子
つまり、声出しができない子。

しかし、その子たちは「足が遅い子」と同じです。
身体の線が細く「力が弱い子」とも同じです。
投げるボールのスピードは速いけど「コントロールが悪い子」とも同じです

これらのことはその子の特性だということはお分かりいただけますよね、つまり、声出しできないということも同じくその子の特性です。

いまの時代、子供の身体ができていないことが理解されてきたからこそ、上記のような「足が遅いなーー」と言ったダメ出しは控えようという指導が広がっていますが、なぜか「声出し」に関しては常にダメ出しするという指導を見直さないのはなぜなのでしょうか?


それは前述したとおり、声が小さいって誰でもわかることだから、それを指摘することがとっても簡単だから。声をもっと出せと指導していればそれなりの指導をしているんだという自己満足が高まるから


子どもたちの内面をみながら指導するってとっても難しいことだから、誰でもできることではないから。その人は子供たちの内面をみることができないから、自分の威厳を守るために、簡単で誰でもわかる指導に逃げれば、それなりの指導をしているんだと周りにみせることができるので、「声を出せ」と繰り返す。


試合に負ければ「声が小さいから試合に負けた」と敗因分析することで、指導者として評判を落とさずに威厳を保てると信じている方々のいわば逃げ道となっているから。


「声出せ」とずっとダメだしされる子供の心の内を考えたことはありますか?
もし自分が仕事でダメ出しばかりされていたらどう思いますか?
もっと自分を知って欲しい!みて欲しい!と思うのではないでしょうか?


声出しができないは、その子の特性のひとつにすぎない


本当にあったお話をします、このケース、みなさんどう思いますか?


声出しが苦手な子がライトにいます。
その子は良く観察できる子でもあります。
相手バッターのスイングを観て気づいたことがあります。
そこでセンター寄りに守備位置を移動するといったポジショニングをしていました。
そこに打球がセンターとライトとセカンドのど真ん中にポトリと落ちました。
ベンチから見ると、落ちた場所の近くにいたのはライトの子でした。
そこで監督はそのライトの子を怒ります、「なぜ声出ししないんだ、お前は!!!」

私もこのバッターが振り遅れている、でも力がある子だから外野に飛ばすなと思ったので、ふと外野を観たら、ライトの子がセンター寄りにポジショニングしていたので、「おお!守備位置変えた!」と思っていた矢先、はい、ご覧の通り、この出来事が起こってしまいました。

皆さん、ご想像してください、何をやってもポテンヒットとなる打球のことを。そんな打球を声出しして取らせようとする指導者、自分は捕れるの?と思うほどの打球です。
しかも、なぜあの落ちたポイントにライトの子が近くにいたようにベンチから見えたのか?直感で飛んでくる方向を読んでポジショニングしていたからなんです。

彼がやったことは外野手としては合格点です。もしかして、ライトの子は声出しする力を観察力に使っていた、それがチームに貢献できる力だというのに・・・できる指導者は、きっとそのことに気づいたのではないでしょうか。

それなのに、声出しが苦手という先入観を持つ監督によって、逆に怒られてしまった・・・そりゃ、声出しも苦手になるよ・・・自己肯定感を高められないもんね。

こんな”声出し崇拝者の指導者”がいるチームは全国にたくさん存在すると考えるだけで・・・なんとからないかな。


声出し崇拝の指導はやめませんか?


声出しができないことは、子供の特性のひとつにすぎない。
だから、子どもに対する考え方を変えてみませんか?


声出しが苦手な子がいたら、声出し以外でチームに貢献できることを教えてみませんか?
その子は声出しが苦手だということは自覚していることでしょう、だからあえて偵察行動任務を与えて、これでも立派にチームに貢献できることを伝えてみてはいかがでしょうか?

「声出しは最低限だけで良い。それよりも、周りをよく見ていて欲しい。相手をよく観察していて欲しい。それをプレイに活かしてくれないか?」

「それで気づいた点があれば、できれば自分の近くにいる子たちだけでもいいから、自分が近寄ってその話をするだけでもいいから、大声出さずでOK、会話レベルでも良いから、気づいたことを教えてくれないか?」

このような相手をよく見る”観察力”、この試合どうなるのかという”直観力”の育成って、上の世代で活躍して欲しいと願う指導者ならば、いまから伸ばしてあげる能力として考えてみたくありませんか?


そして、チーム全員が声出しできているけど、「バッターの反応」とか「一歩目」とか、どうも瞬発力が弱いチームだなと思っている監督さん、もしかしたら、連続する大声が原因によって子供たちの”準備力”が損なわれ、それによって子供たちの瞬発力が弱まっているのではないでしょうか?

”準備力”の大事さを唱えている指導者の皆さん、声出し崇拝の指導が邪魔しているかもしれませんよ!見直すなら、早くお願いします!


パパコーチ、保護者の皆さん、声出し崇拝者の指導者がいることでお悩みならば、やんわりとこのように言い聞かせてみては・・・なぜならば気づいていないから、盲目となっている方々ばかりだから・・・

「声出しも大事だけど、子供たちの観察力・直観力・準備力を育成することで、もっと強くなるかもしれませんよ、監督!」


声出し指導によって野球をやめてしまう子を無くし、声出せと常に怒られている子供たちが野球を嫌いにならないようにするためにも、声出し崇拝者の撲滅をブームとして、”声出しが苦手なのはその子の個性”だという考えをもち、声出し以外でチームに貢献できる方法を探る指導が日本中に広がれば良いなと思っている、ビッグヘルパーでした。


盲目になっている方々へのカウンセリング


”見えていない”指導者をどうすればよいのか?ホントどうすればいいのでしょう。

簡単には考えも変えない方々がいることでしょうから、何かしら対応策を練りたいものですよね。

できることなら、こんなカウンセリングしたい、そんな妄想ですが・・・

ガラリと環境を変えてみたいですよね

本当に声出しって必要なの?必要ならば子供たちは自分たちで身に着けるものなのではないか?そんなことを、指導者だけでなく、当事者である子供たちも実感できる方法は何かと・・・

だから、ガラリと環境を変えてみたい!

日本の野球指導は良い面もあるでしょうが、悪い面もあるでしょう。

日本の子供たちもこれが楽しい!これは自分はやりたくない!と気づかせることこそが、子供たちの自律を促すためにも必要なことではないかと私は思いました。


そうですね、年に1回でもいいから、日本の指導者は海外チームに研修されてみてはいかがでしょうか?

日本の子供たちは海外の指導者のもとで野球をやらせてみてはいかがでしょうか?

気づく点は多いと思います。

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