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不安の連鎖

皆さんは何か不安なことがあった時、それを口に出しますか?
たとえば「明日、試験やねん。不安やわ」とか。「初めて行く場所やけど、うまくたどり着けるか不安や」とか。それくらいだと言いやすいでしょうか。

では、たとえば、あと一勝で甲子園に行けるという野球チームがあったとして「明日、ヒットを打てなかったら…と思うと不安や」とチームメイトに正直に言えるでしょうか?
チームに悪い雰囲気を持ち込みそうで、言いにくいというようなことはありませんか?

言ったら楽になる場合と、言って余計に不安になる場合とがあるような気がして、つい言いたいことを飲み込んでしまうということもあるかと思います。

この「言いにくい」時、私たちの不安はフタをされたり、中には無かったことにされたりします。でも、実際にはそこにあるので、他のものに形を変えて外に出ようとします。あるいはより強くフタをするために、いつもとは違う言動になったりすることもあります。

たとえば、試験勉強。不安を口に出さずにいると、「明日はがんばってね」という親の何気ない言葉に「うるさいな!」とか「分かってるから言わんとって」みたいなキレかたをしてしまうとか。

先ほどの野球チームの例で言うと、下級生への指導がいつもよりハードになってしまったり、より過酷なトレーニングに没頭してかえって身体を痛めつけてしまったりとか。
余裕がないのに、余計なことをしてしまうというような、不安の転換が起きてしまうことがあります。

相手が親の場合は、それなりに理解を示して、キレる我が子をそっとしておいてくれるかもしれません。でも、野球チームの場合、下級生は上級生の心理がよく分からずに「自分は嫌われている」とか「先輩たちはひどい」とか思ってしまうかもしれません。

親が仕事や生活、夫婦関係に不安がある場合、それを誰にも話せず、抑圧してしまうと、つい子どもにつらくあたってしまうということもあるでしょう。そんな時、子どもは何が起きているか分からないので不安になってしまう、これが不安の連鎖です。

私にもそんな不安の連鎖が起きていたのかもしれない。
というのが、今日の私の発見です。

そして、不安の連鎖の渦中にいると、その正体に気がつきにくいです。
正体を見る前にフタをしてしまうことも多いです。
不安はその正体をちゃんと見て、「ああ、私、このことが不安なんだなぁ」と認識するだけでも、ずいぶん違ってきます。

昨夜、アニメ鬼滅の刃を観ていたので、ふと禰豆子のことを思い出したのですが(笑)、不安は見ずに箱の中に入れておくと角を生やしてしまうことがありますが、ちゃんと見て話しかけてあげるとすやすやと良い子にしていてくれます。

新型コロナ収束の声がささやかれている今、私はこの三年間、何が不安だったんだろうと、少しずつ振り返っている今日この頃です。


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