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7年目の高校教諭が休職するまで②

職員室にいたのは後輩でした。
この日は土曜で半日もかからず終わる日程でした。完全下校の時刻から1時間くらい経ってたため、もう誰も残っていないだろうと思っていました。職員室といっても、学年の職員だけの部屋です。学年室といいます。私を入れて11人の部屋です。誤算でした。部屋に入るのをやめようかと思いましたが、もう扉に手をかけていました。中にいる彼女も気づいていました。これで部屋に入らないのは変だと思いました。


一人で教室で泣いていた間、誰かに見つけてほしかったのは本当です。
もう死んでしまいたかったのも本当です。そしてそれを誰かに止めて欲しかったのも。それでも泣き顔を見られたくない。恥ずかしさが込み上げました。


このときの私は、死んでおわりにするか、一切誰にも気づかれず立ち直るかしか思いついていませんでした。泣き顔を見せることには抵抗がありました。とてもみじめな気がしました。部屋にいる彼女は、泣いてる人間を放置するような人ではありません。きっと慰めてくれることでしょう。それが嫌でした。慰められたら泣き止まなければいけません。泣き止んだら前向きに仕事に取り組む姿を見せなければいけません。それを今おこなう余裕はありませんでした。また、泣いていたということを他の職員が知ることもあるでしょう。絶対に嫌でした。みんな私みたいに泣いていませんでした。


私ばかり出来損ないだ。
もし泣きながら慰めてもらいに行ったら、そんな気持ちになると思いました。彼女は後輩です。23年の4月から同じ学年の職員として働き始めました。彼女は新卒2年目で、初めて担任という仕事に取り組んでいました。過去に自分も通った道です。今の私よりももっと大変だということが死ぬほどよくわかります。それなのに私がだらしなく甘えるのは違うと思いました。私はもう2校目で経験があるんだから、もっと向こうが頼れるような相手でいなければならないと思っていました。私の先輩方がそうであったように私もと思っていました。ただ、そう思えば思うほど、どう接したらいいかもよくわからなくなっていました。というよりもはや、同じ学年の職員や生徒に対して、どう接したらいいのか悩んでいました。


私はどうしたらいいのか。どうすることを望まれているのか。今のままの自分じゃないことは確かだ。努力しているつもりでした。努力の方向性が違いました。いつになったら正しい方向にコツコツと努力を重ねていけるのだろう。本当にもう途方に暮れていました。自分にうんざりしていました。いったいいつまでこの癖を繰り返すのだろう。申し訳ないと思ってるから許してね。優しくするから許してね。みんな意地悪しないでね。弱ってるからね。言い訳と逃避が多かったです。具体的に行動を掘り下げる力が弱かったです。



ひとまず今は部屋に入ってから、すぐを洗いに行こうと思いました。部屋の中央にストーブがありました。その上の鍋を手に取りました。加湿のために置かれていたものです。中の水はまだまだありましたが気にせず持ちだしました。なるべく俯いていたので、顔は見えなかったはずです。トイレに行き、鍋に水をくみ、鏡で顔を見ました。思っていたよりも腫れていない顔に安心しました。顔を水で洗い、さらに赤みを引かせました。これで泣いていたことがバレずに済むと思いました。挙動不審だったか、はたまた自意識過剰だったか。いづれにせよここに書くために思い出せるくらい、自分にとっては一大事でした。


学年室に戻り、鍋をセットしました。このあとどうしたらいいかがわかりませんでした。泣いていたことはバレないけど、どうしよう。もしここで飛び降りることができなかったら、どうしたらいいのだろう。また仕事を続けなきゃいけないのか。火曜日からまた頑張らなければいけないのか。もういやだ。もんもんとしたまま席にも戻れずにいました。黙って学年室に入って、黙ってストーブの前にしゃがみ込んでいたのだから、怪しかったとおもいます。今思うと、悩みを聞いてくれと言ってるようなものだよなとおもいます。

ちょっと聞いてほしいんですけどいいですか。
そんな始まりだったと思います。むこうから話しかけてきてくれました。



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