自給自足の構えを取ること
自給自足。自分の食べ物や衣類や住まいを自分で賄い、暮らしていくこと。
十年前、40歳の私は50歳になるまでに自給自足できるようにとこの地に越してきた。
きっかけはのんきさん。
この人のように生きたいと暮らしを第一に据えようと、お金を稼ぐ仕事から暮らしをつくる仕事に変えたのだ。
それまでのわたしは、お金を稼ぐことに嫌気が差していて、お金との距離を置きたいと願っていたのだろう。このままずっとお金の心配をしながら、誰かのために人生の時間を費やすのだろうか。いつその生涯を閉じることになるかもしれない世の中なのに、好きなことをしないで死んでいいのか?そもそも好きなことってなんだ。
いろいろ考えたけれど、答えはすぐに出ないと分かったし、それでも生き続けることが答えだとわかっていたが、迷い続けながら、自給自足っぽいことを続けた。
ある時、すこーんと腑に落ちた。
のんべんだらりと日々暮らすことがその気づきをくれたわけだから、アプローチは間違っていなかったのだろう。
その気づきとは、こういうことなのだ。
私にとっての自給自足とは自分で何もかもできるようになるのではない。自分が他者にどういう貢献ができるかを見つける作業なのだと。何をして他人とつながるかを見極める期間だったのだと。もっとシンプルに言えば、自分の他者に貢献できる好きなことは何か?ということ。
もちろん、その名のように自給自足ができることが目的になる人もいるだろう。そしてそれが実現できてしまう人もいると思う。だが、自給自足はほんとうの目的とはならないと思う。それは手段であって、その先には各自の自己実現があるのではないか。
だからこそ、給料という形で人から労働の対価をもらい、それで暮らしを成り立たせている人が、ふと虚しさや迷いを感じたときに、「自給自足」の構えを取ることは実に自然なアプローチなのかもしれない。暮らしの背景を変えることで気づくことや見えてくるものは実に多い。
米づくりが好きな人は米を作って、他に必要な衣類と交換する。家づくりが好きになった人は、家をつくって、野菜と交換する。そうして、好きなものに打ち込めば、その他の足りないことは誰かが補ってくれるのがこの世の中だ。ただ大事なのはその好きなことで他人とつながるんだと意識することかなと思う。その繋がりでお金を考える。
自分の何がお金をもらえるような技能なのか。何をすればお金をもらえるように喜ばれるのか。
人生は迷いと気づき、実践の繰り返しだ。
自給自足の構えを取れ。構えだけでいいけど、覚悟は見せろ。好きなことに打ち込め、不安を抱かないほど好きなことに。
これが誰かの背中をそっとやさしく押すことを願ってここに記す。
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